ソフィー・リニエールのみる夢 ―贈られた言葉Ⅷ ―

 

「この私のどこが淑女でないというの!?」

「君がやたらと淑女を連呼するが、それは一種の心理効果を狙っているんだろう? 口に出して何度も繰り返すことで相手にそれを植え付ける。そして宣言することで自分の心にも重圧をかける。なぜそこまで君が自分自身に暗示をかけているのかは理解できないが」

「っ……!」


 図星をつかれ、とっさに否定できなかった。


 さすがクリスティーナへの敬愛を母親への思慕だと見抜いた男は、他の生徒たちとは洞察力が違う。


「だから君に倣って、僕も君の親友だと言い続けることにした」

「とっても迷惑だわ。男の親友なんて、貴族女性からしたらただのスキャンダルよ!」

「しかし君の親友は男なのだろう?」

「……声高らかに公言しているわけじゃないわ。それに、天馬は……」


 この世界に存在している人間ではない。

 誰もその姿を知らず。

 ソフィーの口から語られる名前だけの人物。


 だが、存在していないからいいの……なんて、口に出したくない。


 目を細め耐えるように唇を噛みしめるソフィーの姿に、何を思ったのか、レミエルが突然目の前のリチュの駒を手で払った。

 音を響かせ、数個の駒が床に転がる。


「ちょっと、なによ。虫でもいたの?」

「……いや。よく分からない」


 レミエル自身、なぜそんな行動をとったのか理解できていないのか、やたら戸惑った顔で床に散らばった駒を見つめている。


 自分で払っておきながら呆然としているレミエルの代わりに、ソフィーは椅子から降りると、落ちた駒を拾い上げた。


 幼少期に与えられたものとは思えぬほど艶やかな色を帯びた駒からも、彼がどれだけ大切に扱ってきたのか分かる。


 数秒前まで胸にあった寂寥感も忘れ、ソフィーは首を傾げた。


(なぜ突然手で払ったのかしら?)


 レミエルは変な男ではあるが、育ちはいい。感情的に物に当たるタイプにもみえない。

 そもそも感情が動くところを想像できなかった。


 喉元に剣を突き出しても動じず。

 リチュのゲームに負けたときも無表情で、まったく悔しそうではなかった。


 知れば知るほど変わっている男だが、だからと言って自分の主張を絶対に曲げないという偏屈さはないようで、だんだん言動にも慣れてきた。


 レミエルがソフィーを分析するように、ソフィーも人差し指を唇にあて「んー」と、レミエルの性格について思考する。


 その中で導き出した答えは、


「つまるところ、貴方は暇なのね」


 口をついて出た言葉に、レミエルがキョトンとした瞳を向ける。


「暇だから、男女間の友情関係の有無が気になったり、私に勝負を挑んだりするのよ」


 臣籍降下が果たせたことで、レミエルの目標は無事達成された。ゆえに、現在彼は手持ち無沙汰なのだ。


「どうせ暇なら、私の事業を手伝いなさい。貴方だって、多少興味はあったから私の計画書を読んだのでしょう? 一度や二度サラリと読んだだけであれを理解し、なおかつ模倣色が強いだなんて言えるものではないわ」


 ほとんど勘で言った言葉だったが、黙り込むレミエルの態度から、あながち間違いではないことが窺える。


「王妃様も貴方の参加を願っているようだし、敬愛するお兄様のお手伝いもできて一石二鳥でしょう」

「……僕が動けば、僕を支持する馬鹿どもがどういった手に打って出てくるかわからないぞ」

「あら、そんなもの全て返り討ちにしてあげるわよ」


 黒髪をかき上げ、意気揚々と告げれば、レミエルはより一層瞳を丸くした。


「殿下の依頼を受けた時点で、私はあの方にとって諸刃の剣となったわ。事業が無事成功するか否かで、この先賢王と称賛されるか、愚王と囁かれるか分かれることになる。そういう意味では、貴方も私と同じだわ」


 いまだ王位継承権が消滅していないレミエルの存在は、フェリオの立場を危うくさせる。


 だが、臣下として兄を立派に支える姿勢を見せ、王位を継ぐつもりがないことを周囲に知らしめれば、いずれ美談として語られるだろう。


「貴族の方々はやたらゴシップがお好きな方が多いけれど、同じように胸を打たれる美談も大好きだわ。人の噂を上手に利用できれば、少ない労力で十分な成果があげられるわよ!」

「君はやはり金星の娘なんだな。口がよく回る」

「あら、この先自分の道を誰かに邪魔されたくないなら、対話術は必須よ。――そうね。まずはちゃんと殿下に自分の想いを伝えるのが先ね。どうせろくに相談もせず臣籍降下して、髪を切ったのでしょう。そんなことで敬意を表しても、心が通わなければ想いは伝わらないものよ。これまでちゃんと対話をしてこなかった分、きちんと話し合いなさい」

「……なぜ対話がなかったと言い切れる?」


 真顔で問われるが、誰がどう見てもフェリオとレミエルの兄弟仲はすれ違っている。

 レミエルの激重感情を、きっとフェリオは知りもしないのだろう。


「学習能力は人より優れているんだから、対話術は私と一緒にいれば自然と身につくはずよ。貴方は私を利用することでそれを得なさい。代わりに私は貴方の能力を酷使するから」


 双方にとってプラスでしょう、と鮮やかに笑うソフィーは、やはり青年にも少女にも見える。

 その笑顔は燦燦と照りつける太陽よりも眩しく映り、レミエルはしばらく呆けた後、こくりと頷いた。


 彼の同意を得たところで、ソフィーは眼差しをガラリと変えた。 


「――――じゃあ、そろそろ本題に入りましょう」

「本題?」


 すでに話は終わったと思っていたレミエルは怪訝そうに問い返す。


「ええ、本題はここからよ。私のクリスティーナお姉様に対する想いが理解できないと言っていたでしょう。だから、私がどれだけクリスティーナお姉様をお慕いしているか、出会いから今時点の資料を作成してきたの。まずはこれを読みながら説明するわね」

「――は?」


 そう言って、鞄から取り出した冊子は軽く百枚以上はある束だった。


 契約書といい、準備万端さを見せつけるソフィーに半ば呆れながら、レミエルは受け取った束を数ページを捲ると、短く言った。


「意味が分からない」

「大丈夫よ、読み終わるころには私の気持ちと、クリスティーナお姉様がどれほど尊い存在か理解できるようになるわ。それを知れば、きっと貴方のクリスティーナお姉様に対する不安感も薄れるはずよ!」


 意気揚々と語るソフィーに、レミエルは鼻白む。


 目に入ってきた文字だけでなにやらうんざりするほどの美辞麗句が並べ立てられていた。

 しかも長い。やたらと長いのだ。


 手にずっしりとくる冊子に、レミエルはゾッとした。 


「……いま、僕は生まれて初めて恐怖というものを感じた」

「それは新しい知見への戸惑いよ。人間誰しも初めてのものに触れるとき、畏怖と困惑が生じるわ。けれど、それも理解してみれば恐れるに足らぬことだと分かるのよ。――安心なさい!」

「いささかの安心も感じない」

「さっき私の親友だと言い張るなんて言っておきながら、私のことを理解したくないの!?」

「これは君を理解するためのものじゃないだろう。あの女への妄執しか書かれていないものを読んだところで、僕があの女に価値を見出すことはない」

「まずは冒頭から音読するわね」


 レミエルの言動に慣れたソフィーは、クリスティーナへの誹謗も受け流せるようになっていた。

 というか、まずレミエルの話を聴いていなかった。


「クリスティーナお姉様の磨かれた教養と、洗練された所作。その美声は、ヒバリも鳴くのを恥ずかしがってしまうほどよ。高潔にして理性的な蒼穹な瞳が、まさにそれらを如実に物語っているでしょう? あの澄んだ泉のような瞳で見つめられたら、心まで洗われてしまうわ!」

「全体的に抽象的すぎる」

「その美しさの前では空は鮮やかさを増し、海は深みを強め、世界の彩度すらあげてしまうのよ!」

「あの女は世界の実権でも握っているのか?」


 レミエルは一つ一つツッコむが、ソフィーはうっとりと自分の世界に入り込んだまま聞き流した。


 そんなソフィーに業を煮やしたのか、レミエルが声を荒げる。


「なぜすべて叙情で話すんだ!?」

「いま貴方に情緒というものを教えてあげているのよ、黙って聞きなさい!」


 据わった瞳でぴしゃりと叱責され、レミエルは生まれてはじめてこの場から逃げ出したいと思った。

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