色褪せた世界
神樹ユグエル。
大陸中央から全土に根をはる巨大樹は、見上げても雲に霞むほどの全長を誇っている。
その足元に日が注がれない程に広がった枝葉は、ユグエル上部までたどり着いた者たちの道になるほどに頑強に育ち、神樹の上部は一つの文明が築けるほどに広大で神秘に包まれていた。
人も獣も、悪魔でさえも寄り付かないユグエルの上部で、踊るように軽やかな足音が響く。
足音の主は、それに見合わない鬱屈した顔で地面――神樹の枝を蹴る。
道の代わりになるほどのしっかりとしたそれは蹴り一つで揺れるわけもなく、つまらなそうに音を鳴らすのみだ。
「…………つまんな」
可愛らしい声で、吐き捨てるよう低く呟かれた。
虚ろに近い、色を失くして久しいその眼は変わり映えのしない景色に唾棄する。
神樹の頂点に座することを役目とされ、遂行するだけの毎日。
することもなく、地上を見ようにも100年以上繰り返されるのは人間の争いが大半だ。血の色はいつしか無色透明に映っていた。
神樹の守衛、フレスヴェルグ。
天をそのまま映したような薄青、空色の髪色。
幼い肢体を露出多めの服で包みながら、風を纏って神樹を踏む。
風に揺られて揺れるハーフツインの髪型は、大昔に褒められてからそのままだ。
「……ヘルく~ん」
およそ感情の無い声で平坦に言葉を投げ出す。
返ってくることなど無いとわかっている。
女々しい自分の行動に悔し気に顔を歪めるのは、彼女の生来の性質故だろう。
きっと、同じようなことを大嫌いな者たちもしているだろうから。
半天半魔の半端女。頭の足りないあほドラゴン。
一緒にいた時から仲が悪かったくせに、想う者は同じだった。
屍王ヘル。
随分前に忘れることにしたはずの名前は、どうしようもないほど脳裏に沈着して離れてはくれなかった。
「…………きっも」
吐き捨てられた一言。
矛先は、今更その名を口にした自分に対してか、自分たちを置いて消えた屍王に対してか。
その真意は、フレスヴェルグにすらわからなかった。
思い浮かぶのは、一つの館で暮らした日々。
王がいて、いがみ合う同僚がいて、友がいて……頼れるはぐれ者たちの寄せ集め。
『見る』ことを生涯の役割として生まれてきたフレスヴェルグを退屈から引き上げた、鬱陶しいまでの繋がり。
王を中心としていたそれは、王の消失と共に消え去った。散り散りになった。雲散霧消した。
退屈に引き戻されたフレスヴェルグは、まるで夢から覚めたように再び観測を始めることしかできなかった。
男性陣は大陸でも著名な要人として名を馳せた。
女性陣は不可侵の生物として世間とは断絶した。
フレスヴェルグもその例に漏れない。
「……ガルちゃんにでも会いに行こっかな」
勝気な釣り目になおも退屈を浮かべながら、友の一人の名前を小さく溢す。
しかし、口にしただけでそこまでの確固たる目標にもならない。
産まれた瞬間から刻まれた制約。
神樹から離れるにつれ弱体化する業を背負いながら、風を操って宙に身を投げ出した。
神樹が霞むほど遠くに行くと、存在ごと抹消されかねない自壊の制約。
「……もういっかな、別に、なんでも」
ガルムに会いに行く、という名目で神樹を離れる。
目的が無ければ神樹から離れることすらできない自身の宿命に薄く笑う。
「ぜ~んぶ、壊れちゃえばいいのに……ね」
放浪して、ヘルヘイムの誰かに会えたら。
「消えちゃおっかなっ。うん、それでいいじゃん! 名案!」
強い目的が無いまま、神樹から遠く離れるだけで消えることができるのだ。
退屈から、寂寥から、逃げ出してしまえるのだ。
「じゃ~あ~……最後に馬鹿な人間たちからかって、好きなことしよ~っと!」
取り繕って元来の溌溂さを張り付けたフレスヴェルグは、人の欲望が集まる場所へと足を向けた。
これは、屍王が帰還の狼煙を上げる、少し前の一幕である。
「にひっ」
彼女を退屈から掬い上げる手は、再び不夜国にて伸ばされる。
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