第十話 飛べ! ヒーロー!

 ケルベロスの六つの目が、ゆっくりと瞬いた。一匹が開くと、二匹、三匹、四匹、と火が灯るように紅い目が光っていく。

 ゆらり、ゆらり、と体を捻じ上げるように立ち上がっていく。

 大群の復活は予想よりも早かった。


「さっきの、もう一回撃てたりする?」


「もうほとんど魔力が残っていなくて………すみません、無理そうです………」


 女の子は決まりの悪そうな顔を浮かべる。


「それに、どうあがいても私たちであの群れには勝てないです………とにかく魔獣をここに固めて、息を潜めながら助けを待つ方が妥当かと………!」


 群集の足音がしたかと思ったら、最悪な援軍だった。

 今先ほど全滅したばかりのヘルハウンドが、また新たに森方面からなだれ込んできたのだ。


「おいおい勘弁してくれよぉ!」


 アレはとても鼻が効く。遠くに隠れていようが、肉の匂いに嗅ぎついてくるに違いない。


「変、ですね」


 敵の大群を見渡して、女の子が呟いた。


「ヘルハウンドとケルベロスは、生息地も習性も正反対で、犬猿の仲だったはず。それなのに、同じ群れにいるなんて………」


「え、そうなの? 詳しいね」


「悪魔学の基本ですよっ! どうして悪魔のあなたが知らないんですかぁ!」


「あー俺悪魔学のテスト毎回赤点なのよ。特にディアボロスの家系とかややこしくて」


「自分の家族のことでしょう!!」


 学校の先生と同じことを言われてしまった。


 自分の家族といっても、赤ん坊の頃に人界に来たものだから、兄弟しか知らないし、親戚はおろか親の顔すら覚えていない。


 女の子は敵の方へ向き直る。


「それに、あの巨獣は一体………? 一度も攻撃らしいことをしてきません。まるで高見の見物みたいな………」


「あの気持ちわりぃくらいの目玉の数は何なんだろうな?」


「魔眼………? 魔獣が持つ魔眼…………」


 女の子は目を凝らすように巨体をじっと見た。


 すると、ギョロギョロ泳いでいた目玉がピタリと止まって、紅い目の瞳孔がキュッと開いた。

 同時に、ヘルハウンドの群れが嵐のように激しく吠えたけた。

 鼻をひくつかせて、獲物の匂いを探しているようだ。


「やべぇっ」


「……………ヒプノミラー」


「へ?」


 女の子は短く呟いた。


「相手に催眠術をかけて自由自在に操る眼力です。人と悪魔の間ではよく聞きますが、まれに魔獣の使い手もあったかと」


「じゃあ………あの魔獣どもは、あのでっかいやつに操られて団結してんのか」


「おそらく。全身に百の紅い魔眼を持つ首のない巨大な魔獣………アルゴス。悪魔学の本で書かれてあった特徴とよく似ています」


 アルゴス。正体不明の巨獣の名前が、ようやく判明した。


「あのアルゴスは、ピプノミラーを使って百の魔獣を呼び寄せているのでしょう。倒しても倒しても増える理由がそれです」


「つまり、あのアルゴスってのを先にぶっ倒さねーと、この地獄のループも壊せねーわけか」


「そういうことになりますね」


 だとしたら、選択肢は一つしかない。


 アイスケは尻尾をピンと張った。


「アルゴスの弱点とか、分かったりする?」


「えっ、えっと…………確か本では、百の目のいずれかに心臓に繋がる管がある、と」


「よし!」


「よしってあなた、まさか行くつもりですか?」


「そりゃもちろん」


「そんなっ、危険ですよ!! たくさん怪我もしていますし、いくら悪魔でもそれ以上の出血は命に関わります!」


「出血してこそのディアボロス! それにもう躊躇してる時間はねえ」


 嗅ぎつけたヘルハウンドの群れが土手を上って追い寄せる。


 アイスケは肩にべったりとついた黒血を尻尾に塗りたくると、女の子を軽々しく抱き上げた。


「ひゃいっ!」


 悪魔化しているからか、この子が小柄なこともあってか、赤子を抱くような軽さだ。


「行くよ!! つかまって!!」


「はわわっ」


 赤面してびくびくと震える女の子を優しく、でもしっかりと両手に抱きしめた。



『魔王の子が聞いて呆れるな。所詮ヒーローも子供遊びにすぎないか』



 そのゴミのように見下された言葉に、今なら言い返せる。


「子供で結構。お子様上等。でも遊びだけでは終わらせねえよ。ガキでもチビでも、できることはぜってーある。ボロボロになっても、弱っちくても、馬鹿にされても、笑われても、俺は飛べるッ! 飛べたらいい!!」


 思い切り尾を地に殴りつけて、夕焼け空へと跳ね上がった。



「それが、ヒーローだッ!!」



 孤を描くように軽やかに宙を飛んだ。大風が髪を揺さぶって、背中を叩き上げる。手を伸ばせば雲もつかめそうだ。


「ひゃわあああああああああっ!」


 女の子が胸元の服をギュッとつかむ。その手は冷たく震えているが、離さないと言わんばかりに強く握っていた。


 アルゴスの巨体の頂点、平べったい肩に着地した。

 肩の断面には目玉はないが、靴越しに伝わるザラザラとした皮膚の硬さが巨体の獰猛な骨格を語っていた。



 この元凶をぶち壊すくらいの、一撃を!



「にっしゃぁ────────っ!!」


 黒血の染み込んだ尻尾のビンタが、炸裂した。 


 生肉を抉り取った大音響が大地をつんざく。


 巨体が張り裂けそうなくらい胸を張って、仰け反りかえった。

 天辺からつま先にかけて、タガが外れたように激しく痙攣する。

 百の目の焦点が狂うほどぐるぐると回り、涙のように瘴気が滲み出た。


「かなり瘴気が乱れています………すごい! 黒血の一撃が全身に効いてますね!!」


 女の子は胸の服を握ったまま、頂点からの景色を見下ろした。


 ヘルハウンド、ケルベロスの大群が凍りついたように静止している。


「明らかに眼力が落ちています! このまま崩壊すれば………っ!」


 視界が反転する。


「うっ! うわあああああああああああっ!!」


「きゃあああああああああああああっ!!


 アルゴスがない首を振るように肩を上下に揺らした。


 平衡感覚が崩壊し、吐き気がするほどの目眩に襲われる。

 敵を振り落とすと言わんばかりの抵抗に、それでもアイスケは尻尾を皮膚に突き刺してでもぶら下がり、敵地の範囲にしがみついた。


 絶対に、落とされてたまるか。


「ううっ、うぅっ」


「大丈夫?」


「ひゃいぃ………この程度………未来の騎士に、かかりぇば………なんともありまひぇぇんん」


 真っ青な顔をして、何ともないことはなさそうだが、女の子の小さな拳は服を握ったまま離さなかった。


「ううっ………やはり、アルゴスの、心臓に繋がる目を探さないと………でも、こんなたくさんの中から、どうやって…………」


「瘴気の勢いだ」


「!」


「瘴気は悪魔の生命力。この衝撃で、一番瘴気が激しく溢れ出る箇所………」


 猟犬のような食いつく目つきで、視線を巡らせた。


「!」


 一箇所だけ、虫が集るように広く濃く湧いた瘴気が。


「あそこだぁ──────ッ!!」


 尻尾を刺したまま先端を斜めにねじって、ピンポイントに向かって一直線に滑る。


 黒血の染みた尻尾は巨体の皮膚を目玉ごと裂いていく。

 ぬるぬるとした眼球の粘液を裂く感触は鳥肌が立つほど気持ち悪いが、それ以上に、この苦闘に終止符が打てる一瞬に武者震いするほど待ち焦がれていた。


 心臓に繋がる太い血管が見えた。

 ドクドクと瘴気をかき集めて脈打っている。


(こいつを潰せば………!)


 尻尾を皮膚に深く食い込ませる。

 このまま滑り落ちれば────


「がっ、は!」



 首を締め付けられ、体が硬直した。



「ぐ、ふ………な、んで………」


 腕に抱いた女の子が、小さな手を伸ばして首を強くつかんでいた。


「っ!」


 光を失くし、紅く変色した瞳。


 夕闇のように広がる瞳孔。


(ヒプノミラー! ちくしょう悪あがきしやがって!!)


 手の力が強まり、首に爪が食い込む。


「ぅ、がぁッ!」


(どこの目だ!?)


 出所を探そうにも、視野を越えてまで広がる百の目。目を凝らして見渡そうにも、がっちりと締め付けられた首は微動だにしない。


「くっ………そ………ぅ、ぁ」


 痛い。苦しい。うっすらと意識が遠のいて、空気が抜けるような脱力感が襲う。


 呼吸もままならない苦痛に段々と視界が白く霞む。


 なけなしの腕力が────尽きる。


 首の拘束が解けたと同時に、胸の中の小さな温もりがすり抜けた。


「げほっ! ごほっ!」


 酸素を求めて口が開き、肺を上下させ咳き込むが、そんな生にしがみついている暇はない。


 アイスケは尻尾を引き抜いて、躊躇なく飛び降りた。


 風圧に髪をなびかせながら、女の子は人形のように力なく空から落ちる。

 意識がないのだろう。


 アイスケは手足を泳ぐように動かして、必死に手が届くようにもがいた。


 下にケダモノの群れが牙を剥き出しに口を開けているのが見えた。


「こんなところでッ! 終わらせてたまるかぁッ!!」


 千切れんばかりの力で尻尾を下に捻じ曲げる。


 伸ばして、伸ばして、痛みの限界を突破して伸ばし切った。


「!」


 女の子の肩に、先端の矢印がちょこんと触れた。


「にっしゃ────────!!」


 先端を肩に巻き付けると、全身の力を尻尾に集中させ、高々と振り上げた。


 ふわっと浮いた女の子をもう一度、抱き止める。強く、強く、絶対に、絶対に離さないとありったけの力を込めて。


 魔獣の吠え声が近くなる。


 仰向けになって丸くなり、胸の中に女の子を包むように抱きしめた。


「そんなに食いたいってんなら、何度だって食わせてやる!! 何度だって噛ませて、その口に猛毒ぶち込んでやるよオラァ!!」


(この子だけは絶対に、噛ませねーけどな!!)


 その揺るぎない思いを全部胸に抱きしめて、アイスケは、魔獣の群れに自ら落ちた。

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