3 深夜の出港

 深夜の都内某所で高木勝利は煙草を吸っていた。

 足元にはすでに5本の吸い殻が落ちている。鬼島はまだこない。


 心には懐疑の気持ちが湧いて、もしかするとどこかのドッキリ企画じゃないだろうかとの懸念があった。事務所まで辞めて、度が過ぎているが。

 人気のないこの場所には犯罪の臭いが満ちている。よく人が連れ去られるという、地元住民も夜は近づかないうわさの場所だった。



「高木さん」


 聞いた声に振り向くと宵闇に溶けこみそうなスーツ姿の鬼島と、両サイドに若い衆が二人いた。こちらもその業界の御方なのだろう。


「お約束通りどなたにも喋っていませんね」

「はい。喋ってません」


 そもそも相談する相手なんていないが。


「ではいきましょうか」


 鬼島の言葉で若い衆が高木の両腕を抑えこむ。突然のことに動揺した。


「ちょっとあんたたちっ」


 すべてをいい切らないまま後ろから黒い布袋を被せられて呻くと、背中から引き摺られるように背高い車へと押し込められた。

 警鐘が静まらない。車の走行音がする。どこかへ向かっているらしい。


「やめろ、出せよ! 離せっ!」


 臓腑が裏返りそうなほど叫び暴れ回る。腕力が腕力を抑え込んでいた。やばいヤツだ。消される。消される。死という恐怖が迫ってきた。助かりたい、誰か助けてくれ!

 ひじを抑える冷たい肉感があって、静かな呼びかけが聞こえた。


「落ち着いて下さい、高木さん」


 鬼島だった。


「なんだよ、離せよ、離せっ」

「極秘事項なんです。場所を知られるわけにいかないから目隠しをかけました。到着すれば解きます。少しご辛抱下さい」


 袖をまくられている感触がした。そのあと、ちくりと痛んで針が侵入してきた。何かの液体を打ちこまれている。視界がまどろんで、ゆっくりと意識を手放した。




 気がつくと揺られていた。ゆりかごに抱かれているように心地よい。

 目先には白い有孔ボードの天井があって、起き上がると毛足の短い薄紫の絨毯の上だった。寝る区画が分けられている。船だとすぐに思い当たった。目を伸ばすと窓の外にオレンジに照り返る波が見えた。海上だ。


 目隠しはすでに取り払われて、船室に一人きり。周囲には誰もおらず、状況が分からない。夕陽だけがべらぼうに美しく、虚しかった。フェリーに見えるが豪華客船ではないだろう。

 歩いて船室を出ると唖然とした。広すぎる甲板に荒涼とした海の景色が広がっていた。


「どこだよ……ここ」


 わけが分からない。目隠しされて連れてこられたのは海だという。波がはるか下方で打っている。内装こそ違えど商業用のタンカーだろうか。デカすぎる。


「東京湾ですよ」


 答えたのは鬼島ではなかった。白いスーツの金髪男だった。彼の表情は雪雲がかかっているように冷たい。


「鬼島は」

「受け渡しを終えましたから、ここからはわたしが付き添います」

「付き添いってどこにいくんですか」

「カイジョウです」

「海上?」

「いいえ、会場です」


 白スーツの男は目を眩しそうに細めて笑った。




 そこから何日過ぎただろう。朝と夜をくり返し、数えるのも3日目でやめた。

出されたアルコールを好きなだけ飲んで、海に吐いて、水平線を見てぼうっとした。

 だが、4日目にもなると騙されたんだろうなという虚しい疑念に支配されていた。


(でも、もう事務所辞めちまったし)


 欄干に腕をついて陸地を探すが、四方すべて海。どこへ向かうかも皆目見当もつかない。

 タンカーは波しぶきを掻き分けて大きな牢獄のように進んでいく。

 少しするとダイビングのレクチャーを受けた。もともと運動神経は良い方だ。要領よく覚えて、きたる時に備える。


「本当にやるんですね、シャークファイト」

「そうですね、やります。上にも報告してあるんで」


 上って誰なんだろう、やっぱり暴力団だろうな。それも聞けなかった。

 関わってはいけない物に関わってしまったことを悔やんでももう遅くて。


 気付けば体感が変わっていた。ジャケットを脱ぐ。こちらは冬じゃないのかとぼんやり思った。


「ウィスキーありますか。ビールはもう飽きたんで」


 海にも飽きたころ、白のスーツ男とは静かに会話できるようになっていた。


「酒はもう抜いてた方がいいです。到着しますから」


 なんだよ、とビール瓶を海にぶん投げた。大ビールはたゆたいながら波間に消えていく。吐きたい気分だった。


「俳優って悪い仕事じゃねえんだ」

「そうですね、あなたに合わなかっただけです」


 悔しく睨みつけると相手は朗らかに笑っていた。始めて見せるような笑顔だった。


「あんたには分かんねえさ」


 くさくさした気持ちで欄干にもたれた。景色だけは相変わらず美しかった。

 夜、目が冴えて天井を見つめがら宇宙戦隊コスモスソルジャーのテーマソングを歌った。意識の輪郭がはっきりとしている。しらふ以上に感性が研ぎ澄まされていた。


「コッスモスレッドーォ正義のヒーローォ、悪を打ち倒せっええ」


 精根つきて腕を下ろす。観ていた子供たちはすでに成人している。自分だけが虚しく年を取った。変わったと思ったけれど、何も変われないままだった。


「着きましたよ」


 白スーツの男に呼ばれて甲板に出ると小舟の準備がされていた。




 異様な景色だった。

 黒く濁った海に巨大な鉄の檻が浮かんでいる。


 その大きさは巨大で動物園の比ではない。サメを飼っておくからそれ相応のものだろうが、それにしてもでかい。まるで刑務所の独房を丸ごと運んできたような異様さがある。

 独房のなかではヒレが波を掻いていた。サメだ。


「あの……中に入るんですか」


 ぞっとした恐怖が背を駆け上がる。思った以上に動揺していた。


「申告頂いた5匹を用意してます。逃げるのは40分ですね。ボンベは十分にありますから」

「そのまま流すんですか」

「放送しながらこちら側で実況を入れます。高木さんには何も聞こえませんが普通に逃げてください」


 どこから湧いたのだろう。気付けば数え切れないほどの強面な男たちが周囲にいた。みんな日本人だろうか。

 衆人環視の中でダイビングスーツに着替えて、ボンベを背負う。浅い呼吸をくり返し、気持ちが上ずっている。状態を確認すると横づけされた小型艇に乗りこんだ。波に揺られながら、ゆっくり檻へ近づいていく。


 檻はタンカー二隻にチェーンで係留されて、ぎりぎりに海面に頭が見えている具合だった。波だけが怪しく高木を拒んでいる。


「どうぞ」

「どう……ぞって」


 目前にはサメの黒い背が見える。畏怖するほどにでかい。4メートル、いやそれ以上ある。

 フィンが水に触れたとき、走馬灯のように両親の顔が浮かんだ。友人の顔が浮かんだ。石井の顔が浮かんだ。


(頑張ってるの見ててくれる人がいるんですよ)


「あの、やっぱり……」

「時間です。海に入ってください。入り口のゲートを開けます」


 3度唇を噛んで、唾を飲みこんだ。目を閉じて、想いをふり切ると海へ飛び込んだ。

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