ジェラルド・フォルシウスの陰鬱Ⅲ
「それで二人の用件はなにかしら?」
「は、はい! ライ麦の件なのですが、やはり有償案をご提案させて頂きたいのです」
「あら……」
ジェラルドにはラルスの言う『ライ麦の件』が、どういった内容なのか、すぐには分からなかった。
しかし彼のいう提案が、目の前の少女の意には反するものだったのだろうことは会話から読み取れた。
反対意見を主張するラルスに対しても、ソフィーはレミエルや自分に向ける氷河のような瞳ではなく、弟に慈愛を向ける姉のような眼差しで静かに問いかけた。
「有償となると、相手もそれなりの成果をお求めになるわ。そうなれば、当然ハードルは高くなる。それは貴方たちの負担が大きくなるということよ」
「承知しております! 僕たちのような学生相手では、家の名を借りたとしても、半人前扱いしかされぬでしょう。先触れの時点で断る方も多いはずです。ですが、必ず人心掌握と話術を駆使し、懐に入って見せます!」
ラルスだけでなく、ファースも続く。
「僕たち銀星は、裏付けされた知識で加勢します。ソフィー様からエリーク殿をご紹介頂きましたし、どんな質疑に対しても応えられるよう事前対策は万全を期します」
彼らの受け答えに対し、ソフィーが考え込む仕草を見せると、すぐさまラルスが付け加えた。
「もちろん根性論の話だけではありません。有償案を推す理由は、まずソフィー様たちの尽力で作り出された種が素晴らしいものであるという事実。それに加え、貴族は特別という言葉に弱い生き物です。人より優れたものを持っている、人が知らぬことを知っている。それらの優越感は十分な価値となります。価値あるものに対価を払う。この行為が加わることで、より一層自分が行った選択は素晴らしいものだったと考えます。それを自分の手柄のように感じる者も多いはず。そして、そういった人間は――必ず誰かに話したくなります」
貴族間の噂は、遠く離れた地でも確実に広まる。それが社交時期に重なれば、瞬く間だろう。
「ソフィー様のタリスでの功績は、王都では噂話程度にしか認知されていません。ここで正しい情報を与え、きちんとした土台の元で品種改良された種であること。膨大な時間と資産が投入されて作られた素晴らしい種であることを伝えるためにも、有償である方が説得力を持つはずです」
ジェラルドは耳にした情報から総合し、ソフィーと彼らがなにをするつもりなのか、漠然ながらも理解した。
数日前のフェリオとの謁見で、彼女が幼少期に農作物に精通していたことを拝聴していたため、見当がつきやすかった。
(この方は、金星と銀星に、自らが改良した新しい種で栽培できる土地を開拓させるおつもりなのか?)
上下水道の事業とはずいぶん横道にそれていると感じたが、すぐに思い出す。
彼女がフェリオから別の命も受けていたことを。
それは『三年以内に医科学研究所へ拠点を移してもロレンツオの名に負けないほどの名声』を、この広い王都で培わなければならないというものだった。
「そのためにも領主様は、僕らが持ち合わせている情報すべてを駆使して選定しました」
彼の口から、数名の領主の名があがる。それは、ジェラルドからみてもなかなか面白い選定だった。
一人は新しいもの好きで、人脈の広い侯爵家。しかしその代わり結果が伴わなければすぐに見切りをつける判断力も高い。
一人は伯爵位を持っているにも関わらず、花や木に対する造詣が深く、農人と同じように農具片手に畑仕事をする変わり者。
他にもあがった名も曲者ぞろいだが、目利きは確かな者ばかり。中には領地経営よりも噂話ばかりを重視する調子者もいたが、こちらは情報拡散のための人選であろうことが読み取れる。
「素敵な提案ね。貴方たちがそこまで考えて行動に示してくれるなら、私も安心して上下水道の事業に取り組めるわ」
合格点を貰えたことに安堵したのか、ラルスは破顔し「ありがとうございます!」と声をあげた。そのあとの彼も饒舌だった。
「場所によっては遠出となります。その土地に詳しい護衛を雇うつもりですが、マルクス殿にご相談したら、腕の立つ銅星を護衛として何人か出してくださると。旅費や、護衛費は金星の“名もなき試験”から得られた秘蔵金から使用する許可を学長からも頂いています。すべての準備が整い次第、実行に移します!」
先の段取りまで計画済みだった。同じ学び舎にいたときですら、他学生たちの性格などまったく興味がなく、知ろうともしなかったジェラルドだったが、ここまで綿密に計画を練り、行動に移そうとする生徒がいたことに少なからず驚いた。
しかしその驚きも、自分の数歩前でほほ笑む少女に考えを改めた。
いや、いたのではない。彼女が導いたのだと。
もともと持っていた資質を伸ばすために課題を与え、一つ一つをクリアするごとに手放しの称賛を与える。達成経験の積み重ねが、彼らを変えていったのだ。
二人が去った後、ソフィーはジェラルドの方を振り向くと、にこやかにほほ笑んだ。
さきほどラルスに向けていたものとは異なる、愛想笑いの笑みだった。
「申し訳ありません。ジェラルド様にはまだお伝えしておりませんでしたね。さきほどのお話は、金星、銀星の生徒たちの院外授業の一環として行っているものです。学生たちは上下水道の施設建設には深く関われないので。なら、別件を手伝ってもらおうと思いまして」
やたら口調がよそよそしい。どうやら淑女面をはめ直したようだ。
何度も思うが、……いまさらすぎる。
正直、いまは彼女から『様』付で呼ばれていることにうすら寒いものを感じてしまう。
「無理に敬称をつけずとも、お好きに呼んでくださって構いません」
「え?」
「ジェラジェラでも、なんでも」
当て擦りではなく本心でそう伝えると、ソフィーは衝撃を受けたかのように身体を一歩後退させ、のけ反った。
「なっ、なぜ、私が心の中でその名で呼んでいることを知っているの!?」
「……以前、そう呼ばれていらっしゃいましたが」
「――――!? え、いつ?!」
できるだけ言葉を選んで伝えると、顔色を青くしていたソフィーが顔をむぅうううと膨れ、
「悪かったわよ、変なあだ名で呼んで!」
と、なぜか涙目で謝罪してきた。
その表情は懺悔と当惑と羞恥が織り交ざった複雑な色に染まっていた。
どうやらあの時は怒りのあまり口が滑っただけで、本人の中では秘密の呼び名だったらしい。
蒸し返さない方が彼女のためには良かったのかもしれないが、『様』付けされる度に感じる違和を無視するにも忍耐がいる。ならばいっそ敬称など外してくれた方がありがたかった。
「さきほどもお伝えしましたが、しょせん護衛の一人です。私自身が爵位を持っているわけではありません。過剰なお気遣いは不要です」
「爵位を持っていないというけれど、聖騎士は相続権のない一代限りとはいえ、子爵家に匹敵する権威が与えられているじゃない」
「それを仰るなら、紫星の権威は公爵家以上ですよ」
シレッと返せば、ソフィーはまだ不信感をぬぐいされない子猫のような瞳でジェラルドを凝視し、しばしの思案ののちボソリと呟いた。
「そうね……どれだけ私が淑女らしい行動を心がけても、どうせ周りには男しかいない男地獄だもの。クリスティーナお姉様も、愛らしい女神もいない。こんなところで淑女を目指したところで神経が磨り減るだけだわ」
なぜ女性がいない場所では無意味扱いなのか分かりかねる。
普通、逆では? と問いたかったが、納得してくれたのならばそれに越したことはない。
下手に刺激しない方法として、ジェラルドは話題を戻すことにした。
「さきほどの院外授業の話ですが、フェリオ殿下からの別命も同時にこなされていたのですね」
「別命?」
なんのこと? とばかりにソフィーが小首を傾げる。
「殿下より名声を獲得せよとのご命令を遂行するために、生徒たちを動かしたのでは?」
違うのだろうかと恐る恐る問えば、いままさに思い出したとばかりに、ポンと手を打つ。
「ああ、そういえばそうだったわね。――……いえ、完全に忘れていたわけじゃないわよ! レミエルに図書館であった時だってちゃんと思い出して、人使いが荒いって思ったもの!」
その思い出し方はそれでいいのだろうか。紫星とはいえ、相手が第一王子であることを考えれば不敬発言に当たるのだが、指摘する気にはなれない。たぶん、フェリオ自身もいまさら過ぎてなんとも思わないはずだ。
「では、なぜ学生たちに?」
「ラルスたちなら、私が指揮しなくとも任せられるわ。それを介して彼らが優秀な学生だとロレンツオ様に認めてもらえれば、事業の参加に携わることも許して下さるかもしれないし。なにより、今後の彼らの実績に繋がるでしょう」
そこで彼女はふと思い出したように言う。
「そうだわ、黒星たちも参加させるよう説得してくれないかしら。黒星だけ除外しては、彼らの立つ瀬もないでしょう?」
結局、彼女の面倒見は各方面に向くようだ。
あれほどトラブった黒星に対しても配慮を忘れることがない。
「じゃ、お願いね――――ジェラルド」
突然敬称なく名を呼ばれたことに、一瞬身体が静止した。
しかし彼女は事もなげな様子で歩を進める。
その後ろ姿を、ジェラルドは静かに見つめた。
気構えと覚悟のある人間は、それだけで周りの人間を変えていく。
もはや、彼女が《王の剣》にいることへの違和も感じない。
わずかな短期間で、教え、与え、そして彼女すら成長していった。
彼女はすでにサナギから蝶へ羽化した生き物だと思っていた。
しかし、それは少し違っていた。
蝶はサナギから孵れば、ずっと蝶のはずだというのに、彼女は何度も羽化をし続けている。
きっとこれからも変わり続け、羽の色を増やしていくのだろう。
己の志のままに軽やかに力強く前を歩こうとする生命力が眩しく、それはまるで闇夜に輝く星々のよう。
『ごめんなさい。人には偉そうなことばかり言っておいて、自分でも曇った眼でしか貴方を見ていなかったわ』
心を開こうとしてくれた彼女の言葉が脳裏によぎる。
(本当の自分など、悟られたくもない)
自分がどれだけ取るに足らない人間かは、自分が一番理解している。
聖騎士となったのも、親のためでも、家のためでもない。ただ……。
(彼女のような存在からすれば、自分は異端以外の何物でもないのだろうな)
きっとこの先も、彼女と相容れることはない。
それは、自分でもどうすることもできない強い確信だった――――。
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