拝啓 天馬 そう、すべては必然だったのですⅡ

 

「はあ?!」

「だって、貴方たちは男として産まれ、高位貴族として育ったというそれだけで、私の大切なお姉様をお守りできる任に就けるのよ。僻みたくもなるでしょう?」


 にこっと邪気のない笑みを見せるが、言っていることは邪気だらけだ。


 日記には小姑根性からくるものではないと追記したソフィーだったが、それは相手が天馬だからだ。繕いたい相手は前世の親友一人、けっして目の前のポカンと口を開いて唖然としている男ではない。


(なんなんだ、このお嬢様は……)


 一方、エーヴェルトは、普通は絶対に否定するであろう問いをあっけらかんと肯定され、二の句が継げなかった。


 思わず『貴女のお姉様とやらを守るために黒星になったわけではない!』と、本音を叫びそうになるが、そこを突く行為は昨日のレミエルの二の舞になりかねない。


「…………ソフィー嬢。お言葉ですが、それ相応の努力をしなければ、親の爵位だけでは黒星試験には合格致しませんよ」


 黒星になるための家柄は子爵以上。前提からしてハードルは高いが、家柄があるからといって簡単に黒星に入れるほど甘い世界ではない。現に、合格ラインに達していなければ、定員割れであったとしても入学することは不可能だ。


 自負があるからこそ、エーヴェルトは強く主張した。それに、ソフィーはほほ笑みを絶やさず言う。


「私も昨日、試験内容とすべてのカリキュラムを確認させてもらったわ」

「でしたら…」

「あの程度で、いったいなにを偉そうに誇っているのか戸惑うほどのものだったけれど」

「――ッ!?」

「演算は金星に敵わず、知識は銀星よりお粗末、体力は銅星に劣る。彼らより秀でているのは宮廷礼儀のみ。この程度に、星が必要かしら?」

「それは……政権批判と捉えても?」

「あら、貴方たちを批判しているのよ。理解力もないのね」


 皮肉が容赦なく散弾されるが、もうすでに数回この少女の被弾は浴びている。最初の時ほど面食らっていないエーヴェルトは、怯むことなく問う。


「王宮で王族の方々をお守りする任に就くのですから、宮廷作法を第一とする考えは当然かと。どこがおかしいのですか?」

「王族の方々をお守りするということは、等しく国を守ることと同義よ。貴方、作法ができれば国が守れるとでも思っているの? そんな平和ボケした話はしてないわ。――明日、戦火の中で指揮を取る将の一人として妥当かと聞いているのよ」


 ここ数十年、オーランド王国に争いの火の粉はふりそそいでいない。しかし、だからといってけっして開戦が起きないとは誰にも断言できないのが現状だ。


 好戦的な民族で、戦いを好むダクシャ王国。

 鉄を輸出することで大きな利益を得て、領土を広げてきたルーシャ王国。


 いまは比較的大人しいとはいえ、ほんの少し歯車が狂えば平和な日々はいとも簡単に消失するだろう。


「黒星は王宮に入隊すれば、銅星を率いる立場になる。その時に宮廷作法がなんの役にたって? 勿論、宮廷作法が無駄とは言わないわ。けれど、それ以上に大切なことに、貴方たちは気づいてもいないじゃない」

「それ以上に大切なこと、ですか?」

「貴方たちは、なぜ黒星が“演算は金星に敵わず、知識は銀星よりお粗末、体力は銅星に劣る”程度にしか授業が行われていないのか、考えたことはないの? なぜそれでも黒星が優遇されて当たり前だと認識しているのか。不思議に思ったことは?」


 


 学院側が、まるで意図してそうしているかのような言い方だった。


 エーヴェルトは彼女が告げる論旨が理解できず、目に戸惑いの色を滲ませる。


「それは……」

「それは? 貴方たちが、子爵以上の家柄だから?」

「――ッ」


 ここでそれを認めれば、先ほどの自分の言葉が偽りになる。


 エーヴェルトは視線をさまよわせながら、少女の言葉を砕くものを探した。だが、普段思考の外側にあったものがすぐに用意できるはずもなく、悔しそうに唇を食む。


「……そうですと認めれば、ご満足ですか?」

「いいえ。ふざけた回答だと笑うわ」


 笑うと言いながらも、始終浮かべていた作り笑いがスッと掻き消えた。


 舌戦では勝ち目がないと滑らせた言葉だったが、愚鈍以外のなにものでもない。しかし、いまさら無様に撤回することもできず、「では、どのような回答が正解だと?」と、再度問うことで切り抜けようとするが、


「なぜ考えることを放棄して問うの? だからいつまでたってもそこへ到達しないのよ。用意された答えがいつだってそこにあって当たり前、与えられて当然だとでも思っているのかしら? これでよく家の力じゃないなんて言えたものね、――と皮肉りたいところだわ」


 表面的な誤魔化しは一切通用せず。


 エーヴェルトは舌打ちしたいのを堪え、次の言葉を逡巡する。その間にも、彼女の瞳は今まで教えを受けてきた講師陣の誰よりも鋭く厳しい色に変わっていた。本来軽やかな鈴のような声が、刺すように言う。


「四つの星で、なぜ黒星だけが別格扱いなのか。それは、黒星だけが立ち位置が異なるからよ」


“王の剣”が、国の中枢を担う人材を育成するための機関だということを考えれば、おのずと導き出せるはずの答えだと少女は言うが、エーヴェルトとしては納得できなかった。


「立ち位置というなら、どの星とてすべて異なるではないですか」


 金星は国を回すための経済、銀星は国を発展するための研究、銅星は国を守るための戦力。


 重なる箇所など見当たらないと指摘するエーヴェルトに、紫星の少女はゆるく首をふる。


「いいえ。大きな括りで言えば同じよ。金星、銀星、銅星は、いわばを重視された者たちだもの」

「専門性……?」

「そう。改善の余地は大いにあるとはいえ、彼らのカリキュラムはすべてその道を極めることに重点が置かれているわ。でも、貴方たちは違うでしょう?」


 黒星の講義は多種多様だ。天文学、古代史、外国語と様々なものが取り入れられている。しかし内容としては宮廷作法や武術以外のすべてが上澄み程度でしかなく、中身の薄い講義だと言える。


「黒星の講義は、完全に質より量。学院側は、何を黒星に求めてこのカリキュラムを作成しているのか、求められているものはなにか。――――貴方は理解している?」


(……求められているもの?)


 忠義? 忠誠?


 質問の答えを考えるが、頭に浮かんだすべての言葉を否定する。


 そんな抽象的なものでも感傷的なものでもない。目の前の少女がそんな普通の回答を欲するとは思えずしばらく頭を悩ませるが、新緑の瞳を強く放つ少女は、最初からエーヴェルトの答えなど期待していなかったように、「多角的な視点を広げさせるためよ」と言葉を続けた。


「演算は金星に叶わずとていい、知識は銀星よりお粗末でもいい、体力は銅星に劣るとも構わない。なにか一つに秀でているということは、その一つにしか目がいかないという弱さも同時に持つわ。けれど、不測の事態が起きたとき、一つの考えに囚われていては事を仕損じかねないでしょう」


 すべてにおいて高度で完璧な頭脳をなど求めていない。そんな人間を求める方が非現実的だ。


 ならば求めるべきは――――どんな場面でも最良な選択ができる人材の育成。


「黒星に求められているのは、他者の言葉に耳を傾け衆知を集める情報力。その情報を総合的に判断し活用する思考力。有事の際も臨機応変に見定め実行にうつす決断力。それらを持ち合わせ、国を守ることが、黒星に与えられた責務だわ」


 人を使い、人を導き、国に尽くす。

 それはとても簡単な事ではない。だからこそ、それだけ特別な存在といえるのだ。


「もちろんそれも王宮に入隊してからの話よ。いま、この学院内では貴方たちは不完全で、学も知識もお粗末。他の星を導くほどの技量も度量も足りないわ。己の未熟さを知り、与えられたものだけでは満足せずに足らぬものを埋め、研磨し続ける。そうやって、初めて黒星だと誇れるのよ」


 学院内では、黒星優位の慣例は確かに存在する。

 けれど、慣例は慣例。

 決して、定められた公然ではない。


 公然でないことに、懐疑も疑念も持たずに権威を誇っていた。

 ろくに考えず、当たり前に享受していた。


 己よりも年下の少女に指摘されるまで、ずっと。


「さて、ではいままでの私の言葉を踏まえて問うけれど、私が学院を訪れてからの貴方たちの行動は“黒星”を賜わるに値するものだったかしら? 己を誇れるものだと言えて?」

「…………」


 第一王位継承者が選んだ紫星が一体どんな人物かゴシップ程度の情報しか得ず、人物像の分析など行わず、他の星での行動などを見聞きすることもなく――――。


 エーヴェルトの手のひらに、じっとりと汗が滲む。


 家柄やプライドを切り捨てて冷静に考えれば、黒星を賜るに相応しいと豪語するだけの実績がない。


 正直、学では目の前の少女には敵わぬだろう。

 剣や武術はそれなりに自信があるが、マルクスと比較されれば一笑に付される。


 いや、なによりも家格という威光を口にできないだけで、こんなにも足元が不安定になるなど思ってもいなかった。

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