第4話 オーバーラップ



「トーマさんは」

「僕の話はしない」

「ちぇっ」

「……したくない」

「……じゃあしゃーないすね」


この花美堂ハルという少年は、本当に不気味だった。


まず、異常に器用なのに異常に絵が下手だ。

次に、わざとやってたんじゃあないのかってくらい、絵の上達が早い。

もう僕が教えなくてもいいんじゃないかと言うと、ハルはまた下手な絵を描いた。

見え透いた嘘だったが、思惑を掴み切れず、こうして付き合っている。


そして、いつも細かく言葉尻を掴む。

一応、僕のなけなしの意思を尊重してくれてはいるのだろう。

たまに揚げ足を取っているようにしか聞こえないのは腹立たしいが。


「……僕なんかが描く絵のどこがいいんだか」

「そりゃ魂で感じるとこっしょ」

「僕にはわからない感覚だな」

「ウッソ!トーマさんわかんないの!?」


こんなに気持ちいいのに!?と言われても、やっぱり不気味だな、としか思えない。


なんだコイツ。なんなんだコイツ。


「キレーな景色を見た時ってさ、震えるっしょ?」

「……うん、まあ」

「そんなカンジ」

「……はあ」


よくわからないけど褒めてくれているようだ。


だが、しかし。僕は褒められるのが嫌いだ。


絵は僕と絵の間でのやり取りに過ぎず、そこに他人の意識が介入してくるのが大嫌いで仕方がなかった。元々人に見られたい訳でもなし。

感想と称して自分の意見を押し付けてくる輩も嫌いだし、あまつさえ、「好き」とさえ言っていれば何をしてもいいと思っている連中も。


その度に僕は僕自身や僕の持つ世界を侵されているような、少しずつ削り奪われているような感覚……恐怖で満ちていた。


この人たちはいつ僕を殺すんだろう。

いつ僕に牙をむき、唾を吐きかけるんだろう。


そう思わずにはいられなかった。


だからもうきれいな景色なんて見たくないし、そんなものを観る目だって潰してしまいたかったし、きれいな音楽なんて聴きたくないし、そんなものを聴く耳だって切り落としてしまいたかった。

色を纏った温度を感じることも、無造作に記憶を掻き乱す匂いに惑わされることもしたくなかった。だから僕という存在そのものを何も感じないように想わないように何もかも消してしまいたかったのに。


「いいね、その目が」

「……は?」


ハルはいつものニヤニヤをやめ、ゆったりと俯いた。

その翳に、僕の脳内が金属音に似た警報を鳴らす。


「『……僕には理解できないな』みたいにさ」

「やめろ!!」


考えを挟む間もなく、勝手に口が回る。


「えっ、ちょ……」

「やめろやめろやめろ!!僕を騙るな!!僕を演じようとするな!!僕を奪うな!!僕と同じことをしようとするな!!」

「トーマさん!」

「僕から何も奪わないでくれ……」


ぶつん。


そんな風に気を失うことがあるだなんて、思いもしなかった。





「大丈夫?トーマさん」

「……………………」

「ごめんね」

「いい」


また胃の中身を吐き散らかした気がするが、部屋はきれいさっぱりといった風体だった。窓から凍てついた風が入り込み、意識をほんの少しだけはっきりさせる。


あの時から、だ。

ずっと、頭にクライオバルーンでもしかけられたかのように意識が堰き止められている気がするのだ。精神の防衛反応なのだろうか。考えることもままならず、動くこともままならず。死んだようにただ無意味に生きていかなければならないのだろうか。


「トーマさん?」


ハルは”これから”の人間だ。

道々のすべてが拓けてめいっぱいに自由で未知で期待と希望に満ちていて。

未来のすべてがハルのためにあり、そのすべてをハルには受け取る権利がある。


対する僕は”終わった”人間だ。

終わることを望まれ、春のために在る、名前の通り冬のように閉じた存在。

命は死に絶え、時も動かず、停滞し不安だけがわだかまっていて。


ハルはこれからすべてを吸収するべき人間で。

僕はこれからすべてを譲与するべき人間で。


僕という存在も?

個とした僕という存在も明け渡さなくてはいけないのか?


さっきのハルの見せた顔に声。


いつか鏡で見た自分にそっくりだった。ふと鏡があることに気付いて、ああ、僕ってこんなに暗い顔をしてたんだ、と思い直したはずなのに。


正直、今でも震えが治まらないし、吐きたい気持ちでいっぱいだ。


こわい。

ハルがこわくてたまらない。



消えたい、死にたい、そう言っておきながら。


僕は、自分が奪われるのは嫌だ。


「……トーマさん泣いてるの?」


朝も昼も夜も変わらず死にたくて、体は重くて。


どうして世界はこんなにつらいんだろうって、苦しくて。

生きていたって、いいことなんて何もない。

いや、違う。少しはあるのだろう。

ただ、不幸に耐えうるほどの幸福など存在しないだけで。


ふつうって、どんな風に生きたらなれるんだろう。

ふつうに生きられたら、こんな風に苦しみ続けて生きることもないのだろうか。

でも、いまの僕じゃふつうでいることが苦になるんだろう。

どこだ。どこで間違ったんだ。どこからやり直せば生きられるんだ。


たまに、きれいごとを渡してくれるひともいた。

ただ、だからどうしたらいいのか、どう受け取ればいいのかわからなかった。

僕に当てはまらないかたちで構成されたそのきれいごとを、僕にぎゅうぎゅうに押し込めようとして。

なにも響かないどころか、少し痛いんだ。

だって、それは僕に与える言葉を自分で考えることもしないだろう?

あらかじめなにかの形に整えられた何かを、僕の内面をなにもかも無視して。


わかってるよ。

そんなこと言わないよ。言えないよ。


ただ、きみにとって僕って、そんなにどうでもいい存在だったんだね。

そう、思うだけで。


そんな言葉で救われるような人間に見えたのだろうか。

きみは僕の何を知っているんだろう。

知ろうともしなかったくせに、どうして綺麗事を押し付けるんだろう。


「トーマさーん?」


ああ、いっそ海外に亡命しようか。

誰も僕を知らない土地に行って、誰にも知られず死んでいきたい。

だめだろうな、違う国の人間ってだけで変に見られるだろうから。


どうしたら楽になれるんだろう。

生きてるだけで、勝手に理想を押し付けられて、勝手に失望される。

生まれてきたのが間違いだったんだ。生まれてさえこなければ、こんなこと知らずに済んだのに。なんて、遠方にいる両親に行ったら泣かれるだろうな。下手したら一生抱え込むだろうな。下手な事言えないな。今年はなんとか理由があったから帰省しなくて済んだな。でも来年はどうしよう。もう来年の心配か。


僕の人生ってなんだったんだろう。人に奪われるために生まれてきたのか?

精一杯積み上げたものを、上半分だけ理不尽に奪われるために。

じゃあ、僕ってなんなんだ、って話に戻るじゃないか。


「トーマさん!!」

「わっ!?なに、ハル……」

「ちがうこと、しよ」


仰向けに床に転がるハルがそう笑った。

いつものニヤニヤの顔だった。

僕が嫌がったからだろう。


「ちがう、こと?」

「そ。ちがうこと」

「えーっと……絵の練習じゃなくて、ってこと?」

「そーそー」


じゃあ僕がここにいる意味がないじゃないか。

帰っていいってことだろうか。

というか今何時だろう。

そろそろ取り掛からないとやばい件があったような……。


「そうだな、仕事するわ……じゃ」

「え!?そっち!?」


わーわー喚くハルを横目に、そそくさとハルの家を後にする。


いつ来ても家族とすれ違わないが、ちゃんといるんだろうか。


「じゃあ、仕事が片付くまで例の練習は続けるように」

「えー」



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