第3話 月の裏側



「……なに、やってんだ?」

「あ、トーマさん」

「……ドロップ?」

「自分で作った方が安上がりなんすよ」


原価聞きます?なんて宣うハルを素通りし、二階にあるハルの部屋に上がる。


……が、ひとつ気にかかりキッチンに逆戻り。


「じゃあ、なんでハッカが入ってんだよ」

「だって、トーマさん好きでしょ?ハッカ」


好きというわけではなく、ただ単に吐き気対策で選んでいるだけだ。

ただ、質問と言葉数の多いハルに説明など面倒すぎてしたくない。


「ウワー、アリガトー……」

「どいたま」


左目の下が痙攣しているのが自分でもわかる。

片側の口角が上がっていないのが自分でもわかる。


ハルは、何が楽しくて僕なんかといるのだろう。

もう、笑顔だって作れやしないのに。





時は少し戻る。


「じゃあまず、ハルがどんな絵を描くのか見せて」

「トーマさんの絵はもっとないの?」

「ない。僕の話はしない。いいから出せ」

「はい」

「………………」


小学生かお前は。


Uの字に線を引いた頭、三角形の胴体にきしめんのような手足に芋虫みたいな指。

普段他人の作品に優劣つけない僕でさえ破り捨てたくなるような絵だ。


「……わざとか?」

「だから言ったじゃないすか、初心者なんすよ」

「……写実画でもない限り、絵に上手い下手は存在しない……と、言いたいがな」

「それ、下手って言ってます?」

「無味無臭、って感じ。飲み物に例えるなら水道水、食べ物に例えるなら味のない寒天か何かだろうな……この絵からは何の感情も感じない、何も響かない……お前はこれ、何を思って描いたんだ?」

「え?バズれ。みたいな?」


くだらない。

動機は違えど、傍から見たら僕も同じだったんだろうな。


「……その目が」

「なんだ」

「たまにそういう目、するじゃないすか」

「知らん」

「へへへ」


気色の悪いこどもだ。

何が楽しくて人生悔やんでる野郎に教えなんか請うんだニヤニヤしやがって。


「まったく教えたいという気持ちにならない」

「えー!!ひどくないすかそれ!!」

「第一、僕にメリットがないじゃないか」

「金か!?」

「せめてやりがいのようなものがほしい」


ハルは珍しくまじまじと考えた後、今まで以上にニヤリと笑った。


「代わりに、殺してあげる」

「……へ?」

「苦しくない方法で、トーマさんの死にたい時にいつでも」

「………………」


苦しまずに死ねるって?

いや、願ったり叶ったりだ。


「よし、じゃあコピー用紙を買ってきなさい」

「え?」

「お金あげるから、買ってきなさい」

「は、はぁ」


なんて愉快なんだ。

だんだん笑えてきたぞ。


「ふふっ」

「おー…」


痛い。ほっぺが攣りそうだ。

慣れないことなんてするもんじゃないな。


とりあえず吐き気を催さない程度に基礎を叩き込めばいいだろう。


世間はそのくらいしか求めてないんだから。

消費することさえできればいいだけの、お手頃な娯楽だ。

悪意にまみれたら廃棄するだけでいい、実に簡単な。


「ははは……」

「その目その目……」

「早く行きなさい」

「はーい……」





「えぇ~!!デッサンん!?なにそれ!!」

「美術の授業でやったろ、静物をデッサンしろ」

「絵なんてかわいい女の子描いときゃバズるじゃないすか!!」

「僕には同じことを二度言わせるな。やれ」

「はい!」


しぶしぶ取り掛かり始めたハルの後ろから、あれこれ口を出す。

というか、出さないと脱線しまくる。


「いいか、物事の見方を正しく身につけろ」

「ただしく……」

「布には布の、紙には紙の、鉄には鉄の質感がある……ハンターハンター、読んだことないか?」

「ないっす」

「…………あー、見なくても正しく描けるようになるまで練習するんだ」

「え~……飽きるー」

「やれ」

「はい!」


どうにも心ここにあらず、といったタッチだ。


「ハルは何が描きたくて絵を選んだんだ」

「バズ…」

「それはもう聞いた。バズるだけなら絵じゃなくてもよかったろ?」


なんでよりによって絵なんだ。


「……決定打は、トーマさんの絵を見てからっすね」

「……は?」

「俺、正直なんの要望もなかったんですよ」

「よ、要望?」

「生まれてからこれまで、特に何に心を動かされることもなくここまで来たんですよね。卒業式だとか転校する友達だとか、流行りの物語でさえ何も感じない」


くるりと振り返るハルの視線とぶつかる。

僕は正直、この爛々と光る目が苦手だ。


「でも、トーマさんの絵だけはこう、魂に感じるものがあった」

「あー……はは、は」


正直、聞き飽きたセリフだ。

誰もがそう言って、でも最後にはどうでもいいと捨て去った。


どうせおまえもそうなるんだろう。

僕は知っているんだからな。


「それで俺、自分の中に何があるのか知りたくなって」

「…………それならまあ、いい」

「いいんすか!?」

「え、なんだよ気持ち悪いな……」


これだから他人は。


「俺、頑張りまーす」

「あー、そうか」

「月の裏側って、こういうことですよね?」

「違うけど」

「違ったかぁ…」


根が素直なのか、ハルは僕の言うことに逆らわなかった。

コピー用紙を使い切るまでは今の練習を続けるはずなので、僕も休めるだろう。



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