ソフィー・リニエールというご令嬢~ラルス・リドホルムの躍進Ⅴ~

 

「アーロン。一応聞くけど、このことソフィー様は…」


 返ってくる回答が分かっていながらもラルスが問えば、案の定アーロンは首を横にふった。


「そうだよね…」


 普段のソフィーが、黒星五つの“王の神馬”を知っていたならば、気軽に護衛を頼むとは到底思えず、ましてや昼食の配達など言語道断な行いだろう。


「ファース様も、寄宿所でお会いした時にウォーレン様ご本人から口止めされたと言っていたよ。星も三つということになっていて、姓も名乗っていらっしゃらないみたい」


 アーロンが聞いた情報では、偽っていないのは名だけだという。

 それにマルクスが驚きの声を上げた。


「偽りの星を口にするのは大罪だろう!?」

「確かに星の数を多く申告するのは大罪ですが、少なく告げることへの罰は特に規定されていません」

「…そりゃあ、普通少なく偽るやつはいねーだろうけどさ」


 しかも、星五つの人間が星を低く偽るなど前代未聞だ。


「けど、名は偽っていないンだよな? いくら星の数を偽っていても、あのお嬢さんなら、黒星でウォーレンの名を聞けば“王の神馬”だって気づくンじゃねーか?」

「いえ……、どちらかというと“王の神馬”の存在自体をご存じない可能性のほうが高いかと」


 答えたのは、その辺の事情をソフィー本人から聞いていたラルスだった。マルクスが訝るように眉根を寄せる。


「平民の俺でもその名を知っているのにか?」

「ソフィー様は、幼少期からずっとタリスで過ごされていたそうなんです。王都に帰ってきてからも、すぐに“女王の薔薇”にご入学されていますし」

「王都での情報はさほど多くないってことか? でもよ、女の園のほうが噂とかで聞くンじゃねーの?」


 今日の天気と、明日の天気だけで長々と話すことができるのが女だと認識しているマルクスとしては、一度くらい名が出てきてもおかしくないと思ったようだが、ラルスは「それはどうでしょう…」と首を傾げた。


「男性と女性とでは、口にする話題がまったく違いますから。たぶん、年頃の女性が話題にする男性って、結婚対象になる方が主だと思いますよ。年齢的に、ロレンツオ様やジェラルド様なら、その名が話題にあがることもあったかもしれませんが、ウォーレン様の名まではさすがに…」


 ロレンツオも銀星五つを賜っているが、ウォーレンとはやはり年期と貫禄が違う。とても少女たちが軽々しく口にできる人物ではないだろう。


「それに、ソフィー様は…」


 ラルスはそこでいったん言葉を切り、黒星の教室辺りを見つめ、ポツリと呟いた。


「銅貨一枚分の興味すら、黒星に持たれていませんから」

「そういえばそんな感じだったな、あのお嬢さん」


 金星と銀星の五つ星の名を知っていたのは、興味のある分野の人物であり、事前に耳に入る環境があったからにすぎない。黒星に夢見る少女たちならともかく、ソフィーは黒星に一切の興味を抱いていなかった。


「そうなると、余計に“王の神馬”に気づきもしない、愚鈍な女だと反感を持たれている可能性が高いな」

「あー…黒星からは確実にそう思われてますね」


 彼ら黒星にとって、ジェラルド・フォルシウスは同年代の期待の星であり、憧れだ。

 そして、彼の父であるウォーレン・フォルシウスは黒星五つの、黒星の最高峰。唯一無二の“王の神馬”の名を賜り、その存在は退役した現在も神聖視されているといっても過言ではない。


 その“王の神馬”に気づきもせず、昼食の配達をさせている事実は、確かに黒星にとっては面白くない話だろう。


「困ったな…」


 伯爵家であるファースが口止めされているのならば、自分たちがおいそれとその存在を明かすわけにはいかない。


 ソフィー本人に“王の神馬”の存在を告げることができないというジレンマに、ラルスは空を仰ぐ。


(空、青いなぁ)


 ソフィーの敬愛する“お姉様”は、この大空のような澄み切った瞳だと聞いている。

 どんな宝石よりも輝く瞳は奇跡の色。縁取る睫毛は輝く金だと。


 今までは、自身の言動すべてが責任に直結する社交界に対して恐れを抱いていたが、ソフィーの“お姉様”とソフィーの対を見られる貴重な機会だと思えば、恐怖すら掻き消える。


(タイプの違うお二人が並んだら、きっとそれだけで場が華やぐだろうなぁ)


 完全なる現実逃避で二人の少女を思い浮かべていると、あることに気づき小さく声がこぼれた。


「どうかしたの、ラルス?」


 ラルスの小さな呟きを、アーロンが聞き返す。


「いや…、ソフィー様の紫星という価値をないがしろにしている者が、この護衛の方々の人選を聞けば、側室どころか正室さえも考慮されている女性だと勘違いしてそうで怖いな、って思って」


 脳裏によぎった言葉を口にすると、あまりにも不敬な発言だったと気づき、慌てて口元を覆う。だが、一度発したものはもう戻らない。


 ギョッとしたのは、マルクスとアーロン二人共だった。

 マルクスなど、珍しく顔色を真っ青に染めていた。


「おいおい、恐いこと言うなよ。そんなバカバカしい勘違いをしている奴がいるって知ったら、あのお嬢さん、どンだけブチ切れるか。想像するだけで寒気がする……」


 身震いでもするのか、マルクスがしきりに腕をこする。


 正室候補の対抗馬説は、側室説よりも危険だ。

 もしもそんな噂を聞けば、誰よりも怒らせたら恐ろしい少女の逆鱗に触れる。


 ソフィーの愛しの“お姉様”への賛辞は、始終、柔らかく可憐に紡がれていたが、端々には神域を少しでも汚す奴は消す――という強い念が込められていた。


 紫星の少女は、自分のことならば何を言われても、まるで肩に蝶がのっただけとばかりに払うこともせず優雅に微笑むだけだが、こと“お姉様”に関しては寛容さなど無いも等しく、針の先よりもその心は狭い。


 自然と三人に重い沈黙が落ちる中、誰もが心の底から願った。


 頼むから、絶対に見当違いな発言だけはしてくれるなよ――――と。

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