ソフィー・リニエールのみる夢 ―贈られた言葉Ⅳ―
対戦で疲れたのか背もたれに体を預け、ため息を吐くレミエルを、ソフィーはじっと見つめると、促すように右手を示した。
「さぁ、私の話はしたわ。今度は貴方の番よ」
「? 僕の番とはどういう意味だ?」
「リチュの基本でしょう、知らない者同士がゲームを終えたあと相互理解の場を設けるのは。『――――さぁ、テーブルについてお話をしましょう』」
「……ずいぶん古い慣習を知っているな」
リチュは本来兵棋演習の一種。だからこそ、ゲーム終了後はお互いを称え合い、対話で終わらせるのが本来のマナーとされていた。近年ではあまり使われなくなったが、ソフィーが発した言葉は『終わりと始まりの合図』と言われるものだ。
「僕のことなど知ってどうする?」
「どうするもこうするも、知らなければ判断できないでしょう。確かに私は貴方に興味なんてなかったけれど、でも興味がなければ知らなくていいという理由にはならないわ。それに、昨日色々考えて……思い出したのよ」
ソフィーは言葉を切ると、まつ毛を伏せ口許を緩めた。
「ずっと昔にね、『なんだコイツ』って思う子がいたの。一緒にいてもろくにしゃべらないし、笑わないし、楽しそうでもない。なのに、なぜか私の後をついてきて……。最初はその子が私に固執する理由がよく分からなくて気持ちが悪かった。でも、だんだん慣れて――――気づけば友人に、親友になっていたわ」
「……テンマのことか?」
ソフィーはその問いには答えず、曖昧な笑みを浮かべる。
それは哀愁にも、悲嘆にも見え、レミエルはそれ以上追及することができない。
「第一印象は絶対に相容れないと思ったわ。けれど同じ時間を過ごし、傍にいて、相手のことを知っていけば気持ちは変わるものでしょう。なら、相手のことを知ろうともせず、縁を断ち切る行為は勿体ないわ」
高校生の時、祐は話しかけてきた同級生に対し、嫌味で応酬した。
自分はあの頃のままの自分ではいけないのだ。
せっかく引き継がれた記憶があるのなら、過去の過ちを過ちのままで終わらせてはいけない。
「だから貴方とも話がしたいのよ。知りたいわ、貴方のことを。
ゆっくりと顔をあげ、レミエルを見据えるソフィーの瞳は、凪いだ水面のように穏やかだった。
自分の姓を、『カールフェルト』と呼ぶ人間は少ない。王宮でも学院でも。
臣籍降下された姓で呼ぶ行為は無礼にあたると考える者の方が、圧倒的に多かった。
レミエルがこの姓を得ることを、幼い時からどれだけ心待ちにしていたかなど理解せずに――――。
「…………なにが聞きたい」
気づけばそう口にしていた。
ソフィーは質問を考えるように頤に指を置く。
「そうね。まずはなぜ貴方がクリスティーナお姉様をそれほどに厭うのか、理由が知りたいわ」
「あの女は、母上に似ている」
最初から質問の見当はついていたのか、回答は早かった。
ソフィーは立て続けに問う。
「お母様に似ていることが、なぜ気に入らない理由になるの?」
「…………このままいけば、君も兄上の母君と同じ末路を辿ることになるぞ」
その瞳は、思いのほか真剣な色を帯びていた。
ソフィーは一瞬、『この男はまだフェリオと自分の間に恋愛関係があるのだと疑っているのか?』と呆れたが、どうやらそんな雰囲気ではないようだ。
「同じ末路とは、具体的に何を指しているのかしら?」
「君は女学院であの女と“姉妹の契り”を交わしたそうだな」
「あら……、女学院以外では公言していないはずだけれど、なぜ知っているの?」
フェリオが話したのかと疑うも、レミエルは否定するように言葉を続けた。
「公言せずとも、懇意というだけで王宮の者はそれを察する。女王の薔薇で最初に“姉妹の契り”と呼ばれるものをはじめたのは、母上たちだからな」
「え……」
「兄上の母君、フローリア妃は母上の⦅妹⦆だった」
「――っ!?」
これには驚き、唇から声が零れる。
「彼女は幼い時から母上を慕い、努力を重ねて女王の薔薇に入学した人だった。特出した才能はなかったが、気立てが良く、人を穏やかにする女性だったと聞く。母上は冷淡で、あまり人を寄せ付けない性格だったこともあり、フローリア妃は母上の緩和剤として重宝されたようだ」
「それは……まるで……」
ソフィーの脳裏に『咲くも花、つぼみも花』の二人がよぎる。
(いえ、あれは架空の物語。事実を模した話ではないはずよ)
それにあの物語はまだ途中だ。内容も学院生活の小さな事件や日常の他愛無い会話がほとんど。
ましてや相手は王妃だ。王族をモデルにするような豪胆な女性が女学院にいるとは考えにくい。
(でも、学生のお二人が大人になり、社交界に出たら、その関係性はどう変化するのかしら……)
まったく別物だと思いながらも、ソフィーは一瞬だけ物語の結末を垣間見てしまったような気分になる。
そんな考えを振り払うように小さく頭を振る。
「いまでこそ誰も口にしないが、当時母上とフローリア妃が懇意だったことは周知の事実。彼女が王妃付きの侍女となったのも当然の成り行きだった」
結果、彼女は王妃よりもさきに身ごもった。そのとき彼女は側室ですらなかったというのに。
彼女の行いは王妃への裏切りとして、貴族だけでなく、民衆にも非難されることになる。
「……私も噂でしか聞いたことがないけれど、貴方は私とクリスティーナお姉様をお二人と重ね合わせているの? でも、それならまったく別ではないかしら。私は側室なんて望んでいないわ」
毅然として告げれば、レミエルはかすかに皮肉をまじえた笑みを浮かべた。
「フローリア妃も望んではいなかった」
「え……、でも……」
「父上を慕っていたのは確かだったようだが、側室だけは頑として受け入れず拒んでいたそうだ。彼女は自分の立場を弁えないような厚顔無恥な女性ではなかった」
「それでは、なぜ……」
「母上が謀ったんだ」
短く簡潔な答えに、サッと血の気が引く。
(ちょっと待って、これは……)
一介の男爵令嬢が聞いていい話ではない。
その話が事実なら、王宮でも一部の人間だけが知るトップシークレットだ。
レミエルの口振りからいっても、嘘や噂程度のことを鵜吞みにして話しているようにもみえない。
(聞くは気の毒、見るは目の毒。これ以上踏み込むのは危険かしら……)
世の中には、知らない方がよいこともある。
知ってしまうことによって秘密を背負い、変えることのできない事実に思い悩む。
(でも……)
彼は、いったいいつそれを知ったのだろう。
現在ですら多感な時期だというのに、もっと幼い時に知り得たとしたら、その心労は計り知れない。
レミエルだけが、ソフィーのクリスティーナへの敬愛を違うと指摘できたことも、いまなら分かる気がした。
(
“無”から“有”が生まれないように、理解するためのなんらかの資質があったからこそ、彼はソフィーの歪みに気づいたのかもしれない。
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