ソフィー・リニエールというご令嬢~ラルス・リドホルムの躍進Ⅳ~

 

「なぁ、坊っちゃんって前からあんな感じの坊ちゃんだったわけ?」


 夢の世界に旅立っているラルスの代わりに、アーロンに問う。アーロンは少し考え込み。


「そうですね、前はどちらかというと、将来に対する不安とか抑圧で鬱々としたところがあったんですが。でも、今は完全に吹っ切れたようです」

「……いや、変な方向に吹っ切れすぎだろう」


 遠くに見える樹木の葉と、同じ色の瞳を持つ少女の影響が大きすぎる。


 紫星の少女が来る前から、ラルスのことは名は知らずとも顔は知っていた。よく食堂で、金星数名と女性談義に花を咲かせる姿を何度か見たことがある。


 その時は、貴族の坊っちゃんは気楽でいいねぇくらいにしか思っていなかったが、まさかあんなに女性について語っていたくせに、一番捕まってはいけない質の悪い相手に捕まるとは。


「確かに、ちょっと変わったなぁとは思いますが、今のラルスの方が幸せそうなので、僕は友人としてラルスを見守りたいと思います!」


 皮肉過ぎて苦笑も出ないマルクスの心中など知らず、アーロンが育ちの良さを感じさせる笑顔でおっとりと笑う。


「あの坊ちゃんにして、この友人か……」

「へ?」

「いや…」


 なんでもないと適当に濁しつつ、チラリとラルスを見れば、いまだ見知らぬ令嬢の名を口にしながら、ソフィーとの類似点を賛辞の言葉と共に紡いでいる。


 しばしそんなラルスを観察していた二人だったが、アーロンの方は生真面目な性格のせいか、まだ黒星の問題について考えていたようで、たまに校舎の窓から黒衣の服が見える度に難しい顔をしていた。


「あ…」


 二階の木枠でできた格子窓の奥に、最年少で聖騎士となった男の姿を見つけ、アーロンが小さく声をあげる。


 ――――ジェラルド・フォルシウス。

 幼少期から将来を嘱望され、同年代の少年たちとは一線を画している稀有な存在。冷淡な雰囲気を常にまとい、狼狽えたところなど誰も見たことがない。黒星の生徒たちにとって、いつだって冷静沈着な彼は、理想そのものなのだろう。


「……正直、黒星がソフィー様に対してよく思っていない最大の理由は、あの護衛の方々の選抜だと思うんです」


 アーロンの視線の先にジェラルドを見つけたマルクスも、それについては同意する。


 将来、第一王子の護衛を任されるであろう将来性に、王国でも屈指の高貴な身分。黒星の生徒ですら、彼はおいそれと声をかけられない男だ。


「そうかなぁ?」


 アーロンの推測に異を唱えたのは、先ほどまで夢の世界に旅立っていたラルスだった。

 内容がソフィーのこととなると、復活も早いらしい。


「黒星からすれば、聖騎士として活躍していたジェラルド様を“王の剣”に戻してまで、ソフィー様の護衛に就かせたことが、面白くないんだろうけど、紫星は聖騎士を護衛にすることができる権限が与えられているし、その相手が名門フォルシウス家だったからといっても、年齢を考えればそこまでおかしいことかな?」


 逆に去年までこの学院の生徒だったことを考えれば、妥当な気もすると考察するラルスに、アーロンは困ったように目尻を下げた。


「ジェラルド様もそうだけど、僕はウォーレン様のことが大きいと思うよ。あの方がソフィー様の護衛、しかも寄宿舎の警護までされていらっしゃるのは、やっぱり黒星にとっては面白くないだろうし。僕たちの目からみても、信じられない光景だと思わない?」

「え?」


 アーロンの放った名に、ラルスだけではなく、マルクスも表情を強張らせた。


「…ウォーレン様って……あのウォーレン様?」


 聞き覚えのある名に、ラルスの口から疑問が零れる。


 なぜその名がいまここで登場するのか分からず、自然と問う声は恐る恐るといった感じになってしまう。


「うん。そのウォーレン様」

「なんで、ウォーレン様?」

「なんでって。この前、ソフィー様の護衛をされていらっしゃったじゃないか」

「え、いつ!?」

「あー…、そういえばあのときラルス半分気絶していたもんね。やけに反応薄いから変だと思った」


 半分気絶で思い出すのは、山岳演習の次の日だ。


 その日の護衛はジェラルドでもルカでもない、年配の聖騎士だった。


 風格のあるたたずまいと際立った存在感は、確かにラルスの目にも入っていた。だが、聖騎士とはそういうものなのだろうと思っていたので、特段気には止めていなかった。


 いま思い返せば、あの時やけに焦った様子のアーロンが、ボソボソと話しかけてきた気がする。夢うつつに聞いていたため、内容についてはまったく頭に入っていなかったが。


「僕も、あんなに近くでお顔を拝見したのは初めてだったけど、ファース様も仰っていたから間違いないよ」


 アーロンだけでなく、同じ伯爵家の長子であるファースまで確認したのなら真実性は高い。


「でもっ、あの方、ソフィー様のお昼ご飯を普通に届けに来てるよ!?」


 昨日もそうだった。そして、それを自分も食させて貰った。


 ソフィーが、今までにないキレっぷりを見せてテーブルを叩きつけた日、驚いて入室してきた聖騎士も彼だった。


「あの方がウォーレン様……?」 


 固まってしまったラルスと代わるように、今度はマルクスが問う。その顔は、聞きたくないが聞かざるを得ないといった表情だ。


「ウォーレンって、あのウォーレン・か? あのジェラルドの…」

「はい、お父上です」


 アーロンの躊躇のない返答に、マルクスは頭をガシガシとかきながら、重く長いため息を吐いた。


 第一王子の婚約者の名は覚えていなくても、ウォーレン・フォルシウスの名を忘れることはない。


「マジかよ…。なんで“王の神馬”とも称される黒星五つの最高位が、紫星とはいえ、男爵令嬢の護衛なんてもんを引き受けてンだ? 大体、黒星五つを賜った聖騎士は、王と第一王位継承者にしか就かないはずだろう?」


 マルクスが“王の剣”の生徒ならば、皆一度は聞いたことのある軍規を口にすると、代々王宮に務める家柄故に、規律にも詳しい知識を持つアーロンが、自分の推測を踏まえた見解で答えた。


「紫星は王の代弁者です。黒星五つを賜った聖騎士が、一時的に紫星を護衛する前例も過去にはありますし、異例というわけではないんです。それに、ウォーレン様は少し前に退役されていますので、現黒星五つの方を就けるよりはいいと判断されたのかもしれません」

「黒星五つの奴が他に何人いても、“王の神馬”の名を賜ったのは過去一人だけ。ウォーレン・フォルシウスだけだろう! 退役してたって、普通の黒星五つの奴とじゃ、価値が違い過ぎる!」


 黒星五つを持つ、最高の星の中でも別格が“王の神馬”。

 その名を賜ったウォーレン・フォルシウスは、王の側近中の側近。

 紫星が王の代弁者であるなら、“王の神馬”は王の右腕。


 どれだけの人物であるかは、平民にだって理解できる。


 貴族でも、よっぽどの家柄でないと名は知っていても、顔を拝むことすら本来なら中々できぬ存在。アーロンやファースが彼の顔を知り得ていたのも、二人が有力貴族の長子であったからこそだ。


「黒星の最高位、“王の神馬”が護衛か……。そりゃあ、黒星の奴ら荒れるわな」


 黒星の気持ちなど、マルクスに理解できるわけもしたくもないが、肝が冷える人選なのは間違いなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る