7 善意と悪意の狭間で
「はあっ、はあっ、はあっ」
涼太は浅く呼吸を繰り返した。床にへばりつくようにしている。頭上には4頭のサメが回遊している。おそらく残りの2頭は怪我をしている西村の方へ。多量に血が出ているだけ、こちらに分が悪い。
心臓が破れそうに痛い。抑えても飛びだしていきそうだ。生きる、大丈夫、絶対大丈夫。
いい聞かせるように繰り返している。
海中にいるというのに激しく汗を掻いて、スーツの中は湿気っていた。
「どっちが先に死ぬかな」
「どっちかな」
「どっちだろう」
「オレ、それとも西村、それとも……」
「どうでもいい!」
涼太は叫んでいた。声は止まる。焦った。誰も初めから喋っていなかったのだろう。
静まりかえったインカムに声が聞こえた。
<ブレイク!>
心臓を鷲づかみにされた。
<サメが一頭追加されました>
自分だと思った。
向こうの角に血が見える。誰かが失われたのだろう。
(残りは4人、向こうもそれなりに消耗してるはずだ)
神経戦に頭がどうにかなりそうだった。
「先にこいつを狩ろう」
西村の冷たい声が聞こえた。
山本の逃げ惑っている声がする。
そのあとすぐ、ブレイクが聞こえた。
サメはすでに8頭いる。たぶんどこにいっても行き当たる。
涼太は覚悟を決めた。パイプの上に立ち身がまえる。
<ほう>
久方ぶりに矢代の吐息が聞こえた。
「いいんですよね」
<当然だ、ルールにはないからね>
そうやり取りすると向かってきたサメにあえて身をさらけ出して、立ち向かった。
大きすぎる顎が開く。
(あの人はやっていた。出来ないはずないだろう!)
目をぐっと見開いてそのタイミングを逃がさず嗅ぎとる。
サメの尖った鼻っ柱を、身を低くして一閃の内にナイフでえぐった。血がばっと散る。
(いった)
血を吹いたサメに周囲のサメが群がる。眼前で激しい共喰いを始めた。なんという臭気だろう。胸を掻きむしりたい衝動にかられた。
<ブラボーだよ。やればできるもんだねえ>
矢代の満足そうな声が聞こえる。それには反応せずにもう1頭。涼太は狙いを定めた。
◇
「くそっ。まだか。やめろ涼太くん、早まるんじゃない」
パソコンに向かって浅井は悔しく吐いた。運よくサメを狩ったがそうそう上手くいくものではない。怪我をしていることも気がかりだった。
「近いです!」
航海士の叫ぶ声が聞こえた。
「準備しろ、インテリ」
防弾チョッキを着こんで甲板に出た。潮風が頬を打つ。
遠くに豆粒のような船体が2つ並んで見えている。タンカーだ。距離は目視できるくらいでまだ遠い。
「間に合うか!」
船体が豪快に沈んで、一気に跳ねる。波飛沫が空に爆ぜた。
◇
サメを狩っている間に西村が甲斐田を殺した。女の断末魔が耳奥を打った。じつに耳障りな叫びだ。どうしてヤツはこんなに狩れるのだろう。
涼太はすでに3匹のサメを狩っていた。もう、余力はない。
神経が限界にきていた。
弱ったさまなど見せたくなかったが、荒い呼吸は他のものにも伝わっているはずだ。
西村が遠くから泳いでくる。2人対面すると笑んだ。笑っているのに怖い、そう感じている。
「サメは殺せたね。でも、キミは人を殺すのが、怖いんじゃないのか」
問いかけられてなにもいえなくなった。
「船でキミを見ていたんだ。品行方正、礼儀正しく、利発。よく物事をみている。極めて頭のいい少年だ。きっといいご家庭で育ったのだろう」
拳をにぎった。周囲にはサメが徘徊している。腕の血は流れ出ないように懸命に押さえつけているが、それでも漏れ出ていた。
「こうしようじゃないか。取引しよう。2人で一緒にあがるというのはどうだろう」
「えっ」
一瞬思考停止した。この男はなにをいい出すんだろう。
「そんなこと…………できるん……ですか」
すると男の口元が残酷に吊りあがった。
「ドラマの見過ぎだよ」
ぞっとするとナイフを腹に構えて突きにきた。切っ先は腹部を裂く。幸い血は出なかった。
「キミはたぶん死ぬだろう。だが、オレも死ぬ。借金取りのやくざに殺される。勝ても負けても死ぬのなら、1秒でも長く生き残りたいだろう。ええ!」
「くっ」
相手の猛追は止まらない。視界にサメを捉えながら西村の攻撃を避けている。限界だった。
「これ以上続けるのは不条理だろう。ゲームをしないか」
西村はぜえぜえと息を荒立てていた。
「あんたとは取引しない。絶対に」
涼太は刃先を初めて人に向けた。西村が覚めたような顔をする。
「怖いんだろう、殺すのは怖いんだろう」
そう、確かに怖い。でも。
静かに呼吸して父を思った。自分は父の消息を知るためにここにきた。家族を大事にしていた優しい父の最期のあの……
幻想のなかに父の声が聞こえた。
――涼太、水泳を続けなさい。
そのまま切っ先をふりかざした。
<ブレイク! シャークファイトの勝利者は永山涼太です>
最後のブレイクが叫ばれると涼太は牢獄の上へと引き上げられた。周囲が湧き立っている。拍動が止まないなか、スタッフが取り囲む。
5億円のアタッシュケースをにぎらされると、手厚い歓迎を受けた。
「涼太くん、優勝したよ」
「よかったね」
「見事だった」
大の大人に取り囲まれて、喧騒の中心にいる。花火やら、激しいものがどこか遠くで鳴っていた。アタッシュケースと一緒に笑顔を作れといわれたが疲れ切って頬が動かない。カメラに向かって、おざなりな笑顔を浮かべた。
撮影が終わると同時に、矢代がタンカーから降りてくる。中型艇を降りて、パイプの上に立つと手を上げて合図をした。合図とともに波が引くように人々が撤収していく。
手を伸ばして、アタッシュケースを没収すると涼太の頭を固いもので殴った。
涼太は頬を打ちつけて、パイプの縁に倒れる。牢獄はまだ解錠されたままだった。涼太の頭を引っつかむと矢代はこういった。
「残念だったな、よかったぜ。お前のガッツ」
そういって荒ぶった。手に持っていたものが目に入る。涼太は唇をかんだ。そうか、やっぱりそうだったのか。
潮を飲みながら声を張り上げた。
「お前がみんな殺したのか。こんな風に。父さんも、他の人も、みんな、みんな」
声が涙ににじんだ。矢代は拳銃を所持していた。
「愉快だったぜ。せっかく生き残った人間を目の前でサメに喰わせるのはな」
撃鉄を引き起こすと、矢代の口元は弓なりに弧を描いた。目を閉じる。もう終わりだ。
「Goodbye」
流暢な発音が聞こえたとき、大きな衝撃が襲った。そばにあったタンカーががんっと揺らいだ。
大きなメガホンの音が聞こえた。
「警察だ、いますぐ武器を捨てろ!」
装甲の厚い巡視船が見えた。警察がきてくれたのだ。
矢代は舌打ちして、つかんだ涼太の頭を悔しく放すと耳元で囁いた。
「命拾いしたな」
そういって真っ直ぐ立つと両手を上げた。素直すぎる態度が奇妙だった。
銃を構えた警察とにらみあい矢代はこういった。
「とても面白かったぜ、あんたたちをからかうのも、みんなを騙すのも、喰わせるのも」
正面には浅井刑事の顔があった。その苦り切った顔へ向けて言葉を放つ。
「これがオレのシャークファイトだ」
そういって矢代はサメの牢獄にそのまま後ろ向きに倒れこんだ。浅井が声もなく手を伸ばす、警察が走る。一瞬の間の出来事だった。
白いスーツは赤に染まりゆく。発奮したサメは矢代の血肉を飢えたように漁った。
浅井の声が走馬灯のように遠くなる。涼太はふっと意識を手放した。
曇天にもう鳥は鳴いていない。
そうして、一連のシャークファイト事件は幕を迎えた。
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