灰かぶり姫は死と滅びの静寂に微笑む

ふぃるめる

第1話 ロイトリンゲン辺境伯

 「どちらの勢力に与するか決めなくていいのですか?」


 ロイトリンゲン辺境伯宮殿の執務室、机の上にはこれでもかと豪奢な装飾の施された二つの書簡が並べられていた。

 もうこの手紙にどれほどの熱意が込められているのかは押して知るべしだった。


 「レーナ、この窓から外を覗いてみろ?美しいアルプスの山々、どこまでも青い空、豊かな農地と文化芸術、そして愛すべき領民たち。戦争なんて馬鹿らしくならないか?」


 芝居がかった臭い仕草で、昨今流行りのオペラのように高らかに声を上げたのは、二十五歳という若さでロイトリンゲン辺境伯領を継いだ当代の領主、アルノルト・ルードヴィングだ。

 だが、補佐役のレーナはそれを鼻で笑うと冷たい目をして事実を突きつけた。


 「これだから当代は日和見だと領民に舐められるのですよ?」

 「えっ、俺って舐められてんの?」

 「試しに平民の格好でもして街に行ってみたらいいんじゃないですか?」

 「怖いから辞めとく……」


 すっかりシュンとなってしまったアルノルトは、しかし考えを変えるつもりはなかった。

 目下、プローツェン王国は三勢力に別れて対立していた。

 ・第一王子ディートリヒを支持する軍部と急進派の貴族。

 ・第二王子エグモントを支持する自由都市群と金融機関及び多数商会。

 ・第一王女ヴィルヘルミナを支持する穏健派と西の隣国フランドル公国アプスブール家。

 三竦さんすくみ的な関係であるこの三陣営は、しかしてどの陣営が勝ったとしても待っているのは地獄だと考えていた。


 「なぁレーナ、俺はこの機に独立も視野に入れようかと考えている」


 混乱の最中である王国の現状は、アルノルトにとっては博打を実行する好機でもあった。


 「本気で言ってるの!?」


 レーナは信じられないという顔でアルノルトを見つめた。


 「俺の領地を戦火から守るための選択肢があるなら、躊躇なく選ぶ」


 一見して日和見に見えるアルノルトの方針は然して、領民の生活を守りたいというアルノルトの固い意思かくるものだった。


 「ディートリヒ王子を支持する連中は、戦争も厭わないと宣言している。この街を戦火に晒すつもりは毛頭ないさ」


 第一王子陣営を支持すれば戦争不可避。

 第二王子陣営を支持すれば周りを第一王子と第一王女を支持する貴族に囲まれたロイトリンゲン辺境伯領は、弾圧されること間違いなしだった。

 残された選択肢の第一王女を支持した場合、間違いなくこの国におけるフランドル公国の影響力が強くなり、売国奴の汚名を着ることは間違いなさそうだ。

 

 「だからって独立を選ぶのは正気の沙汰とは思えません!!」


 お願いだから!!と、レーナはアルノルトに言い募った。


 「後継者争いで内乱になりそうな今の状況の方がよっぽど正気じゃないだろうよ」


 幸いなことに大きな武力衝突は起きていなかったが、それでも散発的な小競り合いは頻発していた。


 「……でも間違いなく、他の陣営から槍玉にあげられますよ?」

 「そうならないように上手く立ち回るさ」


 もちろん自信なんてものは無かったが、それでもアルノルトには今まで王立貴族学校ユニベスシタスで学んで来た過去があった。

 周りの令息令嬢が遊びに興じる中、アルノルトは真面目に取り組み卒業時は首席だった。

 

 「そうですか……」


 主君とその従者という明確な上下関係を前に、レーナはそれ以上は何も言わなかった。

 そしてこうも思った、これほど前に領民を思う貴族がこの国にもっといればこんなくだらない争いは起きるはずもないのに……と。


 ◆❖◇◇❖◆


 「私の唯一の希望……」


 馬車に揺れながら銀灰アッシュグレーの髪の少女は、藍色の虚ろな目で宮殿の方角を見つめた。

 その馬車には護衛は無かったが王家の紋章が刻まれており、中に乗り込む人物の身分を言葉なしに語っていた。


 「クラウディア様、そろそろかと……」

 

 対面に座って控える侍女に言われてクラウディアと呼ばれた少女は、表情を変えた。


 「……これならいい?」

 

 言葉少なに応じた少女は長い髪を櫛で梳いて、それまでよりも心なしか明るい表情を浮かべた。

 

 「それで構いません」


 侍女にそう言われて安心したのか少女は、背を馬車のシートへと預けて胸元のペンダントを取り出した。

 

 「お姉さま……どうか私の復讐への道をお見守りください」


 祈るような言葉とともに、馬車は辺境伯宮殿の門へと滑り込んだのだった――――。

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