第22話 きみに贈る物語
①春への扉
夏休みはその間中。
秋は放課後と休日だけ。
冬休みはその間中。
そして、雪解けはたったいま。
冬の次はいつでも春。
それをいま初めて知るかのように新鮮だった。
僕は手を許し、手は僕を許した。
それでもたまにいうことをきかなくなるけれど。
やっと思うように動いてくれるようになった。
「ハルと逢ってからもう1年か」
「……正しくは9年だけどな」
「はいはい、そうでした!じゃあ9年分の誕生日プレゼントあげないとな」
「えっ」
ハルが豆鉄砲食らったような顔をしている。
いや、ハトが。
「ハルのお母さんに聞いたんだよ、僕ばっかり何も知らないし、僕はこれからも色々なハルを知りたいし……知ろうとすることをやめたくないし」
「……いいね、ときめいた」
「僕はたまにハルがまったくわからない」
いや、まあ。
好きな人にときめく心理は、この歳にしてやっとわかったけども。
それにしても、何を贈ろうか。
指輪はクリスマスに贈って、ハルはそれを学校でも外してないそうだ。
最初は注意されたものの、いつの間にか何も言われなくなっていたとか。
「なにがほしい?」
「トーマさん」
「えーっとね、僕はもうハルのものだと思うけど」
「うそうそ、来年まとめてもらう」
「えー!」
ハルって欲がないよなぁ。
このくらいの歳ならゲーム機だの靴だの服だの色々ほしがるだろうに。
本とか画材の方が嬉しいのかな。勝手に選んじゃうぞ。
◆
②復楽園
8年前は、口づけひとつにドロップ缶。
1年前は、奇跡をひとつに赤い糸。
1年後は、なにもかもを好きなだけ。
俺はトーマさんが思ってるよりずっと欲深い。
与えられれば与えられるほど、さらにもっと欲しくなる。
楽園は思ったよりはやくに完成し、主の帰還を待っている。
クソ野郎はたったの一つだけ良いことをもたらした。
もう誰にも、トーマさんを殺せない。
もう誰にも、トーマさんは殺される心配をしなくていい。
トーマさんはよみがえり、楽園に帰還する。
俺が傍にいる限り、楽園は危険に晒されない。
1年後には、楽園に行こう。
誰にも邪魔されない、なにもいらない。
ふたりぶんの幸福で、楽園を満たそう。
お互いをどこまでも深く奪い合いながら。
お互いにどこまでも深く与え合いながら。
お互いをどこまでも食いつくすように。
◆
③日なたの窓に憧れて
風花トーマの復帰は瞬く間に広がった。
それは良くも悪くも波乱を呼ぶことになり。
”誰か”の情報により、傍観者達は責められ、消えた。
一変してトーマ自身を疑問に思う人等もいたが、”誰か”から提供された、事件の詳細を書いた記事が話題になり更に一変した。
その凄惨さ卑劣さに口数が減り、やがて掌を返してトーマを憐れんだのだ。
そんな騒動も、たった1枚の絵で終わることになる。
トーマ自身でなく、出版社のSNSアカウントで公表されたものだ。
『雪解け』。
そのたったの一言に添付された、一件の動画。
大きすぎて写真では納まらなかった、というトーマの声が入り、彼を始めとした宮島や日向などの編集や広報達を含めてその巨大な絵を持ち支えていた。
前より色鮮やかに鮮烈に、それでいて、春に咲き誇る花のように淡く優しく。
「支えてくれたみなさん、本当にありがとうございます」
カメラに向かうトーマは、はにかんだように微笑み、そこで動画はぷつりと終わる。
「個展で見かけたよりずっとやつれてる」
「大丈夫?病気?」
「顔色が悪い、おいしいものいっぱい食べて」
「顔が良い」
「ちゃんと寝てる?隈ひどくない?」
「やっぱり偽物とは全然違うんだね」
「ん?トーマ指輪してる?」
「またトーマの絵を見られて嬉しい!」
「以前おじいさんと共に個展にお邪魔させていただきました。孫の歳ほどのトーマさんがあれほどの絵を描いているのを見て、腰を抜かしたのを覚えています。老い先短い身ですが、機会がありましたら、またお邪魔したいものです」
「トーマ!待ってた!」
「実際に見てみたい、個展待ってる」
ハルは投稿への返信を読み上げる日向を止めた。
「なんでもかんでも読み上げるのやめてもらえます」
「あ、ごめんなさい!つい、嬉しくって……」
「ハル、気にしなくていいよ……」
「やだよ、俺が気にするよ……俺のトーマさんなのに」
人間は美しいものがあらわれると”本物”であるかどうかを気にする。
そしてそのお眼鏡にかなうと今度は、すべて知ってるふりをする。
知ってるふりで飽き足らなくなると、何も省みず触れようとする。
指紋で本質が見えなくなるまで、欲のままにただ触れようとする。
そうして最後には、いつかすっかり壊してしまい、満足する。
これで永遠に、本当に美しいものとして愛せるようになったと。
だからハルは本当なら、自分以外の誰にも触れさせたくなかった。
でもそれは寂しいことだとトーマが言うから、とどまった。
わかっている。
”神性に近づき、その輝きを人類の上に撒き散らすことほど美しいことはない”
かつてベートーヴェンがそう言ったように、他人は必要なのだ。
他人を必要とせず何かを生み出せる人ほど、他人が必要になっていく。
だからせめて、自分以外の誰も、トーマの深くに触れないように。
いつかの戦神のように、トーマを自分のものだと勘違いさせないように。
初めから既に誰かのものなのだ、と示し続けるほかはない。
楽園に連れ去ろう。
楽園に辿り着こう。
楽園で生き、死のう。
死んだあとは灰になって、いつかの雨で降ろう。
そうしてまたいつか、ふたり出会おう。
◆
④主よ、人の望みの喜びよ
「それじゃあ、トーマくんがめでたく復帰したということで」
「祝賀会でもやっちゃいます?」
「ハル、ちょっと静かに……」
「まあ、それはトーマくんがもう少し本調子になったらね」
「山中さんから仕事の依頼が来てるんですよぉ!私もトーマさんと仕事ができるかと思うと、それだけで張り切っちゃいます!」
宮島も日向も、嬉しそうな表情をまるで隠そうともせず、うきうきとした様子だ。
ヤマナカ、という名を聞いてトーマの顔に驚愕が浮かび、その様子を見たハルが一拍
遅れて同じ表情をする。
「山中……って『人魚伝・新説』の山中明弘!?」
「でも、あの時、すべて断ってしまったはずじゃ……」
「トーマさんが挿絵描いてたっていうあの山中明弘ですよね?あれから著書の中に挿絵どころか絵を一切使ってないって聞きますけど、表紙も白紙に字だけで……」
「それがね、ついこの間、全集を新装版で出そうかって話になったんだけど、復帰したならぜひ全編トーマくんにって」
「全編!?」
ハルは脳内でぱちぱちと算盤を弾く。
トーマの挿絵見たさに山中の新刊が出る度に買っていた。
普通に面白くて挿絵が消えてからも複雑な気持ちで読んでいたっけ。
一冊あたり大体何枚で、全集の冊数があれでそれがどうして……。
「あはは、一気に出版するわけでもないわよ」
「そりゃそうだ」
「別に、僕じゃなくても……」
「トーマくんの絵しか使いたくないって」
「この後打ち合わせにいらっしゃる予定ですから、どうですか一緒に」
「……ぜひ!」
・
「ああ、久しぶりトーマくん」
「あの、お久しぶりです、その節はご迷惑を……」
「いいよいいよ気にしなくて!むしろ、僕ら芸術家はもっと我儘でなくっちゃ」
「編集はそれじゃ困るんですけどね」
「それくらいでいい、いい!」
サラリーマンから転向して作家になったらしい山中は、人の良さそうな笑みでからからと笑った。60代とは思えない快活さもあり、たびたび雑誌に旅レポを書いたりもしているそうだ。もちろん、すべて山中が実際に赴いている。
「でも、ずいぶんハードワークになっちゃうんじゃない?」
「いえ、今の調子なら十二分に間に合うと思います」
(あ、トーマさんが職人の顔になった)
「ハルくん、だっけ?」
「……え、あ、はい!」
真剣に打ち合わせをするトーマに見惚れ、反応が遅れてしまう。
ちょいちょいと手招かれ、会議室の隅に。
なんだろう自分に内緒話なんて、と思った。
「君にも1枚、描いてほしいものがあって」
「……え、俺にっすか?」
「こればっかりはトーマくんじゃ無理かなーって思って」
「うっそだぁ、トーマさんに描けないものなんてありませんけど」
山中は愉快そうに大きく笑い、うんうんと頷く。
そうでなくっちゃなあ、とか、期待できそうだ、とか言って。
「とある架空の絵画がメインになる話があったんだけど……」
「あ!『冬への扉』!!」
盗まれた絵を追う主人公が、これまでの絵の世界に入り込んだりして最終的には盗まれた絵を諦めて新しい絵を描き始める、というストーリーだ。
巧みな心理描写と幻想的かつ純粋な文章で話題になった、山中の代表作だ。
「はは、読んでくれたみたいで嬉しいな……で、その絵画に君が描いたトーマくんを使いたくて」
「イメージぴったりです、たった今俺の中で『冬への扉』が完成しました」
「そりゃあよかった!」
作中に出てくる絵は「世界で一番、美しい人の絵」と称されているだけあって、誰にも描けないとされていた。それがトーマなら。それを描くのがハルなら。
出版された暁には全巻送ってくれるそうで、なんて懐の広い人なんだ、と思った。
「……あの話は半分、いや、ほとんどノンフィクションでね」
「……まさか、トーマさんのことですか?でも、時代が……」
「そう、僕が君くらいの年齢の頃だから、彼は生まれてもいなかったんだ」
美しい絵を描く友人がいた。親友だった。
見ているこっちが憔悴してしまうほど、すべてに頓着しない男だったんだ。
寝食を忘れ、時を忘れ、たまに友人や家族の顔すら忘れ。
人から石を投げられて、馬鹿だとか、無能だとか、気が触れているとか。
どれだけ罵られても、彼は描くことをやめなかった。
そうまでして命を注いだものが、絵だったんだ。
不思議だよね……見るだけにしか使えない、なのにいつの時代も人の魂を掴む。
描く側も見る側も、ずうっと絵という存在に惹かれ続けてきたんだろうね。
たった1枚の紙といくつかの絵の具で、彼は誰も見たことのない世界を描いた。
一度、聞いたことがあるんだ。なぜそうまで描くのか、って。
彼は「頭の中から幻想を追い出すには、描くしかないんだ」、そう言ってまた続きを描き始める。鬼気迫っていたよ、絵を描いてる時の彼は。
神憑っていると言っても過言じゃなかっただろう。
まあ、描き終わるとポコッとその絵のことは忘れちゃうんだけど。
でも、どれほどの絵を描き終えても、必ず加筆し続けた絵が1枚だけあった。
そう、それが「世界で一番、美しい人の絵」だ。
彼はそれを誰にも譲らず、売らず、見せることすら躊躇った。
……そんな絵を、盗んだやつがいたんだよね。
その後のことは、本で知ってるだろうけど……。
彼は苦痛と絶望の底に叩き落とされた。
四六時中泣き通し、嘆き、喚き、叫んだ。
絵を探し、履き物が擦り切れ足から血が滲んでも徘徊し続けた。
自らを傷つけ、それでもあの絵を求めて歩き続けた。
ずうっと後になって、絵は見つかったよ。
その頃には彼、骨と皮になっていて。
彼は、自らの絵にとどめを刺された。
彼の絵は到底取り戻すことのできない場所に置かれてしまう。
それだけならまだしも、絵には盗んだやつの名前が作者として表示されている。
彼は耐えきれず……世界のどこにもいなくなってしまった。
海の向こうに、消えてしまったんだ。
「ちがうのは彼の心情と、結末だけ」
「……結末……じゃあ」
「彼は頓着しないだけで、現実が見えていた……遺体すらあがらなかったよ……どれだけの覚悟が必要だっただろうか……この物語はね、一番ノンフィクションであってほしかった部分だけがフィクションなんだ」
「だから、トーマさんにはそうなってほしくない、と?」
山中の目が、ほんの少しだけ蔭を帯びる。
「今時60代だってインターネットくらい使えるさ……」
「じゃあ、あれは山中さんが」
「もっと早くに手を下すべきだったんだろうか、僕は」
何者かによって提供された”情報”。
それは、トーマに疑惑を抱く者たちをあっという間に改心させるほどの説得力を持っていた。言われてみれば、相当な経験がなければ書けるわけがない。
ハルはてっきり、トーマの熱狂的なファンがやったことだと思っていた。
「トーマくんの姿が、次第に彼と重なっていくようになって……」
「命を狙われたことで、耐えきれなくなったんですね……」
「僕は愚かなことをしただろうか」
「……グッジョブ!!」
ハルは、この人の本だけは毎回買ってやろう、と思った。
◆
⑤O lieb, so lang du lieben kannst
「……緊張してる?」
「……ハルは落ち着いててなによりだよ」
「ちゃちゃっと顔合わせするだけじゃん」
「だって、ハルは僕の家族と会ったことあるけど、僕はハルのお父さんと会ったことないんだよ……」
ひとり息子を海外に連れてっちゃうんだぞ。
いや、連れてかれるのは僕だけどさ。
僕の実家は向こうにあるからいいけど、ハルは違うだろ?
ボコボコにされたって納得だっていうのに。
それに、貴重な休みを奪ってしまうのも申し訳ないし……。
「あ、来た来た!父さん、こっち!」
「はわっ!ごほ、は、初めまして……あの、風花トーマです……」
「…………」
「え、あの……」
フリーズしてしまった。あー、ハルの顔はやっぱりお父さん似なんだなぁ~、なんて観察する余裕があるほどに、固まっていた。
一緒に来たハルのお母さんに肘鉄をくらっても、動かない。
僕、よっぽどまずいことをしたのだろうか。
そう思っていると、ハルのお父さんは震え始め、涙を零した。
「やぁねぇあなたったら」
「母さん、私は正直、ハルの一方的な想いだろうと思っていた」
「トーマさん、父さんこうなると長いんだ」
・
「実はねぇ、私、トーマくんの個展に行ったんですよ……あの何にも興味を持たなかったハルが好きになったのが、どんな人なのか知りたくて」
「えっ」
「時期的にいうと、前のあなたの、さいごの個展だったんでしょうね」
眼鏡をハンカチで押し上げて、涙を拭っている。
「悲しみを耐えている人だな、と思いました」
「それは……そうですね、あの頃は色々と……」
「ハルは、トーマさんを支えるんだ、って勉強でもなんでも頑張って……」
「ええ、立派なお子さんで……」
「事の顛末を聴いて何も力になれなかったと悔やんでも悔やみきれず……」
スーツの内ポケットから一枚の紙を取り出し、まじまじと眺めている。
「同時に、我が子がこんなに愛情深いんだって、その時初めて知りましたよ、私」
「えぇ、まあ……しっかりしたハルくんで……?」
「あの時……なんだかとても感動して、思わず、買って帰ったんです」
「……あ、これ……!?」
ハルのお父さんが見せてくれたもの。
それは、あの時の個展で販売していたポストカードだった。
「トーマさんと住む家を建てるんだって……叶う保証など、どこにもなかったのに……それでも、あまりにも頑張るものだから、いつからか私まで祈ってました」
「はい……ちゃんと、伝わってました」
ハルは照れくさそうに頭をかいていた。
「だからもう、とっくに認めてたんでしょうね、私は」
「……!」
「あのねあなた、そもそも親が口出すことじゃないでしょうが」
「で、でもアヤちゃん……」
「でもじゃない!」
ぴしゃり、とハルのお母さんに窘められて、しゅんとしてしまった。
「いや、親も口出しますね」
「げ、お父さん」
やっと飛行機が到着したのか、僕の家族がやって来た。
空港から近いからか、他のお客さんもぞろぞろと入ってくる。
「風花さん、トーマくんの幸せを祝ってあげられませんか?」
「そ、それとこれとは話が……!」
「よぉく考えてみてくださいよ?トーマくんは安全安心で愛する人と暮らせる、あなたはトーマくんが近くに住み、いつでも帰ることのできる距離にいる……」
「うぐ……」
「そうだよお父さん、そもそも何がそんなに気に入らないんだよ」
ぐうの音しか出ない父に、ハルのお父さんが畳みかけるように囁く。
さすがいくつもの会社を経営してる人だ、田舎で牧場をやってる父とは手腕が違う。
「うちの息子が、たったの一度でも、トーマくんを傷つけたことがありますか?」
「それは…………」
「ないよ、むしろいつも助けてもらってるんだから!」
「えぇ、不安でしょうね……社会に出てただでさえ少なくなった家族の時間が、また更に少なくなろうとしているんですから……」
「そうだろう!?なら……」
「物語、お好きですか?」
「物語?なぜ急にそんな話なんか……」
「いえね……」
ハルのお父さんが、ある映画の話を始める。
最初は腕を組んでへの字口だった父も、話が佳境に入るにつれ目が潤んでいく。
お母さんとナツメは呆れたようにお父さんを見てたけど。
「『それ私たちね』……愛が報われたのは、たったの一言」
「も、もうやめに……」
「そんな旅路を、愛するトーマくんにも強いるつもりですか?」
「………………」
ゆるゆると首を振る父の姿に、僕とハルは手を取り合って喜んだ。
父さえ頷けば後はただの顔合わせとなり、終始和やかだった。
後日僕らは、父が例の小説と映画のDVDを買ったと聞かされることになる。
あと1年。
あと1年で僕らは新しい人生を歩みだす。
それまで、ただ日常を忙しく生きようか。
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