戦の行方
北条綱成
〜人物紹介〜飛ばしてもOKです
関東大戦(一話〜十話)の登場人物・北条家(セリフがあった人)
北条氏邦(1548〜1592)
この話の主人公。勇猛盛んで冷静に戦況を見極められる将。
小田原征伐後に前田利家に仕えたとされている。軍事にも内政にも優れていた
北条氏直(1562〜1591)
氏照、氏邦、氏規の甥。氏政の息子で、北条家5代目の当主。判断力があったとされるも、病弱で家臣に任せていたとも。
小田原征伐後には、高野山に登るも、その翌年に病死する。
北条氏政(1538〜1590)
氏照、氏邦、氏規の兄。北条家4代目当主。
北条家の版図を最大に広げるも、小田原征伐により、豊臣秀吉に敗北。戦後は、大道寺政繁、松田憲秀、氏照とともに自害する。
北条氏照(1542〜1590)
北条氏政の弟、氏邦、氏規の兄。
北条家の軍事専門。築城の技術があり、八王子城を建築したとも。小田原征伐後は、氏政らとともに切腹した。
北条氏規(1545〜1600)
氏政、氏照の弟、氏邦の兄。北条家の外交担当。幼い頃、駿府に住んでおり、当時人質だった家康と幼馴染だったともいわれている。
小田原征伐後は、秀吉に仕え、北条の家名を後世に残した。
大道寺政繁(1533〜1590)
北条家重臣、松井田城主。御由緒家(初代北条早雲の家臣の7家)の一つ。大道寺家の当主。小田原征伐では松井田で戦うも、敗北。以後は豊臣家の道案内をし、小田原陥落後、不忠によって自害させられた。
大道寺直繁(生没年不詳)
政繁の嫡子。小田原征伐後は、父と違い助命されるも、氏直に従い、高野山に登る。
その後、徳川秀忠に支えたとされる。
松田憲秀(不明〜1590)
北条家重臣。主に外交を務めていたとされている。小田原征伐の際、寝返ろうとするも、失敗。戦後、政繁とともに切腹する。
松田康長(1537〜1590)
憲秀の親族。他の松田とは違い、忠義者の松田。初戦の山中城の戦いで間宮康俊とともに奮戦し、討ち死にする。
間宮康俊(1518〜1590)
玉縄衆。歴代玉縄北条家に仕えたとされる。
小田原征伐の初戦、山中城戦いで七万の豊臣軍にぶつかり、一柳直末を討ち取るものの、衆寡敵せず討ち死にする。
清水康英(1532〜1591)
下田城主。水軍を率いたとも。5備のうち、白備。小田原征伐では、大軍を相手に50日余り抵抗するも、降伏。翌年、ひっそりとこの世を去った
藤田泰邦(1522〜1555)
氏邦の義父。福の父。本作ではすでに死亡しているはずのものの、作者が間違えて出してしまったためになぜか存在している。
すいませんm(_ _)m
由良国繁 (1550〜1611)
桐生城主。小田原征伐の際は小田原城に入城していたものの、母、妙林尼が秀吉に属していたため、罪に問われなかった。
笠原正尭(不明〜1590)
松田憲秀の嫡子。武田に一度内通したことのある問題児。小田原征伐では、父とともに秀吉に内通するも、弟の直秀にバレ、殺害される。
猪俣邦憲(不明〜1590)
松井田事件の張本人。沼田城代。
小田原征伐後は罪に問われ、磔に処される。
福(1541〜1593)
本名は大福御前。藤田泰邦の娘で氏邦の妻。
小田原征伐後、先行きを不安視して自殺したとされる。
風磨小太郎(生没年不詳)
北条家に代々仕えた忍者、風磨衆の長。
小田原征伐時は、抵抗するも、小田原が包囲されてからは消息を消す。
遊郭、吉原を作ったとも、高坂陣内に江戸市中で捕まり、殺されたとも言われている。
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