かの名を知る者よ

「【驍黒】アーテル・ナノアール。御前へ」 


 フォルテム帝国、帝城内。

 帝都の中央に聳える白亜の城で、玉座の間に緊張が走っていた。


 その原因は、Lv8探索者であるアーテル・ナノアールが持ち帰ったある情報が故だ。


 パーティーメンバーすら連れず、単身で皇帝に傅くアーテル。

 荘厳な玉座で頬杖を突くのは、まだ年若い青年でも通る美丈夫だ。

 フォルテムの皇帝、オルドルム・フォン・フォルテム。

 力んだ様子もなく、足を組みながら手で報告を促す。


「報告を」


「はっ」


 皇帝が口を開くだけで肩を揺らす騎士たちを尻目に、アーテルは淡々と、克明な報告を始めた。


「勅命の下急行したグリフィル神聖国領内、凍結したグリフィル樹海では、やはり災害ではなく魔力的要因によってあの状態になったようです」


「……レッタムとアグリナは」


「皇太子殿下、皇女殿下を攫った者の足取りは掴むことができませんでした。同時に、ヘルヘイムについての詳しい情報も」


 皇帝の張りつめた声に、アーテルは怖じ気ずにはっきりと返す。

 それに目くじらを立てたのは、帝国所属の騎士団小隊長の男だ。


「掴めなかっただと!? 貴様、それでよくもおめおめと帰ってきたものだな!?」


 アーテルは口の中で舌打ちを一つ。

 この男は、皇帝が度々探索者へ協力要請をすることをよく思わない騎士派閥の一人なのだ。

 

 アーテルにしてみれば頼られないのは本人の実力不足以外の何物でもない。それを棚に上げている騎士のなんと面倒なことか。


 正式な場で糾弾の機会を得た男は、水を得た魚のように言葉を募らせる。


「だいたい、騎士たちが血眼で見つからなかったものを探索者パーティーだけで見つけようなどと言語道断! 我が帝国の騎士たちへのぶじょ――――」


「――――報告の途中だ。俺の耳を汚すな、シューゴ」


「へ、陛下っ、しかし」


「二度言わせるな。アーテル、続きを。お前が手ぶらで帰ってくるとは思っていない」


 確かな信頼を滲ませる皇帝の言葉にアーテルは再び深く頭を下げ、シューゴと呼ばれた男は苦虫を嚙み潰したように表情を歪めた。


 アーテルは先ほどより声量を上げ、ここからが重要だと言わんばかりに話し始める。


「件のグリフィル樹海凍結を調査後、私たち『驍勇の槍』は付近の探索者の街・ガートにて『戦地の檻』という秘境での異常事態を確認、及び急行いたしました。そしてそこには―――――かのヘルヘイムが、確かにいました」


 静謐な玉座の間に響き渡った報告は、聞いた者の思考を止めるには充分だった。

 まさしくそれは、帝国が喉から手が出るほど欲していたヘルヘイムの内部情報に他ならないのだから。


 だが、


「ふ、ふざけるな【驍黒】! 貴様は先ほど情報を掴めなかったと言った! しかしそれは……っ」


 言葉に詰まったシューゴに頷くと、アーテルは皇帝を見上げる。

 皇帝は変わらず目を閉じながら、先を促している。


「しかしこの先は、皇帝陛下だけのお耳に触れさせていただきたく」


「貴様ッ! この期に及んで」


「良い、シューゴ。アーテル、近くに」


「失礼いたします」


 腰を下ろす皇帝に近づくと、アーテルは聞いたままを耳に入れる。


『我が名は屍王――――のヘルヘイムの主だ。帝国……フォルテムの探索者よ。我が名をフォルテム皇帝に伝えるがいい。そして偽のヘルヘイムの存在もな。皇帝以外に口外した場合、それ相応の報復を用意しておく―――――賢明な判断を、期待しているぞ』


 名前、真実のヘルヘイムという判然としない情報。

 さらに、氷魔法の痕跡があったことなど、事細かに。


「……恐らく、グリフィル樹海凍結の関係者であることも確かです。…………そ、それと」


 歯切れの悪いアーテルに、皇帝が顎をくいっと動かし言葉を促す。

 目を伏せたアーテルは、いろいろな感情をない交ぜにしたような顔で声を潜める。


「――――ニーズヘッグが、離反いたしました」


「―――――」


 目を見開く皇帝に肩をびくつかせたアーテルは、しかし言葉を止めることを許されていない。


「かの男を王と呼び、随伴していきました。あのあほドラゴンをあそこまで懐柔するのは……かなりの実力者であることは確かです。恐らく、【襲王殿】クラスの」


 とても皇帝以外には聞かせられない悲報の濁流に、言っているアーテル自身嫌な汗が背を伝う。


「――――ほう」


「ぇ?」


 ―――だというのに。


「下がれ、アーテル。数々の有益な情報。さらに、我が勅命を勇敢にも果たした褒美を期待するがいい」


「へ、陛下……?」


「レッタムとアグリナの捜索はより力を入れて続ける。動員数も増やし、Lv9の探索者への招集も掛けろ。以上だ」


 玉座の間に漂う緊張感など知らないように、皇帝は玉座を立つ。

 

 皇帝が去った後、アーテルを案内する使用人が話し出すまで、誰も口を開くことができなかった。


 なぜなら、


「陛下があんなにの……初めて見た」


 アーテルの言葉が、全員の総意だった。




■     ■     ■     ■




 玉座の間を去った後、皇帝はすぐに使用人を傍に呼んだ。



「セラーから、ワインを取ってくれ」


「は、はい?」


「勅命だ、急げ」


「――――は、はっ!」


 血相を変えた使用人が、おずおずとフォルテム皇帝に伺う。


「と、ところで、銘は……?」


 使用人はそう聞きながら、皇帝のかつてない上機嫌に首を傾げる。


 皇帝はニヤリと口端を釣り上げた。


「―――200年物のワインだ。『オルドミナ・シオー』」


「ッ!? す、すぐにッ!」


 すぐさま城の地下のセラーに急行する使用人。

 傍で聞いていた他の城の人間にとっても、その名を知らない者はいない。


 曰く、皇帝が城内でもっとも価値を高くつける物の一つ。


 若かりし頃の、約束の品だという。




「帰ってきたならすぐに顔出せよ……ったく。……子供探し手伝えって言ったら、怒るかな」



 緩む口元を手で覆いながら、皇帝は天を仰いだ。





■     ■     ■     ■





「屍王……屍王だとッ!?」


 ドンッ。


 老人が壁を叩く音に覇気はなく、叫ぶ声もしわがれて弱弱しい。

 管がいくつも付いている身体は骨が浮き、生きているというより生かされているという印象が色濃い。


 石壁に影を移す橙色の炎の明かりが、彼の表皮に汗を浮かべる。


「ええ、ええ。屍王が、帰ってきました。間違いなく」


 老人の側でほくそ笑むハットを頭に乗せた男は、悪辣に息を吐く。


「しかし今、この世界でヘルヘイムは悪逆の象徴。かの王の居場所はありません」


「―――奴を王と呼ぶなッ! ごほっ、ごほっ」


 ひゅーひゅーと音が漏れる息をしながら、老人は忌々し気に、かの名を呼んだ。



「屍王ぉ……ヒザキィィィイイイ!!」

 












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