紅涙の妖奇譚

ハルカゼ

第1話 妖魔郷の門番




 600年ほど前、まだ人間と妖や神との境界線が曖昧であった頃の話。ある場所に絶対的な力を持つ、人間好きな土地神がいた。自分のことが見える人間と親しくしていたが、そのうち彼らのような人間は、自分達のような存在が見えてしまうが故に、同じ人間から気味悪がられ疎まれることを知った。土地神は人間には平等に幸せになって欲しいと願い、当時その世界にいた人間と妖の住み分けをすれば問題が解決すると考えた。強大な力を持っていたその土地神は、自分の力の限りを尽くして住み分けのために妖の世界、 “妖魔郷ようまきょう”を創造しようと試みた。

 しかし、それは不完全であった。

妖は自らの力でそこへ行くことは叶わず、土地神も彼らを妖魔郷へ導くほどの力はすでに残っていなかった。

 そこで土地神は残りの力を自分達の存在を知る人間に与え、人間界と妖魔郷の橋渡しの役割を担うように頼んだ。力を託された人間は、代々家業としてその"門番もんばん"としての役割を受け継ぎ、妖を妖魔郷へと導く。



 これが全ての元凶だ、と一宮千景いちみやちかげは思う。

「ごめん、今から学校なんだ。終わったら門を開いて道を渡してやるから、あそこに見える山の麓で待っていてくれないか。」

千景は自分の右肩上空を飛ぶ鳥のような、しかし鳥にしては足が3本という見た目の生き物に小声でそう言って小さく左斜め前を指差す。午前8時。平日の登校時間に、周りの人間に見えていない存在と堂々と会話をするほど千景は豪胆ではなかった。現に、3歩後ろを千景と同じ市立美原しりつみはら高等学校の制服を着た女子生徒2人が楽しそうに会話をしながら歩いている。彼女たちに、空中と会話している様子を見られるわけにはいかなかった。その鳥のような生き物、実際には妖なのだが、それが千景の指差した方向へと飛び去っていくことを確認し、千景は何事もなかったかのように歩くペースを変えず学校へ向かう。

「はぁー…。」

本当、俺の事情なんておかまいなしだよな、と千景は思ってため息をこぼす。

 小学生の頃は、休み時間に友達とドッヂボールをしていたところにいきなり現れた妖のせいで、当時クラスで一番強いと言われていた男子の投げたボールを思いっきり顔面でキャッチする羽目になった。実際にはキャッチできず顔面に当たったボールはそのまま地面に落ちて、千景はアウトになった。それ以来、小学校では運動音痴のレッテルを貼られることになったのだ。

 さらには国語の授業中、先生に音読を当てられた時に限って教科書と自分の間に妖が現れる。何度、先生に「すみません、これ(物理的に)読めません。」と言ったことだろう。もちろん周りがそんなことを知るわけがない。お陰で漢字が読めない、勉強ができない、といった不名誉な印象が他の生徒に伝わっていた。

 妖は人間の、俺たち門番の事情なんて関係ない。彼らにそれを気にしろという方が馬鹿げている、とも思うが、少しは考慮して欲しいものだとも思う。そんな苦い思い出を回想しながら、千景は学校の下駄箱から上靴を取り出そうと自分の靴箱の扉を開ける。

「千景様!」

「ようやく!」

「我らを妖魔郷へ!」

バタン、と勢いよく扉を閉める。千景は一度深く息を吸った。そして周りに人がいないことを確認してからもう一度靴箱の扉をゆっくりと開ける。

「千景様!」

「どうしてお閉めになるのです!」

「我らを…」

そこには、頭が人間、体は真っ黒でネズミのような、手乗りサイズの妖が大量にいた。一匹一匹が話せるほどの妖力を持った妖らしい。基本的に、このサイズの妖は妖力が小さく口の聞けない者が多いため、千景は少し驚いたが顔には出さず淡々と妖たちに告げる。もちろん、周りに誰もいないことは確認済みである。

「静かにしてくれ。学校が終わったらな。とりあえずここで待っていてくれ。」

 隙間のほとんどない靴箱から上履きを取り出し、靴を履き替える。教室へ向かいながら、千景はこんな生活は早く終わりにしたい、と思いため息をついた。

 千景の生まれた家、一宮の家は代々、600年前にこの土地の土地神だった ”みはら” という神に力を与えられ、人間の住む世界から妖の世界、”妖魔郷” へ妖を送るための門を開く役目を負っている。

 昔は宮の姓を持つ氏族、一宮、二宮にのみや三宮さんのみや四宮しのみや五宮いつみや六宮むのみや七宮しちみや八宮はちみや九宮くのみや十宮とみやの家が存在していた。しかし、現在は千景の姓である一宮、そして二宮、四宮、八宮、十宮のみが現存する氏族であり、他の姓を持つ宮の氏族は人間による迫害や妖による惨殺など様々な理由によって滅びたとされている。

 千景はその一宮家の次期当主であるが故に、行く先々で妖から妖魔郷へ導いて欲しいと依頼されることが多かった。もちろん、一宮の他の人間、例えば千景には兄や姉もいるのだが、彼らにも門番としての才はある。生まれながらに一宮の人間は皆その力を行使できるのだ。ただ、風の噂とは恐ろしいもので、妖の中にもそのような噂はあるらしく一宮という姓ではなく千景という名が広く知れ渡ってしまっているらしかった。そのため、千景は若干高校二年生という身でありながら、本人の意志とは関係なく他の一宮の誰よりも門番としての役割を全うせざるを得なかったのだ。

 ーーガラガラッ。

 昔ながらの立て付けの悪い扉を開けて千景は教室へ入る。

 いつも通り、朝の挨拶を交わす相手は誰もいない。

 千景の存在などそこには無いかのように、教室にいた生徒は誰も視線を向けることはなかった。そう、あちらの世界で次期当主とされていても高校ではカーストの最下層。いじめこそないが、無関心。誰の眼中にもない。

 これも全部家業のせいだ、と千景はずっと思っている。中学までは自分の性格の問題かと悩んだりもしたが、今でははっきりと言える。家業による制約のせいであると。

 第一に見た目。顔立ちは、よく女みたいな顔だと家族に言われるが、目が隠れるほど伸びた前髪と肩まで伸びた後ろ髪のせいで表情がよく見えない。これは、髪の毛は霊力を補ったり色々なことに使えるから伸ばしておけ、と現当主に命令されているからである。

 後ろで結べるのであれば良いのだが、校則違反であるピアスを三つもつけている。これを隠すため、髪を結べないのだ。しかも、このピアスも妖との契約の印であるため外せない。

 さらに、右腕には次期当主の証となる桜の紋章が刻印されている。その紋章は、刺青のようで、学校にバレるという面倒は避けたかったため年中長袖を着ていた。どんなに暑くても、ワイシャツのみでは透けてしまうため中に何か着用するしかない。

 ここまで聞けば大体想像がつくだろうが、髪が長く顔を隠し、おまけに年中長袖という、とても話しかけづらい見た目なのである。

 加えて、この高校に通う生徒には同じ小中学校だった者もいる。高校入学と同時に小学、中学時代の奇行が色んな人間にバレるのは時間の問題だった。

 そんな訳で、高校二年生となった今、千景は友達作りというものを半分諦めていたのだ。ここまでくると、クラスのカーストを外から眺める傍観者のような気分だった。いや、実際に傍観者であった。千景の見たところ、自分と同じようにクラス内で無関心とされている者は一人もいなかったのだ。

 カースト上位のいかにも青春してますというような男女混合グループ。

 上位とも仲良くできるタイプの中位層。

 少数で独自の世界観を持つ層。

 中位層が一番周りに流されやすく、一番数も多い。せめてあの位のカーストにでもいられたら…などと、すっかりカーストの出来上がった6月上旬に思ったところで無駄というものだった。

 窓際の後ろから二番目にある自分の席に着き、腰を下ろす。クラスの様子はここからだととても良く見える。教室の中央ではカースト上位の生徒たちが談笑していた。千景はその中の中心にいる女子生徒を一瞥した。すぐに目を窓の方へ向けながら、先ほど目に入ったものを思い出す。

 軽く巻いた栗色のロングヘアに、可愛いというよりは美人と言われそうなはっきり整った顔立ち。校則違反にならない程度のスカート丈。そこから伸びる健康的な細い脚。

——いや、違う、俺が見たのはそこじゃない、と千景は思った。

家業の特異性上、千景は普段から無意識のうちに広範囲に感覚を向けている。簡単に言えば、自分の半径50mほどであれば目で見ずともそこに何があるのか常に把握できる状態である。周囲の動きを感知できるのだ。

 だが、それに知覚されなかった妖がいたのだ。一瞥した彼女の足元に、細く茶色い何かがうまく彼女の足首に巻きついて、人間の生命力である霊力を吸おうとしているように見える。

 なるほど、そういうことか。と窓に反射して映る教室の生徒たちを見て千景は納得した。教室に入った時から不思議には思っていたのだ。

 何故、琉生るいがここにいるのかと。

 しかもこの教室のカースト上位、先程千景が一瞥した女子生徒と教室の中央で親しげに話しているのかと。

 琉生はこの学校で唯一、千景の家事情について知る人間であると同時に、本人も無関係とは言えない存在であった。彼は混妖人こんようびと、つまりただの人間ではない。名前の通り、妖の要素が混ざった人間である。要するに、彼にも女子生徒の足元にいるそれが見えており、どうにかしようとこのクラスの女子生徒に話しかけたのだろう。ただ、千景と違って彼は門を開く力は無いし、一宮の人間が渡した妖魔郷までの道も見えない。おそらく、女子生徒からその妖を剥がして自分に丸投げするつもりだったに違いない、と千景は遠目で琉生を睨んだ。前髪で隠れていて琉生には見えるわけもないのだが、そうせずにはいられなかった。

 琉生は、金髪だが地毛のため校則にも引っ掛からず、人当たりの良い性格で顔も良い。おまけに成績優秀、スポーツ万能。運動能力は混妖人なので一般人に勝るに決まっているのだが、他の人間はそんな事情など知る由もない。言わずもがな、琉生はこの高校でカーストのトップに君臨していた。

 そう、こういった学校での対応には千景よりも琉生の方が圧倒的にうまく立ち回れるのだ。琉生はそれをわかった上で、わざわざ四つも隣のクラスである千景の教室まで来ていたのだ。千景には自然に妖を剥がせないだろう、いや、女子生徒に近づくことすらままならないだろうと踏んで。その思惑に気がついてしまうくらいには、千景と琉生は長い時間を共に過ごしていた。

 確かに、この状況では琉生の能力の方が自然に引き剥がすことができるだろう。友達と呼べる人間がいない自分よりも、学年で一目置かれている琉生の方が、とは言いたくない。あくまでも、琉生の混妖人としての能力的に、である。

「解せない…。」

 千景はそう呟くと、頬杖をついて様子を伺った。

 千景自身、頭ではわかっているのだ、これが最善だと。

 だが、やはり人から間接的に指摘されると納得できないものである。

「じゃあ、遠山くんもお家近いんだね!今度学校帰りに遊びに行かせてよ〜。」

「みんなでおいでよ。兄弟多いから、ちょっとうるさいけどね。」

 一人の女子生徒に琉生が冗談っぽく笑うと、周りの女子生徒もつられて笑った。その隙に琉生は隠れて左手の親指と中指でパチン、と指を鳴らす。すると、そこから小さな台風のような風の塊が生まれ、女子生徒の足には触れずに妖だけを綺麗に剥がし取る。そのまま風の勢いを殺さず、妖を巻き込んだまま地面すれすれを通って千景の足元へ届けられた。琉生は自然に千景の方を一瞥し、あとは任せた、とでも言うようにまた女子生徒たちと談笑を始めたのだった。

「はぁー…。」

 本日二度目のため息だった。

 千景は自然にそれを拾い上げ、道を渡すために人の気配がない場所を探すことにした。



 屋上は鍵がかかっているため、通常生徒は自由に出入りできない。千景は4階男子トイレの窓から壁をつたって屋上へと登った。屋上なら警戒せずとも一般生徒は入ってこられないと踏んでよく利用していた。それにもうすぐ朝のホームルームが始まる。先生も入ってくる心配はなかった。

「さて…口は聞けるよな?人間の霊力れいりょくを吸おうとした妖なら、元の妖力も低くないはずだ。」

「…お前たちは何者なんだ?人間のくせに!気配も消して完璧だったはずなのに!」

 そう言ってその妖は千景の手から逃げようと蛇のようにクネクネと動き回る。

 若干気持ち悪いなと思いながらも、軽蔑するような目をして千景はそいつを自分の目の高さまで持ち上げた。

「俺は妖魔郷の門番だ。お前を引き剥がしたやつは混妖人。そんなやつの前で一般人から霊力を奪おうとしたのが運の尽きってやつだな。」

「お前があの門番…?!嫌だ!俺は妖魔郷には行かないぞ!まだ人間の霊力を吸収し…ゔっ!」

「黙れよ。お前みたいなやつがいるから俺の仕事が減らないんだ。」

千景はその妖の口と思われる部分を指で塞いだ。

「いいか?そもそも妖魔郷は悪いところじゃないし、行かない選択も自由だ。でも行かないのなら、この世で人間に害を成すことは禁忌きんきに触れる。その場合は然るべき制裁が下されるんだ。俺たちに見つかったのはまだ良い方だぞ?もしあいつらだったら…。お前のレベルじゃ即抹消まっしょうされるだろうな。行かないのであれば、それ相応の覚悟をしておくことだ。」

「抹消…!嫌だ、それなら妖魔郷へ行く!行かせてくれ!」

千景の指から逃れたその妖は先ほどと打って変わって懇願こんがんした。

「それが最善だろうな…。よし、あいつらがくる前にここで道を渡す。その前に、妖魔郷へ行くには条件があるんだ。」

 千景は妖を解放して、自分の髪を後ろで束ねた。

「妖魔郷ではそこの自治に従うこと。これは妖魔郷へ行くと妖の意志とは関係なく制約とあなるから気をつけろよ。」

「消えるよりはましだ。だが、自治ってのはなんだ?」

「さぁ?」

「さぁ?ってお前っ…!門番だろ…!」

「いやー行った先のことは知らないんだよ俺も。とりあえず、お前が霊力を奪おうとしたことは不問にしてやる。まだ未遂だったしな。よし、開くぞ。」

「お、おい、そんな簡単に開けるのか…?」

「何言ってんだ、簡単なわけあるか。霊力を練り上げて開くんだ、めっちゃ疲れるんだぞ。俺はまぁ…ちょっと特殊だから。」

千景は少し苦笑いすると、そのまま集中するように目を閉じる。両手を胸の前で合わせると、周囲に空間の歪みが生じ始めた。それは、空中にモノクロの花が咲くようだった。次第に空間の歪みと呼応するように周囲の風が強くなる。空中に咲いていた花はやがて一点に集まり、きれいな円となる。中央は先の見えない漆黒だった。この先が本当に安全なのか、疑いたくなるものだった。

 そして刹那。

 千景が合わせていた右手を45度回転させると同時に、その円は中心から白く塗り替えられていく。

「よし、このまま通って大丈夫だ。お前が入ったらこちら側から閉じるから、いつでもいいぞ。」

 強い風が吹く中、千景は妖に向かって叫んだ。

「不問にしてくれたことは恩に切るぞ、門番の人間。せっかくだ、名を教えろ人間!」

「なんでそんな偉そうなんだよ…。まぁいいや。俺は一宮千景だ。ま、もう会うことは無いだろうけどなー。」

「お前…もしかしてあの、大蛇を従えてる人間か…?」

「?たしかに蛇と契約はしてるけど…?あいつと知り合いなの?」

「知り合いも何も、世界最強とまで言われた大蛇が一人の人間の手に堕ちたと…。まさかお前が…。いや、これ以上は聞くまい。死にたくないしな。じゃあな一宮千景!二度と会うことはねえと思うがな!」

「おー。」

 別れの挨拶を済ませ、その妖は白い光の中に消えていく。千景は姿が消えるまで後ろ姿を眺め、45度に回転させた手を元に戻した。それと同時に円が中心に向かって消えていく。

「世界最強の大蛇か…。」

 千景の脳裏には、11年前の出来事が思い浮かんでいた。琉生と千景がまだ幼い頃、この世界を一から作り変えてしまう恐れのあった、そんな出来事だった。だがそれはまた別の話である。

 完全に円が閉じ切ったのを見届けて、千景は教室に戻ろうと屋上の柵を登り始める。

2mほどの高さのあるそれは、一般人が登るには高すぎるのだが、千景はいとも簡単に頂上まで登って反対側へ降りようと体を反転させた。と、千景はそこで初めて屋上に自分以外の人間がいたことに気が付く。

 軽く巻いた栗色のロングヘアに、可愛いというよりは美人と言われそうなはっきり整った顔立ち。校則違反にならない程度のスカート丈。そこから伸びる健康的な細い脚。

これはさっきもどこかで…と千景は思考する。

 そうだ、あの妖がいていたカースト上位の女子生徒だ。

 立ち入り禁止の屋上には誰もいないはずだから、感知する必要はなかったはずなのである。

 屋上の入り口前に立つ彼女の目は真っ直ぐに千景を捉えている。

 確かに門を開くことに集中していたから、全く油断していた。

 これは、言い訳が通用するのだろうか。

 そもそも、俺はまともに彼女と話ができるんだろうか。

 いや、一般人には俺が独り言を言って狂気の行動をとっていたように見えるはずだ。

 じゃあなぜそこから動かない?

 千景は柵の頂上で彼女と向かい合ったまま、答えのない問答を頭の中で繰り広げていた。

「君は、何者?」

 最初に口を開いたのは、女子生徒の方だった。

 何者?

 それは何を見てそう思ったのか、それが千景にとって重要だった。

 もし今この状況を見て思ったのであれば、ちょっと運動神経が良い自殺願望者ってことで話がまとまる気もする。もし先ほどの様子から見ていて、千景が独り言を言って何かをしている狂人に見えたことを指すのであれば、千景は諦めようと思った。残り約2年の高校生生活を。

 一体どっちだろうと悩んでいると、女子生徒から追撃の一言。

「あの円は何だったの?」

 千景は文字通り、柵から落ちそうになるくらい驚いた。琉生でさえみることができない、というより宮の氏族以外の人間が見える筈のない、この円を見た。見ることができた。

 そのこと自体が、異常。異様。

 聞いたことがない、と千景は思った。

 まさかとは思うが、血縁…?という馬鹿げた予想が頭をよぎる。宮の氏族で把握していない人間がいるなんて、そんな訳はないのだ。

「お前こそ、何者だ…?」

 故に、質問による回答。

「お前なんて失礼ね。私は同じクラスなんだけど。」

「お前だって君って言ったじゃないか。」

「私は良いのよ。それより、答えになってないわ、一宮千景くん。」

「理不尽な…。というより俺の名前知ってたんだな。」

「同じクラスなんだから、名前くらい知ってるわよ。はぐらかさないで。

 君は、何者?」

 言葉に詰まる。

 いや、あの円が見えたということは俺が狂人きょうじんに見えていたという訳ではないということだ。要するに、彼女も妖が見えるということなのではないか。

 いつもの千景であればこの結論に至るまでそう時間はかからなかったはずだった。

 それくらい、今の千景は動揺していた。

「そうだな...どこまで話して良いのか、俺個人で判断ができない。」

「それは今行ったことが一宮くん一人の問題ではないってことね。ということは、一宮くん以外にも同じことができる人間が存在する、そういうことよね?」

 なんて鋭いんだ、と千景は内心感心する。

「ノーコメント。とりあえず、このことは他言無用でお願いしたい。もし言ってしまったら、俺にもお前がどうなるか予想できないんだ。」

 どちらにせよ一生宮の家系、もしくは混妖人を取りまとめている混妖会の監視対象になることは避けられない。記憶を消されることも十分に考えられる状況だった。ただ、そこまで忠告してやる義理もない。千景は無意識にそう考えて、要件だけを伝えた。すると、

「交換条件で手を打たない?」

 そんな中で言われたのは千景が予想していなかった一言だった。

「今日見たことは他言しない。元々、言ったところで私の頭がおかしいと思われるだけだしね。それよりも、私、自分と同じように見える人間に会えたのが初めてなの。この機会を逃したら、同じような人間に会えることはもうないと思ってるわ。」

 彼女は柵の方へ歩み寄り、凛とした表情で千景の目を真っ直ぐに見つめる。

「だから、お願い。私の交換条件を飲んでくれない?」

 そこまで言われると、千景も断りづらい状況だった。口約束ではあるが、他言しないというこちらの一方的な要望を聞いてくれるというのだ。急いでいたとはいえ、人がいないかどうかきちんと確認しなかったのは自分の落ち度だ。千景はそう感じていていないこともなかった。

「内容にもよるけど…。」

「話だけでも聞いてくれる?判断はその後でもいいでしょ。君が無理だというのなら…。」

 彼女はそう言って千景から目を逸らして言い淀んだ。

 その瞬間、風で彼女の長い髪がふわっとなびいて、千景は目を見張った。

 憂いに沈んだような、そんな表情は整った顔立ちの人間がするととてもよく似合う。と、千景はこの状況で、不相応にも思ってしまったのだ。

「…無理だというのなら、きっと誰にも解決できない気がするわ。」

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