姉
母は7月に姉の翔子を出産しました。
母はとても姉を可愛がり、子育てを楽しんでいました。
まだ20歳だった母にはとても不安でしたが、母の母、つまりは私からしたら祖母の鮎川サチがいてくれたお陰で子育ても順調にしていくことができたのです。
姉はスクスクと成長し1歳になっていました。
そんな穏やかな日でした。
母はいつもに様に姉の面倒を見ていました。
ここ最近、母はせき込むことが多くなっていました。
それと、微熱があるのです。
熱を測ると37.3度近くあったのです。
始めは風邪だと思い、風邪薬でその場を凌いでいました。
体もとてもだるく感じることも多くなってきました。
やはり単なる風邪だろうと思っていた母でした。
でも、咳は益々ひどくなるばかりでした。
余りにもその風邪のような状態が続いたので病院に行くことにしました。
そこで医師からレントゲンを撮るように言われたのです。
レントゲン検査をした結果、母は「肺結核」になっていることが分かったのです。
その肺結核の症状はかなり深刻なものでした。
手術をして数か月間サナトリウムで生活しないといけないと言われたのです。
母は悩み苦しみました。
幼い子供がいるのです。
その子とこれからどうしていこうかと思っていたのです。
父にも相談しました。
「翔子はどうしたらいいの?」
「そうだな、翔子はまだ小さい。俺は仕事もあるし面倒をみられない」
「え?翔子はどうなるの?」
「家の母親に預けることにしないか?」
「え?義母さんに?」
母は言葉に詰まってしまいました。
父の母、私からしたら父方の祖母に当たるミヨは、とても気性の激しい人でした。
そして、何よりもとても意地の悪い人でした。
母はその祖母からもいじめられていたのです。
そんな経験から母は祖母に姉の翔子を預けることをしたくはありませんでした。
しかし、自分は手術をしなくてはならないのです。
手術後の療養もしなくてはなりませんでした。
母は悩んだ末、祖母に姉を預けることにしました。
まさに苦渋の選択だったのです。
母はせっかく授かった初めての子供を手放したのです。
その寂しい気持ちは計り知れませんでした。
母の手術は8時間にも及びました。
肋骨を切除することはなかったものの、右わきの下辺りには大きな手術の後が残ったのです。
それから長い療養生活が始まりました。
母は早く姉に会いたかったようでした。
しかし、祖母は姉のことをとても可愛がっていました。
祖母は母の治療が終わっても姉を母の元に返す気はありませんでした。
祖母は姉を自分の子供として育てようとしたのです。
姉は従姉弟たちと一緒に育てられました。
でも、祖母は姉のことばかり可愛がり、従姉弟たちにはとても冷たく当たりました。
姉は従姉弟たちからとても憎まれていたのです。
姉は姉でとてもつらい子供時代を過ごすこととなりました。
姉が母の元に帰ってきたのは多分姉が小学校に入学する頃だったと思います。
母は2年間も療養所での生活を強いられました。
その間、父は一度も母の面会には来なかったのです。
母はとても悲しかったのです。
面会に来ない父はもちろんのこと姉を祖母に預けたことをとても後悔していました。
次に授かる子供は絶対に手放したくないと思っていた母でした。
二番目に生まれてくる子供は自分の手で育てたいと心から思っていたのです。
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