人工関係

大西ずくも

第1話 落ちる雫は救われない

「君はさ、どうして普通でいたいの?」


 彼の言葉が心を揺さぶる。

 三階のこの空き教室には、まだ帰りたくないクラスメイトと私だけ。

 別校舎から聞こえていた、吹奏楽部の合奏が止んだ。

 窓を覗くと、グラウンドで運動部員が列をなして走っているのが見える。

 行動の意味や理由なんて、どれも大したものじゃない。


「うーん、普通じゃないと出来ないことがあるからかな」


 何かを誤魔化すように、ぼかすように曖昧に答えた。

 誰を誤魔化しているのかすら分からない。


「ふうん」


 心底つまらなさそうに相づちを打たれた。

 訊いといてその反応はないだろう。

 こんなのでよく関係が続いているな、とたまに思う。


「普通でいたいなら、僕と絡んでたら駄目なんじゃない?」


 同じ学校の同じ制服を着た彼は、そう言って席を立つ。

 駄目? どうして?


「一年生でも二年生でも同じクラスの人と話すことが、駄目なわけないじゃん」


 そう、普通のことだ。

 当然のことで自然なことだ。

 おかしいことなんて何もない。


「女装男子の友人なんて、普通とは程遠いよ?」


 そう自虐しながらも彼は、花形はながた奈月なつきは、自分の腰に巻かれたスカートを両手でひらひらとさせて、からかう笑みを浮かべた。

 なんだそんなことか、と胸を撫でおろす。撫でがいのある胸ではないけど。


「なに言ってるの。奈月にとってはそれが普通なんでしょう? それに、こうしてあなたと放課後を過ごすのは、私にとってはとっくの前に当たり前のことだよ」


 そんな適当に当たり障りのないことを言って、今日も私は停滞を望んで変化を拒む。


「――なれないよ」


「え? なに?」


「君は普通になんてなれない。他の何になれても、特別にはなれても。過去を、過ぎ去った過ちをなかったことには出来ないよ」


 いつもの口調で平然と彼は言う。

 過ち、ね。失敗、間違い、不正解、罪。


「……今でもそう思ってるんだね。私は奈月のこと許してるのに」


「だから僕も君を許せって? ちょっと、やめてよ。僕は自分を許さないし、君を許さないよ。共謀者なんだからさ」


 共謀者って、そんな言いかたしないでよ。


「でも、ああするしかなかったでしょう? 仕方のないことだったんだよ」


「その仕方なくやったことで、何人が退学して何人が不登校になった?」


 やめて、言わないで。

 言わせないで。


「……9人だよ! 6人が退学して、3人が不登校になった! その責任を私たちが全部背負えって言うの? ……重すぎるよ」


「だからって許すわけにはいかないよ。『自分は悪くない周りが悪い』って、そこまでして楽になりたいの?」


 なりたいよ。

 楽になりたい。 


「そんなに自虐して、全てを自分の所為にして、あなたは楽しい?」


「心地いいよ。周りに悪者がいないのは」


「悪者がいない?」


 そうか、私の周りは悪者ばかりなんだ。

 私が悪者にしたひとばかりなんだ。

 周りを悪者にしていく私って、悪なのかな。

 ああ、ダメだ、足下が崩れていく。

 私が破綻しはじめる。

 私の名前なんだっけ。藤井ふじいしずくでいいのかな。

 藤井雫は、私なんかでいいのかな。

 間違えた自分を肯定した私でいいのかな。

 あのときもあのときも、あのときも。

 藤井雫は正しくなかった。正義じゃなかった。

 それなら私は、藤井雫を肯定できない。

 肯定できないものを、普通とは言えない。


「君は普通じゃないよ」


 頭の中で全てが狂う。

 不安定ながらも繋ぎ止めていた、見続けていた夢が壊れた。


「私は……普通じゃない」

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