ソフィー・リニエールというご令嬢~ジェラルド・フォルシウスの溜息Ⅱ~
ジェラルドの意を酌み取ったのか、エーヴェルトもそれ以上は口に出さず、話を今回の二人に戻した。
「レミエル様のアレは本気なのか? ソフィー嬢もぶっ飛んだ令嬢だと思ったけど、あの方もかなり……」
さすがに元王族相手には軽口も叩けないのか、言葉を濁す。
「本気だろうな。そもそもレミエル様は冗談を口にされる方ではない。口にするときはすべて本気の時だ」
「それはまた……よくお似合いのご友人で」
エーヴェルトの皮肉交じりの戯言には答えず、ジェラルドは命令を口にした。
「今回のことは不問で通るはずだ。黒星たちには吹聴しないよう箝口令を敷け」
「は、不問? まだ報告前なのに、決めてかかっていいのか?」
レミエルに対してあれほど脅しにも似た忠告をしたわりに、判決はすでに決まっているとばかりのジェラルドの指示に、エーヴェルトは驚きと戸惑いが混じった声で問う。
「そもそも討論の余地はない。ソフィー様の拠点をここにした意味を考えろ」
周りは皆、学生。貴族の子弟とはいえ、爵位や自由にできる権力を持っているわけではない。
「多少のことはすべて不問にできると踏んでの選定だ」
「最初から、是非に及ばずってことかよ……。でも相手はレミエル様だぜ?」
「だからこそだ。公にしたとして利があるか? ソフィー様が紫星をはく奪でもされれば、フェリオ殿下の地位も危うい。そうなれば、レミエル様は必ず口にされた行動を実行する」
「……地獄絵図だな」
「無論、報告はする。フェリオ殿下なら、多少のことでも一存で黙認して下さる」
無茶苦茶な行動も、結果的には不問で通さなければ困るのはすべて第一王子であるフェリオだ。
なんせ相手は自分が紫星を与えた少女であり、もう片方は異母弟だ。
「お二人共、それを理解しているからこその行動だったとも思えるがな……」
とくに紫星の少女は。
いくら怒りに血が上っていたとはいえど、なんの計略もなく第二王位継承者に刃を向けるなどしないだろう。いままでの言動を見ていても、己の行動がどう作用するか計算できない少女とは思えない。
(フェリオ殿下との間に、約束まで交わしていたと仰っていたな)
きっとレミエルが学院に入るなどまったく想定していなかった時に交わされたものだろう。学生が第一王子の婚約者に対し、暴言など口にするはずがないと踏んで。
「なあ、フェリオ殿下にはどこまでお伝えするんだ?」
「すべてに決まっているだろう」
「レミエル様が、ソフィー嬢の胸を触ったことも?」
「…………まぁ、そうなるな」
「うわ、いたたまれねぇ」
エーヴェルトの呟きに、コモンルームに沈黙が落ちる。
異母弟は勝手に書簡を止め、暴言を吐き、紫星の少女の胸に触れ。
紫星を授けた少女はブチ切れて、第二王位継承者に刃を向ける。
簡潔にまとめても、ジェラルドの価値観から言えば理解不能だ。
まさかこんな事態に陥るとは、フェリオ自身も想像していなかっただろう。報告を聞いた彼が、どんな顔をするか想像するだけで気が滅入る。
「一番の問題は、ソフィー様がそれですべてを納得して下さるかどうかだ」
「木の幹より凹凸がなくても、やっぱ胸を触られたら不快だろうしな」
「――――エーヴェルト。貴方はなぜそんなに自分の品位を落とすような発言ばかりされるのですか? 殴りますよ?」
ジェラルドが叱責する前に、キースが低い声で言う。疑問形だが、その声はほの暗い。
「もう忠告はしませんからね」
「……こえぇよ」
キースのいつにないほどの静かな怒りに、エーヴェルトの頬が引きつる。
いつかと変わらぬやり取りを止めたのは、ジェラルドの呆れを含んだ声だった。
「明日、安易な発言ができるほどの余力があるといいがな」
「え、なに? どういうこと?」
「言っただろう。ソフィー様がすべてを納得して下さるかは分からぬと。……いや、十中八九、溜飲を下げてくださるとは思えない」
先ほど放たれた少女の怒りを思い出し、ジェラルドは知らずため息が零れた。
「けど相手はレミエル様だぜ。これ以上、事を大きくしたところでソフィー嬢だって都合が悪いだろう?」
「私が言っているのは、レミエル様の件ではない。こちらの責任の所在についてだ」
「こちら?」
「私たちの責任だ」
「ッ……それは! もちろん短剣を奪われるような失態を犯した責任については、すべて僕にあります!」
キースが覚悟を決めた顔をするが、ジェラルドはゆっくりと頭をふった。
「そういうことではない」
「え?」
「どういうことだよ?」
あの場からレミエルを連れ出した二人は、ソフィーの怒りが、レミエルだけではなく黒星たち全員に向いてしまったことを知らない。経緯を説明すると、二人はポカーンと口を開いたまま固まった。
「なんで、そんなにソフィー嬢が怒るんだよ? 剣を突き出したのも、本当にクリスティーナ嬢への暴言が主だったわけ? てっきり……」
乱心か、女のヒステリーだと思っていたのか、エーヴェルトが信じていないという顔で呟く。
「ソフィー様の今回の紫星就任は、クリスティーナ様の計らいが大きかったとは聞いておりましたが、お二人はそれほど懇意だったのでしょうか?」
「はあ? それだって、作られた話だって噂だろ」
第一王子の男爵令嬢に対する紫星授受は、どう美談として語ろうとも色恋沙汰が噂される。
それを隠すため、ソフィー・リニエールを見出したのは第一王子の婚約者であるクリスティーナ・ヴェリーンだと偽られている――――というのが、黒星たちの中では専らの噂だった。
「レミエル様も、フェリオ殿下からクリスティーナ嬢の話はソフィー嬢の前では絶対にするなと再三忠告されたと仰っていたぜ。本当に仲がいいなら、そんなことをフェリオ殿下がレミエル様に仰るとは思えないけど」
エーヴェルトの言葉に、ジェラルドは今一度考えるように口元に手をやる。
(そうか。
あの時、レミエルが放った暴言に対処が遅れた理由は二つあった。一つは、レミエルの発言に慣れすぎてしまっていたこと。そして、もう一つは二人の少女の関係性への誤認だ。
ジェラルドも、フェリオから同じような忠告を受けていた。
――――クリスティーナの名は出すな、語るな!
まさに、禁句扱いだった。
視線を逸らし苦い顔で言われたそれに、ジェラルドも不仲なのだろうと察していた。
一人の王子に、二人の少女。
ましてや、女性初の紫星。
仲睦まじい姿を連想する方が難しい。
普通なら――――。
しかし、紫星を賜った少女は普通ではなかった。
あの時、フェリオがした何とも言えない気まずそうな顔は、恋愛沙汰における苦悩などではなく、ただ口にするには難しい感情の懊悩だったのだ。
彼が危惧していたのは、婚約者と紫星の少女の確執などではなく、ソフィーのクリスティーナに対する行き過ぎた思慕であり、それに伴って起こるかもしれない不測の事態。クリスティーナが関われば、烈火のごとく怒りを放つだろうソフィーを知っていた上での忠告。
(自分の価値観で勝手に意向を汲み、確認を怠った結果がコレか……)
詳しく問わなかったことを、ジェラルドはため息とともに悔やんだ。
「なあ、まだいまいちピンときてないんだけどさ、それで俺たちはどうなるわけ? この件の落としどころは?」
「ない」
「言いきるなよ……」
「あのご様子では到底無理だ」
「おいおい、諦めるの早くないか?」
「仕方ないだろう」
現状、なんとかできる策はなかった。
ソフィーの怒髪天具合からも、以前のように自分から場を取りなすような行為を提案してくれるとは思えない。
ここ数日話して分かったことは、あの少女は自身のことをとやかく言われることには寛容だが、それが彼女の大切な人となると話は別だ。本気で憤慨し、激怒する。
初日で、なぜ突然ソフィーの気分を害したのかいまなら分かる。
彼女の学友にも当たるかもしれない少女たちを、頭の悪い女扱いしたのが原因だったのだと。
「そもそも、なぜ謝罪が今日になったんだ。遅すぎる」
今さら論じても仕方がないことではあるが、ジェラルドとしてはその点から不満だった。
昨日の時点か、せめてレミエルが来る前に謝罪が終わっていれば、ここまで大規模に巻き込まれることもなかっただろう。
なぜもっと早く来なかったと指摘すれば、エーヴェルトは心外だとばかりに声を上げた。
「いやいやいや! 結構頑張ったと思うけどぉ?? あいつらの説得にどれだけ骨を折ったか!」
「それで今日か? せめて昨日の時点で謝罪に持っていけなかったのか」
「俺とお前じゃ言葉の強制力が違うだろう!」
「なにが違う?」
「なにが違うって……あーやだやだッ、これだから天然のたらしは嫌なんだ! その無駄に整った顔でソフィー嬢も誑し込めればよかったのによ!」
誑し込むどころか、蔑称で呼ばれるほどには嫌われている。初対面の時からやけに敵愾心を持たれている気はしたが、今日が決定打だろう。
「あの……、ソフィー様は黒星全員の星のはく奪を求められるでしょうか?」
怒り狂ったソフィーがどこに行ったのか、そして怒りをどのような形に発するのか分からぬキースが、ジェラルドに問う。
「……あの方は、そういった命は下さぬように思う」
もし星のはく奪を命じるなら、あの場で公言しているはず。
自分のことも気に入らぬなら、いつだって護衛を解任できた。
それをしなかったのは、彼女には“煩わしい相手を有無を言わさず排除する”という思考が薄いからだ。だが、だからといって黙って飲み込むようなそんなか弱い少女でもない。
「それでは、僕たちの非はどうやって……」
裁くというのだろう。
分からぬ方が恐ろしいのか、キースの声は不安げに響く。
「明日確認する。もしソフィー様が何か命令を下せば、その時は可能な限り従え」
「どんな命令かも分からないのに従う前提かよ……」
エーヴェルトがうんざりした表情を隠さずに言うが、ジェラルドはもう一度短く「従え」と断言した。
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