第2話 斜陽

「んで、お嬢さん、君は僕になんの用があるんだね。」

「え…、っと、だから!私を殺して!」


少女は、華奢な身体から精一杯の声で叫ぶ。

それであるのに、男にはその言葉の真意は届いていないようだった。溜息混じりでチョコレートを噛み砕く。


「だからぁ!僕は殺し屋じゃぁない!自殺屋だよ!」


部屋に入ってきた時に感じていた、妖怪のような、鬼のような歪な雰囲気はもうしない。


「あ、じゃあ、私の自殺を手伝ってください。」


先程まで、不服そうだった男のが、にやりと微笑み、そして、漆黒の瞳を光らせた。

その視線は手元の資料から、少女へと、完全に移った。じーっとみると、しばらくの静寂が部屋を覆う。

少女は、何もかも見透かされているような気がして、焦った。目を閉じれば、真っ白な空間が広がって見えそうだった。


「わかった。では、君、そこに腰をかけなさい。」


少女は、しどろもどろしていたが、出されたチョコレートと、紅茶を飲んで何とか気を抑えた。


「んで、改めまして、僕は、十六夜という名前で活動している。職業は、自殺屋だ。君は?」


──────自殺屋とは、自殺志願者によって自殺委託されると、その自殺を手伝う者である。手伝いとは、遺書の正確な受け渡しや、遺産分割などの手続きから、実際には志願者を確かに殺して、自殺に見せかけることまでする職業である。


「私は、葵っていいます。星野葵です。」


「君、年齢は、何歳?」


「9歳です…。」


「そうかい。小学四年生か。」


十六夜は、ふーんと特段驚いた素振りも見せずにいた。


「それで、依頼内容を詳しく聞かせて貰おう。」


葵は、ごクリと息を呑んだ。覚悟を決めたように、大きく頷くと、口を開いた。


「私、幼い頃からずっと父親から虐待を受けてるんです。仕事が遅い、母親が帰ってくる前に、殴られたり、蹴られたり、あ、もちろん、それは服を着たら、見えないところです。私は何度も何度も母親や、担任とかに助けを求めたんですよ。一回は警察の注意を受けたんですけど、その、私の行動を知った義父は、同じことをすれば今度は私の弟に手を出すと言いはじめて…。それで、お母さんも、私が起きている時間、帰ってこなくなっちゃったんです。そこから、だんだん義父の虐待はエスカレートされていって……。」


葵は感情的になったが、決して彼女の頬は涙です濡れなかった。不自然なほどに怒りの感情のみが、今の彼女の唯一の原動力であった。


「先月、強姦されました。」


葵の瞳は、少女の瞳ではなかった。世の理不尽、不条理に対した憎悪の権化だった。


沈黙が生まれた。ビル風が、扉を叩く音が聞こえる。時計の針のチックタックという、リズムが嫌に耳に残る。


「それで、私の自殺を手伝ってください。」


葵は、勝ち誇った顔で、何かを成し遂げたときに子供が見せる笑顔そのもので、十六夜を見た。

十六夜の表情は、死神のそれであった。


「料金は、高くつく。1000万円だ。払えるか?」


当然の疑問である。


「そのことなんですけど、私の臓器を売ってください。臓器って高くつくんですよね。本で調べてきました。全部で5000万円くらいって聞きます。余ったら、ここの銀行口座に入れてください。」


葵はあらかじめ、書いていたメモをポケットから取り出した。


あまりの用意周到な葵の行動に、十六夜は目を細めた。


(おいおい、最近の小学生ってここまで、執拗なのか、灰原◯じゃねぇよな?アポトキシン、いつの間に開発されたんか?)


小学四年生に劣っているという、自明の敗北感を無視して、とりあえず冷静を保つ。


「振込先は葬儀場と、お墓です。生きている時、幸せを知らなかった分、死ぬ時くらい、幸せにって、申し込んじゃいました。」


その笑顔は、何かを恐れているかのようなものであった。顔の筋肉が引き攣っている。


「わかった。」


ではっ、と言いながら紙を取り出して、葵に契約書を渡した。


彼女が作業している間、不思議な空間に部屋は包まれた。唯一の灯りが、男と少女の存在をわずかに証明する。少女は、死ぬために筆を走らせ、男はゆったりと目を閉じてくつろぐ。この世にさよならの挨拶を告げるものは自分の過去を振り返り、この世に残るものは己の未来を案ずる。それでも、前者も後者も同じ空間にいることができる。歪で、汚くて、理不尽で、それでいて美しい現実から離れた、静かで、静かで、静かな、それでいて、醜い世界だった。


十六夜は書き終えた、契約書にさらっと目を通した。


「死ぬ前にしたいことはあるか?」


葵は、少し考える間をとる。


「いや、大丈夫です。一刻でも早く、この世にさよならをしたいのです。」


そう、言うと、大きく息を吸った。


「では、明後日、昼頃にこの場所で。」


葵が、外を出る頃には、陽が落ちかけていて、ビルの隙間から斜陽が、わずかに確認できた。


「大丈夫、大丈夫、これで良かったんだ。」


そう、呟きながら、元来た道を辿り、大通りに戻った。


夕陽に照らされて、さらに赤みを帯びた街路樹が彼女の帰りを迎えていた。










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自殺屋の存在証明 @Liliynomori

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