物言わぬ友よ

丸井まー

物言わぬ友よ

 田舎の小さな村の村外れにポツンとある小さな一軒家。古くてあちこちにガタがきているが、同じくらい年老いているアランにはお似合いの住処だと思っている。村の中心部にある小さな商店に買い物に行くのは少し不自由だが、近くには森があり、森の恵みを分けてもらえるので、存外悪くない。


 アランは七十が近い。若い頃は騎士団に所属して、騎士として働いていた。もう三十年近くも前の話である。若かりしアランは恋に落ちた。相手は学生時代からの友人の男だ。国教で同性愛は禁じられている。アランは恋心を誰にも知られないように、ずっと怯えながら暮らしていた。恋した男が結婚した時も、子供が生まれた時も、アランは笑顔で祝った。どれだけ胸が張り裂けそうな思いをしていても、今にも泣き喚いてしまいそうでも、アランはいつも笑みを浮かべていた。


 四十が近くなった頃。アランは限界を感じて、騎士団を辞め、誰にも言わずに小さな田舎の村に引っ越した。それ以来、ずっと此処で一人で暮らしている。

 王都で騎士をしていた頃は、ずっと息苦しかった。誰かにアランが男が好きなのだとバレやしないかと、惚れた男に気持ちがバレやしないかと、ずっとずっと怯えていた。

 田舎の村に来て、村外れの小さな家で一人になると、アランは楽に息ができるようになった。

 最初のうちは、慣れない農作業などや田舎の人付き合いなど、色々大変だったが、時が経つにつれ、アランはひっそりと村に馴染むことができた。

 家の側の小さな畑を耕し、時折、近隣の麦畑の世話や牧畜の手伝いに行き、森の恵みを分けてもらい、アランは静かに穏やかに暮らしている。


 ある日。

 アランが森の中にある木苺の木から木苺を分けてもらっていると、ガサガサと草かげから物音がした。此処は森の中でも奥の方だ。村の子供達は来ない場所なので、野生の獣だろう。狼や熊だったら大変だ。アランは森に入る時はいつも念の為、剣を持っているが、もう腕は錆びてしまっている。

 アランが木苺を入れていた籠を背負い、剣の柄に手をかけて、警戒して草かげを見つめていると、ぴょんっと小さな丸い水色の塊が現れた。スライムである。スライムはほぼ無害な魔物だ。アランはほっと息を吐いた。

 騎士団に所属していた時は、よく魔物退治に行っていた。この近辺には、殆ど魔物はいない。スライムを見るのも随分と久しぶりだ。

 アランはぷよんぷよんと動いているスライムがやけに可愛く思えて、背負っていた籠からいくつかの木苺を取り出し、静かにスライムに近づいて、ゆっくりしゃがんで掌の上の木苺をスライムに差し出した。

 スライムはぷよんぷよんと小さく跳ねてから、そっとアランの掌に近寄ってきて、木苺を半透明な身体で飲み込んでいった。掌に感じるひんやりとしたぷよぷよの感触がなんだか楽しい。アランはクスクスと笑って、ぽよよんと小さく跳ねているスライムをやんわりと撫でた。



「お前は何処から来たんだい?この辺りはいいけど、村の近くに行ってはいけないよ。子供達に意地悪されてしまうから」



 害のない魔物であるスライムはとても弱く、子供にとっては、いい遊び道具になってしまうだろう。それは少し気の毒で、通じるか分からないが、アランはスライムに注意をした。

 どっこらしょっと立ち上がると、腰や膝が鈍く痛む。アランは木苺採りを再開した。


 採った木苺は、何かと世話を焼いてくれる中年夫婦の家に持っていく。そこの麦畑の収穫の手伝い等をしているので、小麦を分けてもらえたり、木苺を持っていけばジャムに加工してくれる。時折、奥方が焼いたパンを分けてもらえたりもするので、本当にありがたい。


 アランが黙々と木苺を採っている足元で、スライムがまるでじゃれつくように、ぷよんぷよんと跳ねていた。アランはスライムの好きにさせていた。うっかり踏んでしまわないように気をつけながら、鳥達や小さな獣が食べる分を残して、木苺を採った。


 籠がそれなりに木苺でいっぱいになると、重くなった籠を背負い、アランは村の方へと歩き始めた。

 歩くアランの足元を、ぽよーんぽよーんと跳ねながら、スライムが着いてくる。アランは足を止め、スライムの前にゆっくりとしゃがんだ。



「こら。着いてきてはいけないよ。村の子供達に見つかったら大変だ。大人しく住処にお帰り」



 スライムは暫くぷるぷると震えていたが、ぽよーんと大きく跳ねると、木苺の木がある方へと向かって、ぽよーんぽよーんと跳ねていった。

 アランはほっとして、痛む節々に眉を顰めながら真っ直ぐ立ち、村へと戻った。


 翌朝。アランが庭の畑の水やりをしていると、草の影から、ひょこっとスライムが姿を現した。アランは少し驚いて、スライムに声をかけた。



「もしかして、昨日の奴かい?駄目だよ。此処に来ては。子供達に見つかったら意地悪されてしまう」



 聞いているのかいないのか、スライムはぽよーんぽよーんと跳ねてアランに近づき、アランの足元に懐くように、ぷよんぷよんと小さく跳ねた。

 アランは少し困ってしまった。スライムは本当に弱い。子供でも木の棒で簡単に殺せてしまう。魔物とはいえ、面白半分で村の子供達に殺されてしまうのは気の毒だ。アランはスライムにもう一度言い聞かせてみたが、スライムはアランの足元から離れない。もしかして、懐かれてしまったのだろうか。

 アランはしょうがないな、と小さく溜め息を吐き、ゆっくりとしゃがんで、スライムのぷよんぷよんの身体を撫でてやりながら、言い聞かせた。



「俺以外の人間が近づいたら、必ず隠れるんだよ。それが約束できるなら、此処にいてもいいよ」



 スライムがぽよよんっと軽く跳ねた。なんだか頷いているかのようで、ちょっと可笑しくて、アランは小さく笑った。


 それから、スライムと一緒の生活が始まった。アランが庭の畑や森へ行く時には着いてくるし、家の中にも入ってきて、いつもアランの足元でぷよんぷよんと小さく跳ねている。アランの寝室にまで着いてきて、ベッドに寝転がるアランの足元でスライムも眠る。スライムが寝るのか分からないが、アランが寝ている間は、いつもみたいに小さく跳ねずに大人しくしている。

 アランが麦畑や牧畜の手伝いに行く時は、ちゃんと家の中にいてくれる。たまに誰かが訪ねてくる時には、必ず何処かに隠れている。スライムに知能があるとは思っていなかったが、存外賢いのかもしれない。


 気づけば、アランはスライムのことをとても好きになっていた。水色のぷよんぷよんの身体はひんやりとしていて、撫でていて、とても気持ちがいい。アランに懐いてくれている様子がなんとも微笑ましくて可愛らしい。ペットなど飼ったことはないが、ペットを飼うとはこんな感じなのだろうか。

 季節が巡り、新しい年を迎えても、スライムはアランの側にいた。


 真冬の一際寒い日。

 アランはスライムと一緒に暖炉の火で暖を取っていた。外は雪がチラついている。外でやる事もないし、何より腰や膝が痛くて、今日は動く気がしない。一昨日に中年夫婦から貰った干し肉をスライムと分けて食べていると、スライムが胡座をかいたアランの膝の上にぽよんっと乗ってきた。重くはない。すっかりアランに懐いているスライムが可愛くて、アランはスライムのぽよんぽよんの身体をやんわりと撫でた。



「お前は可愛いね。そろそろ名前をつけようか。俺が死ぬまで側にいてくれないかな」



 スライムがぽよぽよっと小さく跳ねた。



「そうさな……フランはどうだい?俺が一番好きだった名前だ」



 スライムがぽよぽよっと小さく跳ねたので、アランは笑みを浮かべて、フランと名付けたスライムをふにふにと優しく撫で回した。



「フラン。俺の話を聞いてくれるか?遠い昔の話だ」



 アランはフランをやんわりと撫でながら、友人だった男に恋をした愚かな男の話を始めた。ポツポツと長い話をしている間、フランは大人しくアランに撫でられていた。

 夕暮れ時になる頃。アランは簡単な夕食を終えると、フランを抱っこして、寝室へ向かった。フランも一緒に布団に潜り込み、ふぅと小さく疲れた溜め息を吐いた。少し、喋り疲れた。生まれて初めて、自分の本当に素直な気持ちを話した。フランが物言わぬ存在だからか、長年胸の中に溜まっていたものを、するすると吐き出すことができた。疲れているが、なんだか気持ちは晴れやかだ。

 アランは布団の中でフランをやんわりと抱きしめ、穏やかな眠りに落ちた。


 フランと暮らし始めて、二年近くが経とうとしている。最近は特に身体が言うことを聞かなくなってきた。いよいよお迎えが近いのだろう。

 アランはあちこち痛む身体を起こし、ゆっくりとベッドから下りた。軋むような身体で寝間着から普通の服に着替えると、アランはフランに声をかけ、一緒に森へと向かった。


 森の奥に、ちょっとした花畑がある。淡い青色の花が沢山咲いている。フランによく似た色合いの花だ。フランが楽しそうに花畑の中をぽよーんぽよーんと跳ねているのを微笑んで見守りながら、アランは花畑の隅に腰を下ろし、近くの花をいくつか摘んで、花の冠を作り始めた。


 アランがまだ子供だった頃。三つ下の妹にせがまれて、よく花の冠を作ってやっていた。その頃は、自分が男を好きになるなんて思ってもおらず、自分はどこにでもいる『普通』の少年だと思っていた。


 アランが昔を思い出しながら花の冠を作っていると、完成したタイミングで、フランがぽよーんぽよーんと近寄ってきた。アランは完成した花の冠をフランにそっと乗せ、ふふっと笑った。



「フランは森の王様かな」



 フランがぷるぶるっと小刻みに震えた後、ぽよーんぽよーんっと高く飛び跳ねた。どうやら嬉しいらしい。

 アランは声を上げて笑い、ぽよんっと胡座をかいた膝に乗ってきたフランを優しく撫でた。



「フラン。物言わぬ友よ。お前の事が大好きだよ。最後の最後で、楽しく過ごせたのは、お前のお陰だ。本当にありがとう。……フラン。お前に心から愛を」



 アランはフランを優しく撫でながら、大きく息を吐き、静かに目を閉じた。


 中年の男が森の奥を歩いていると、座ったまま亡くなっている老爺を見つけた。その側には、花の冠をつけた水色のスライムが寄り添っていた。

 老爺の顔は穏やかで、まるで午睡でもしているかのようだった。男が祈りの言葉を口にした後、老爺を埋めてやろうと近づくと、スライムがぽよーんといきなり大きくなり、老爺の身体を自分の身体の上に乗せ、そのまま、ぽよーんぽよーんと森の更に奥の方へと消えていった。

 男はどうしたものかと思ったが、老爺がこっそりとスライムを飼っていた事には気づいていたので、男は何も見なかったことにした。

 きっとあのスライムが老爺を弔ってくれるだろう。

 男は花畑に背を向け、村へと向かって歩き始めた。


(おしまい)

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