第三十六話 独白

ヘレナと彼女のお父さんとの回想になります。

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その日もパンドラ軍との激しい攻防の末、両者一歩も引かない状態で日没を迎え、お互いの塹壕に篭り睨み合いが続いていた


ヘレナの父であるヴィルト・パトリチス中佐も野戦将校として塹壕からさして遠くない場所に天幕を張りそこでいつ戦線が動いてもいいようにと待機していた


パチパチと目の前で火の粉をあげる焚き火の前でヴィルトは簡易的な椅子に腰掛けていた

「こんな前線で焚き火なんて焚いてたら敵に狙われますよ。中佐殿」


ヴィルトがビクリと肩を振るわせ後ろを振り向くとそこには最愛の愛娘がいた

「なんだ、ヘレナか。脅かすな。スー大尉かと思ったじゃないか」


スー大尉というのはヴィルトの女性副官のことであるが綿密な作戦を立て自分達を勝利に導いてくれる一方、厳格な性格で、彼が前線でタバコを吸おうものなら階級の垣根を超えて上物のタバコを払い落としてくる始末だ。そんなわけで彼はスーの事を信頼していながらも少々苦手としていた。


「スー大尉でなくても注意するでしょ。もしここで父さんが死にでもしたら戦線の後退は免れない。父さんだっていつも言ってる様に帝国の無能将校には任せられない」


ヘレナが語気を強めて注意をすると彼は頭をかきながら側にあった薪を火にくべた

「まぁ、そりゃそうなんだがね。お前もどうだ?暖かいぞ?丁度コーヒーも淹れようとしていたところなんだ」


そう言いながら横の畳んであったイスを起こしコーヒーを淹れるため天幕の中に戻って行った。

「わざわざ、イスを用意しておくなんて。本当はスー大尉のこと待ってたりして」


ヘレナは誰にいうでもなく一人ごちるとそっとイスに座った


父親の恋愛に関わりあうつもりはないが一回りも年の小さな女性に好意を寄せている点については呆れる他ない。

まぁ、スー大尉からも遠回しに父の好きなものを聞かれたりすることがあるので相思相愛ではあるのだろうが…


しかし、母を亡くしてからもう4,5年経つ。父も新しい人を探すこと自体は悪くないとは思っているし、それがスー大尉なら自分としても特に異論はなかった。



そんな事を思っていると父は縁の少し欠けているコーヒーカップを両手に持ち天幕からでてきた

「ほれ」

「ありがと」

受け取ったコーヒーは淹れたてである事を主張するかの様に白い湯気を立てている

しかし、前線なので粗悪なコーヒー豆しかないからか表面にはカスが浮いているがそのあたりはご愛嬌というところだろう


「ごめんな、お前の事をこんなところまで引っ張り出して軍属なんて…」

彼は両の手でカップの縁を握ったまま俯いてしまった


「いいよ、別に。父さんといる方が楽しいしね」

そう言うと彼は眉を困ったように下げながらも満更でもない顔をしていた




そうしながら何を語るでもなく、しばらくコーヒーを啜る音だけが響く

しかし、その沈黙に気まずさはなく前線にいるにも関わらずホッとするような空気が流れていた。


「父さんはさ、何で戦争になんて参加するの?」

「あ?そんなのその辺の仕事より儲かるからに決まってるだろ」

そう問いかけると彼は何を今更といった様な風で息を吐いた


「へ?」

あまりの呆気なさに到底乙女にあるまじき呆けた声をあげてしまう

「だってよ、実力主義で給料がすぐ上がるし、出身の差も覆せるしよ」


彼は指を二本折った後、顔を上げ少し座った目で向き直ると静かにいった

「それに何より、奴らに文句を言われず武力を持てる」


その目に思わず身構えるとそれに気付いたのか彼はフッと力を抜くとまたカップを手に取り口をつける

「父さんはその……武力を持って何をしたいの?」

そう問いかけるとカップを再びおきあごに手を当てると夜空を見つめた


「何がしたいんだろうなぁ?」

その返答に思わず私はがくりと崩れてしまう


「まぁ、でもよ。強いて言うならやりたいことは一つだけある」

「それは?」

「俺の爺さんが軍人だった頃の平和だった頃のカナリアを見てみたい」

その言葉に思わず頭を傾げてしまう

彼は温厚な人間だが穏健派というわけではない。戦争を政治の手札の一枚として考える人間だ

そんな人間から平和な世界が見たいなどと言う夢物語を聞かされるとは思わなかった


「まぁ、俺の代じゃ無理だ。フランツも頑張ってるがあいつじゃまだ足りない。相当な傑物が必要だ。ソイツは間違いなく俺みたいにのらくらしたやつだろうがな。

さぁ、寝物語はここまでだ。お前もとっとと寝ろ明日はまた早い」


私は今も追い立てられる様にして寝床についたあの日のことを後悔している

父の言葉の続きを聞いておけばよかったと今でも時折思う

なぜなら、その日を境に父を見なくなり数日後、行方不明扱いになるのだから

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