第7話 風花トーマに花束を


「じゃあ、改めて自己紹介しましょうか」

「別に……呼び名があれば十分だろ」

「俺は花美堂ハル!この春16になりました!好きな食べ物はドロップとオムライス、嫌いなものはパッサパサのパン!」

「ぱっさぱさじゃないパンは?」

「普通に食いますね」

「普通に食うんだ……」


あれからハルは、半分ほど僕の家に入り浸るようになった。

僕の体調が悪くてハルの家に行けない日はハルがこっちに来る、といった具合で。

つまり僕は日数の半分は体調を崩していることになる。

自分がまるで恥の塊であるかのように思ってしまう。


「身長は176、体重は量ってないんでわかんないすね、あとなんだ、足のサイズは27っすね」

「そこまで聞いてない……」


僕が話さないからか、ハルはずーっと話していた。

デッサンの手は動かしているようで、注意するわけにも……。


と、その時、インターホンが鳴った。

聞き慣れた宅配係の声に、緊張の糸が緩む。

何も頼んだ覚えはないが、実家から何か送られてきたという可能性もある。

こういう可能性に考えが及ぶようになったのは、きっと僕が前より大丈夫になっているということだろう。ほんの少し、誇らしげかもしれない。


「俺が出ようか?」

「……いい、大丈夫だから……」


2、3挨拶を交わし、大きな箱を受け取る。

思ったより重さがあるが、実家からのように米が10㎏入っている、ということはないだろう。あれは大変だった。主に消費するのが。


「なになに?Amaz○n?」

「いや……誰からかわかんないな」

「……開けないで、トーマさん」

「……」


冷たく低くなったハルの声に、軽く震える。


「あぁごめん、トーマさんに怒ったんじゃない、危険物かもしれないから」

「え……」

「俺が開けるよ」

「いや、それこそこどもが開けるようなものじゃ……」


僕の制止空しく、ハルは手際よく箱を開けてしまった。

何か飛び出して来やしないかと頭を抱えたものの、それはゆるやかに、でも確かに舞い散ったのだ。


「……花束、ですね」

「………………なに?なんで?誰が?」

「えーっと何かないか……あった、カードだ」

「………………なんて?」


ああ、きっと何か罰が当たったんだろう。

僕のようなやつが誇らしげになんかするからだ。

たったの少しでもいいことなんか、僕にあっちゃいけないんだ。

必ず、それ以上の不幸で海の底へ突き落とされることになる。


「ハッピー、セカンド……バースデイ?トーマさん誕生日がふたつあるの?」

「いや、知らない知らない……誕生日は去年来たばかりだし、全く心当たりもない」

「じゃあこの、戦神マルス、って名前には?」

「………………へ?」


家の中に誰かがいる。違う、これは記憶だ。脳が勝手に再生してる映像、幻覚だ。

だから大丈夫、大丈夫じゃなきゃだめなんだ。

でもおかしいだろ。声まで聞こえてくるんだぜ。こんだけ耳を塞いでるのに。


『よくあることだから』


誰だ僕の心臓をこねくり回してるのは。

心臓まで勝手に持って行こうとしないでくれ。

そこまで盗まれなきゃいけない理由もないだろう。



ぼくは、なにひとつもつことをゆるされないのか?





「…………」


知らなかった。


トーマさんが恐れるものが、まだあったなんて。

何が戦神マルスだ厨二かっての、アホくせー。


ガスコンロの火でカードを燃やした後、花束をコンポストに放り、念入りに混ぜ込む。死ね。消え果てろ。塵に還れ。そのまま記憶の彼方にぶっ飛ばされろカス。

トーマさんの頭にお前なんか、ほんの一部たりとも記憶させない。

トーマさんにお前は必要ない。


「トーマさんの傷を抉るような真似しやがって……」


わかってるよトーマさん。

物理的に殺しちゃだめだもんな。

それは一話完結の物語と一緒だもんな。

エンディングの後もずっと一緒に歩いていけないんじゃ、それはハッピーエンドと呼べないもんな。


「大丈夫だよ、トーマさん……俺がいるから」


トーマさんにとっての絵は、俺にとってのトーマさんだから。


トーマさんは絵を捨てちゃいけないし、捨てさせられるだなんて、もってのほかだ。





「……また、飛んでた?」

「体が休みなさいって言ってんだよ」

「休みまくってるけどな」

「ニートなの?」

「に、ニートじゃないし、職あるし」

「へへっ」


くしゃり、と顔を歪めて笑うハル。

いいなハルは。笑顔のレパートリーが多くてさ。


「……なに」

「トーマさんが話してくれた」

「……話くらいするだろ……それより、荷物は?」

「荷物?なんか頼んだの?」


は?

いや、言われてみれば嫌に現実感が薄かったけど……脈絡もなかったし。

あれ?もしかして、夢?

しんどい妄想しすぎて、白昼夢でも見てた?


「すげーうなされてたよ、トーマさん」

「え、うそ」

「俺、何回か起こそうか迷ったんすよね」

「ぁー……なんだ、よかった、夢か……」


なんだかもう、嫌になるな。

自分のアホさ加減とか、ネガティブさとか。

発作とは違う手の震えに気付き、そういえば昨日から何も食べてなかった、と思い出す。そんな僕の様子を察したのか、ハルがマグカップを差し出してきた。


「ね?甘いもんって大事でしょ?」

「……はは……そうだね、ありがとう」


僕はネガティブが抜けないし、正直、怖いこともまだまだあった。


「ん?」

「…………」


目の前のハルは、今もちゃんと基本のデッサンに挑んでいる。


カップには入れたばかりであろう温かいココアが入ってる。


僕がハルに何かを教えるほど、逆にハルから何かが流れ込んでくる気がする。

それはあたたかくてとても心地よいが、一定値を超えたらどうなるんだろう、と怖くもなる。逆に、ハルに何か悪いものが流れ込んでいないといいけど。


「トーマさん!」

「ん、な、なに」


にこにこ顔のハルが、嬉々としてこちらに駆けてくる。

あー、なんか正直怖い。何が怖いのか自分でもわからないけど、人間は未知を恐怖するって説もあるし、それかもしれない。すごい怖い。


「ジャーン!」

「……あれ?」

「500枚描き終わったー!次教えて!」


ぐらりと眩暈がする。


吸収の早いこどもというものは、時に大人を恐れさせるものだ。


「…………えっと、偉いな」

「へへっ」

「それで、えーっと……次は」

「次は?」


でもな、僕はお前ほどのキャパシティなんか持ち合わせてないんだからな。


「一回、休ませて……」

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