第13話 失楽園


①とある女の独白


「クソが、またトーマの絵じゃねぇか……」


流れ作業のようにSNS運営会社への報告を複数回行う女。

意味や効果なんてないことを随分前に理解していたが、それでも願わずにはいられなかった。


「誰かこいつに天罰を与えてくれ……」


トーマがいなくなってから、急に大々的に活動しだした”カナタ”。

すべてがトーマの絵の盗作でしかないのに、生みの苦しみなんかを語っている。


盗作する”カナタ”も、盗作を許容する周りの人間も、盗作を放置したトーマの周りの人間も、みんなみんな憎かった。殺意すら覚える。


「特に、トーマに擦り寄っておきながらトーマが助けを求めた時に無視しやがったやつら……こいつらにトーマの不在を嘆く権利はない」


叫びたい気持ちを噛み殺し、情報を集めるために発言をさらう。


噛みしめすぎた顎がツキリと痛んだ。





②とある男の開き直り



”トーマ”はなんでも持っている人間だった。

頭脳も、容姿も、才能も、仕事や家族にだって恵まれていた。


最初は憧れたよ。

でも段々、見下されてる気になってきてさ。


だからひとつくらいなくなっても構わないだろうと思ったんだ。


なのに馬鹿みたいに取り乱して、日に日に病んでいって、悲劇の主人公気取っちゃってさ。恵まれない人間、持ってない人間への当てつけかと思うだろ?


幸い、オレは模写だけは得意だったから、すぐにあいつの絵柄を真似できた。


ほんの一部を変えるだけで、どいつもこいつも馬鹿みたいにオレの絵だって信じる。


トーマの絵をわかってやってるのはオレだけなんだよ、この世界でただひとり。


たまにごちゃごちゃ言うやつがいたけど、アカウントを変えたら見失ってやんの。

アカウントなんていくらでも着替えられる服みたいなもんなんだから、わかるわけねーだろ。こっちは愛着もなにも持ってないんだから。


トーマの好きなものも嫌いなものも、ぜんぶ真似した。

口調も真似したし、SNSの更新頻度もIDも真似した。


なのにどうしてオレは、トーマになれない?


でも、トーマが消えた。

ラッキーであると同時に、ネタ帳を失ったオレは困った。


最後まで迷惑かけやがって。

今までの絵を保存してなきゃ、地の果てまで追いかけてるところだったぜ。


でも、いなくなったってことは、もうぜんぶオレのものってことだろ?


じゃあ、もう何やったって文句言わねぇよな。





③トーマの秘密



「…………」


僕の中でひそかに恒例となった、リハビリ(?)。

ただペンを持つだけのことが多かったけど、最近は自分の名前程度なら震えず書けるようになってきた。


ただ、どうしても絵だけは描けなかった。


「……でも、進歩はしてる」


自分でも先生として情けなくて、ハルのいない時だけ。

でもきっと、ハルがいたらもっと心強いんだろうな、とも思う。


「がんばれ、僕の手……僕がついてる」


前みたいには絶対無理でも、新しい絵なら、きっと。


そう思っても手はこれ以上動かず、痛みで返事をしてきた。


わかってる、無理させたよな。

そう言って、ペンを置かせる。


「…………死ぬまでには、もう一度だけでも」


ただ一つの後悔があるとすれば、絵だけだ。


もう、積極的に死にたいとは思わなくなってきた。

けれど、それでもたまに、衝動的にそう”しなくちゃいけない”という気持ちになる。


過ぎ去ればくだらないと思えるけれど、渦中にいるとそうは思えないのだ。


まるで死がこの上なく甘美な、それでいてこの地球上には死しか存在しないような気がしてくる。それしかないのだと。それ以外にはなにもありはしないのだと。


「3時間かけて名前ひとつか……」


前なら、ほとんど1枚仕上げていただろうに。

いや、前と比べちゃいけないって言ったばかりだ、よそう。


……とは言うものの、こうも眠れないんじゃ考えが止まないよなぁ。


あのことを思い出しさえしなければ、ふつうになれそうなのに。

日中は思い出さないのに、どうして夜は……。


「ちがう……ハルが、思い出さないように気を遣ってくれてるんだ」


話したり、触れたり、外に連れ出したりして。


いつの間に、自分の中でこんなに大きくなっていたんだろうか。


もし僕の中がハルの存在でいっぱいになったら、どうなるんだろう。





④ハルの疑惑



最近、トーマさんがおかしい。

前よりやつれているし、肌つやがよくない。


少しずつ健康的になってきていたはずなのに。

俺が知ってる以上の運動や筋トレを始めた様子はないし、摂取カロリーが少なすぎるということもない。


仕込んだアプリを見る限り、少なくとも6時間は睡眠をとっているはずだ。

例の件を思い出している様子もないが、それは俺といる間のこと。


「……やっぱり、音だけじゃ何してるかわからないな」


今は午前2時。トーマさんの寝室からは、紙か何かが擦れるような音だけが断続的に聞こえていた。まさか、無理にリハビリして吐いちゃってるんじゃないだろうな。


あの人は楽観的に見えて、自分自身には容赦ない節がある。心配だ。


幸い、もうじき夏休みが来る。

いっそ期間中泊まり込んでみようか。

なんだかんだと理由をつけて頼めば、トーマさんは頷いてくれるだろう。


「……よし、寝たな」


これで早朝に起きているようなら、家に行った時寝かせないと。

トーマさんはショートスリーパーじゃないんだから、ある程度決まった睡眠時間はとってもらわないと困る。それに、睡眠不足がもろに体調に出るタイプだ。


「えーっと、胃にいいもの……」


対する俺は寝なくても平気なタイプだ。





⑤ふたりの願い




ハルから、思ってもみなかった提案をされた。


「え?合宿?うちで??」

「そ!俺、夏休み!ひま!」

「うわ、眩し……青春じゃん……」


まあ、今まで通り放課後の時間帯と休日に、じゃ素っ気ないし。

こんな「いかにも遊んでます」な見た目でインドアなんだもんな。


「うん、まあ、俺は構わないけど……親御さんに挨拶くらいはしないと」

「共働きだから電話しても出ないと思うけどなぁ」

「昼休みもないのか……?」


まあ一応、とハルの携帯電話を借り、電話帳から「母」の文字を見つけ、コールする。3コール目でプツ、と音がして落ち着いた女性の声が聞こえてきた。

全く予想だにしない事態に内心パニックになりながらも、なんとか声を出す。


「もしもし、ハル?なによ電話なんて」

「あ、あの、ハルくんの保護者様でしょうか?」

「あらやだ、うちの息子がまたなにかやらかしました?」

「いえ、そういうわけではなく」

「ちなみに119と110のどっち系でしょう?」

「えーっとどっちでもなくてですね」

「こらハル!近くにいるんでしょ!電話代わりなさい!」


困ってハルを見ると、なぜだか微笑まれた。

うんうんと頷いているものの、全く意図がわからない。

代わってくれるってことでいいのだろうか。


……いや、スピーカーにしろ、ということらしい。





「なぁ~んだぁ~!てっきり病院か警察かと!!」

「はは…まさか……」

「……でもトーマさん、私ひとつお聞きしたいんですけどね」


トーンの下がった声に、ピシッと背を正す。

なんだ。なにか悪いこと言ったっけ……。

どきどきと逸る胸を押さえ、続く言葉を待つ。


「まさかとは思いますが、うちの息子……謝礼をお支払いしてないなんてことは…」

「げっ」

「ハル……あんたねぇッッ!!」

「え、いや待ってください、違うんです、習い事というよりその、友人なので遊ぶついでにといいますか……そんな本格的にできているわけでもないので……!!むしろ僕の方が色々助けられているといいますか……!!」

「人様をぶん殴ることだけがコミュニケーションだと思っていたハルに友達が…!」


いったいどういう人間だったんだ、僕が知る前のハルは。


「い、いい子ですけどね……ハルくん」

「まあ今度お茶でも……うるさい!今息子の恩人と話してるから!!……ちがう!!そうじゃない!!今昼休み!!休め!!」

「あ、それじゃあお預かりしますね……?」

「あはは、よろしくお願いします~ご挨拶はまた改めて……」


社内でもあんな感じなんだな、と思った。





「でも母さん、トーマさんのこと気に入ったみたいだった」

「え、そう?ならよかった……のか?」

「まあ、血だな」

「え、血?なに?」


そう聞いたものの、変に笑ってはぐらかされてしまった。


ふたりぶんの夕飯の支度をしていると、ハルの見ている夕方のニュースが聞こえてくる。ニュースとか見るんだなぁ、新しいハルだ。


「ニュース面白い?」

「おもしろいよー」

「そっかそっか……あ、でも19時になったら教育チャンネル見るから」

「教育チャンネル!?それこそ面白いの!?」

「面白い……というより、翻訳する際の語彙が増えるから」


ハルはああ、と納得したように頷いて、ニュースを見る作業に戻った。

キャスターがどこかの企業に届いた脅迫状について話している……途中で教育チャンネルに切り替えられた。


「俺も手伝う」

「あぁ、ありがとう」


もう19時かと思ったら、手伝ってくれるらしい。





「そういえばさ」

「なんです?」

「……ハル、別に敬語使わなくていいよ」

「……あ、そんなこと?」

「そんなことって……僕は気になるんだよ」


あーもう、言いたいのはそういうことじゃないのに。


「で、本題は?」

「…………そういえばバズりたいってのが目標だったなと思って」

「あぁ、そうだったっけ」

「自分の目標だろ?」


ハルはうーとかあーとか言いながら、サラダを口いっぱいに放り込みもしゃもしゃと食べている。


「それはまあ、口実というか……」

「え、じゃあ本当は何が目標なんだよ」

「……トーマさんが思い出したら教える」

「……え?」


思い出す?何をだ?他に何か言っていたっけ。

そもそもあの頃の記憶が実は曖昧だったりする。

無理に思い出そうとすると、どこかしらが……。


「あ、待ってトーマさん」

「へ?」

「別に、悪いことじゃないから……俺が、照れくさいだけだから」


慌てたように思考を遮ったハルが、頬を赤くしてオムライスをかっ込む。

また気を遣わせてしまっただろうか。

目が左右、いや、8方向くらいに忙しなく泳いでいる。いつもと違う。

なんだ。よっぽど恥ずかしい約束をしたのか僕は。


「な、なんかヒントないの?」

「…………ヒント1、俺は帰宅後に熱を出したが理由は不明」

「え、熱?なんだ?僕じゃなくて?」

「……ヒント2、俺がドロップを好きになったきっかけ」


言葉を紡ぐにつれ、どんどん顔が紅くなっていく。

むしろいま熱があるんじゃないか?と気が気じゃなくなる。

体温計を買っておくんだったな……病院が近いからいらないかと思ってたけど。


手で触れてみるものの、僕との違いがよくわからない。

仕方なしに額を合わせてみる。熱いような熱くないような。


どうしたものかと首を傾げると、そのままハルの唇がぶつかった。

存在を確かめるように蠢いて、すぐにパッと離れていく。


「……ヒント3、俺は雨を嫌いになってない……これでもまだ、思い出さない?」

「…………へぁ」


記憶の扉がガタガタと音を立てている。

決して嫌なものではなく、僕の心も、その正体を知りたがった。

むしろ、嫌な記憶を押し退けて出てこようとすらしている。

あと一押し。ほんの軽い力で押すだけで思い出せそうなのに。


「も……」

「も?」

「もう一声……?」


どでかいため息をついたハルが、僕の手を取り自分の心臓に押し当てる。


トクトクトクトク、トクトクトクトク。ちいさく早い鼓動。


「じゃあ、本当に最後のヒント」

「えっと……」

「人魚伝・新説」

「…………あああああぁ~!!」


目の前の青年が、いつかの少年にぴったり重なる。

きゅっと上がった目尻なんか、なぜ気付かなかったんだというくらいそのままだ。

明るく硬質な髪の色も、牙のような犬歯も。


嫌な記憶に押しやられて、ずうっと忘れられていた、可哀想な記憶。

不幸の真っただ中で、唯一こころをあたためてくれた記憶。

去り際に口づけという小さな疑問を残していったあの少年が。


「思い出してくれた?」

「え、じゃ、なんで……じゃなくて、え?ハルがあの時の?あれ?ほんとに?」

「だから……言ったろ……照れくさいって…………」


どんどん尻すぼみになるハルを見て、なんだか彼がとてもかわいく見えてきてしまった。というより、自分の中ではちいさな少年のままなのだ。

頭を引き寄せ、思い切り撫でまくる。扱いが犬なのは慣れないからだ。


「うあ、ちょ、やめ」

「あーもー…僕こどもになんてこと言ったんだろう……」

「トーマさんが悪いんじゃないよ」


これまでの疑念全部が霧散して光さえ射してきた。

なんだよもう。ただのめちゃめちゃいい子じゃないか。


「もうなんでもしてあげたくなるな、ハルなら」


そうか。あの時宝物みたいな光をくれた子だったのか。

こころにあたたかさが染み渡り、触れるすべてが心地よく感じる。


「……なんでも?」


胸に声という振動が響く。なんだかくすぐったい。

手を離そうとすると、手ごとがっちりと押さえ込まれてしまった。


「な・ん・で・も?」

「あー、あはは……僕にできそうなことなら、だけど」


飴玉をひとつねだるこどものように見えて、つい頷いてしまった。

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