ジェラルド・フォルシウスの陰鬱
ジェラルドは館内の扉を背に、鋭い視線を奥へと注いでいた。
ソフィーを見送ってから、まだそれほど時間が経っているわけではない。銀星講師、ヴィンセントとの対戦なら、まだ中盤に差し掛かった程度の時間だ。
そう頭では理解していても、普段よりも時の流れが遅く感じられ、歯がゆさにわずかに身じろぐ。
(無事に何事もなくゲームが終了してくれればいいが……)
だが昨日の今日だ。あの二人が和やかにゲームを終わらせるとは到底考えられない。
不安は尽きないが、それでも今朝のソフィーの様子を思い起こせば、過度な心配は不要にも思えた。
それほど。朝のソフィーの表情は落ち着いていたのだ。
毎朝迎えに行く度に、彼女は無表情だったり、怒りを放っていたり、なにかを悟ったとばかりに長舌を振るったり。
そんな風に毎日忙しく表情を変えていたが、今日はまるで憑き物が落ちたかのように大人しかった。
朝のあいさつを交わし、目的地を告げ、歩き出す。道中も会話はなかった。
しかし、それは彼女が感情を押し殺しているからでも、なにかに思考を奪われているからでもない。
ただ自然に、不要な会話を無理にする必要性をもう感じていなかったのだろう。
言葉も感情も静かな彼女は、まるで空気に溶け込むかのようで。
それは護衛中であることを束の間忘れさせるほどに、静穏な時間だった。
そんなことを思い出していると、奥からつかつかと足早にこちらへ向かってくる姿が見えた。
意外にも、それはソフィーではなく、レミエルだった。
「レミエル様……?」
普段の彼は、常に早いとも遅いとも言えぬ速度で優雅に歩く。けれどいまは、まるで何かから追われているかのように足の運びが早い。
あまり見ることのないレミエルの姿に虚を突かれていると、彼はジェラルドの真正面で足を止め、声を荒げた。
「ソフィーはおかしい!」
「なにを……」
思わず口から零れそうになった言葉を、すんでのところで呑み込んだ。
つい自分の立場も忘れ、「なにをいまさら仰っているのですか?」と、うっかり本音をもらすところだった。
口元を押さえていると、次にやってきたのは当人だった。
憤怒の声が、館内に響く。
「待ちなさいっ、レミエル! まだ説明は終わってないわよ!」
こちらもドレスを翻し、歩調が速い。
なぜか手には大量の紙の束を持っており、それを見るなりレミエルが気色ばむ。
「君のあの女に対する願望はもういい!」
「願望じゃないわよ真実よ! ほらみなさい、最後まで私の話を聴かないから理解できていないじゃない!」
「聴いたところで理解できるものではない。なら聴くだけ無駄だ!」
「なぜ無駄だと諦めるの?!」
「君の口からあの女の名が出るたびに虫唾が走る!」
口論する二人の間に入ろうとしたジェラルドの足が、レミエルの一喝にピタリと止まる。
(え、それはどういう……)
これにはソフィーも驚いたようで。
しばらく場に沈黙が落ちたが、すぐに何かに思い当たったように口を開いた。
「まさか……レミエル……貴方……、――――クリスティーナお姉様に懸想しているんじゃないの?!」
「――は?」
「それほどクリスティーナお姉様を毛嫌いしているのは、本当は愛しているからなのではない!?」
「……なるほど。君はあの女が関わると、度し難い馬鹿になるんだな。それだけはよくわかった」
冷ややかなレミエルの声が飛ぶが、ソフィーの方は腑に落ちたとばかりにブツブツと呟きだした。
「ヴィンセント講師もやたらロレンツオ様を敵視しているけれど、あれはもう一周回って好きなのだと思うのよね。そうでなければ、あれほど他人に強い感情を持たないでしょう。本来、好きの反対は無関心であるはずだもの。――――つまり、レミエル。貴方も、本当はクリスティーナお姉様のことが好きなのでしょう!」
「もう君は口を開くな。おぞましい」
「でも駄目よ! クリスティーナお姉様のお相手は優雅で知的で大人で、クリスティーナお姉様のすべてを支えられるような男性でなくてはならないの! 殿下ですら許せなかったのを、友人の欲目をプラスしてギリギリセーフで認めてあげたのよっ。いくら気になる相手だからといって、軽率に暴言を吐くようなお子ちゃまなんて、私の目が黒いうちは絶対に許せないわ!」
「君の目は緑だろう」
嚙み合わない口論はしばらく続く。その姿はぎゃんぎゃんと吠える子犬同士のケンカだ。
「……お二人とも、ここがどこかお忘れですか。館内ではお静かに願います」
この二人が自分の忠告を聞くとは思えなかったが、それでもジェラルドは諫めた。
もっとも、二人の口論がそれで止まることはなかったが――――。
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