拝啓 天馬 まずは第一関門ですⅥ

 

「そ、それではうちの社員につきましては、また連絡が取れ次第、ロレンツオ様にご紹介させていただきますので」

「楽しみにしております。……ところでソフィー様、今回の生徒たちのことですが」

「はい…?」


 生徒たちの訪問については、事前にルカから承諾の連絡を貰っていたが、実際は迷惑だっただろうか。問えば、ロレンツオはいいえと首をふった。


「そのようなことはございません。ですが、黒星は呼ばれなかったのですね」

「ジェラルド様は、殿下のご命令があられるとのことでしたので、今回は遠慮いたしました」

「キース・ダドリーはどうされました?」


 ロレンツオの言葉に、ソフィーは思わず「あ…」と小さく声を零す。


(そっか、ジェラジェラじゃなくても、キース・ダドリーがいたわね)


 キースも、初日の挨拶に呼ばれていた人物だ。

 金星、銀星、銅星の生徒たちを連れてきた以上、ジェラルドの代わりに黒星の彼を呼ぶべきだった。


(マズかったかしら? でも、あの子…)


 別段これといってキースに対して負の感情を持っているわけではない。

 しかし、あの食堂での一件以来、キースはソフィーを見ると目に見えて体を硬直させて怯えるのだ。


 こんなに可愛らしい令嬢を目の前に、怯えるとはどういうことだ!? と、言ってやりたい衝動を毎度堪えてはいるが、堪えられずつい口にすれば、一体どんな顔をするのだろう。


 そんなことを考えていると、何か勘違いしたのか、先ほどまでとはまた質の違う笑みで、ロレンツオがほほ笑んだ。


「もしも黒星が無礼な振る舞いを致しましたら、ご連絡下さい。聖騎士団の総責任者あたりに詫びさせましょう」

「いえ! そういったことはございませんので、ご心配なく!」


 銀星五つを賜った彼なら、聖騎士とも繋がりがあるのだろうが、学院どころか聖騎士にまで話が飛んだことに、ソフィーは大きく頭をふった。


(もしかして……ロレンツオ様、黒星のこともお嫌いなのかしら?)


 チラリとロレンツオを盗み見ると、いまだ形の良い唇が上がっており、男にしては麗しい笑顔がソフィーをじっと見つめていた。


 まるで自分が珍獣になったかのような視線に、ソフィーはできる限りの愛想笑いで返した。






 少々疲れたが、無事に合議が終わり外に出ると、ラルスたち三人は研究所から少し離れた一角で待っていてくれた。


 ルカと共に馬車から降り、三人に今日の参加の礼を伝える。


 ラルスとファースの顔色はまだ少し悪かったが、いつも通りの表情で帰ってきたソフィーを見て、安心したのか、頬を緩ませ「ソフィー様も、お疲れさまでした」と、労りの声をかけてくれた。


「マルクス、どうしたのその紙袋?」


 二人の横に立っていたマルクスが、なぜか大きな紙袋を抱えていた。

 来るときには持っていなかったからこそ余計に不思議に思い、つい紙袋を指さしてしまう。


「ああ、これ。果実だよ」

「果実?」

「金星の坊ちゃんたちから貰った。礼だってさ」


 代表して、ラルスが今しがた露店で買ってきたという。しかし、金星からの礼とはどういう意味なのか。


「昨日、俺も坊ちゃんたちに馬の乗り方を教えたンだよ。ルカだけじゃ手におえない人数だったからさ」

「たちって、ラルス以外の金星も乗馬を?」


 聞けば、金星全員が参加したらしい。趣味や娯楽以外では、金星は乗馬などしない。金星の金星たる価値はいい馬に乗ることではなく、いい馬車を所有し、それを引く見目の良い馬を飼うことだ。


「またどうして?」


 答えたのはラルスだった。


「僕が、皆にソフィー様は馬の扱いに手慣れていらっしゃる上に、乗馬がお得意だと話をしたら、全員が自分も習いたいと言い出しまして。まぁ、ルカ殿に頼んだ当の僕は、筋肉痛で体が動かなかったので、皆が教えてもらっている姿を見ていただけなのですが……」


 確かに、ラルスは未だにぎこちない動きをしていた。


 それでも、普段の生活では運動らしい運動をしていない金星の身で、あの山を途中までとはいえ登った根性は十分だ。今後も継続して運動をすれば、成人する頃には立派な青年になるだろう。


「それにしても全員はすごいわ。マルクスもよく引き受けたわね」


 銅星である彼は、あまり金星のことをよく思っていないだろうに。それに、マルクスは礼欲しさに金星に媚を売るようなタイプでもない。


「本当だったら断るよ。貴族の坊ちゃんの相手なんてめんどくせーし。でも、流石にアレを見せられたら不憫に思うだろう」

「アレって?」

「女にプライドをギタギタにされた男が、負けじと頑張る姿を見たらさ」

「まぁ、それは酷い話ね」


 ――――え、このお嬢さん自分だって気づいてないの? それともしらばっくれてるの?


 目の前の少女に対する皮肉を踏まえて言ってみても、ソフィーは唇に手をあて、気の毒とばかりの表情で、どうやら本当に自分のことだと気づいていないようだった。


 マルクスが呆れた表情でソフィーを見ていると、横でファースが眉間に皺を寄せ「馬ですか…」とため息交じりに呟く。


「僕も一度落馬して以来、苦手なんですよね……」


 金星よりも馬に乗る機会が少ないのが銀星だ。


 基本、研究や書物を読み漁ることに忙しい彼らにとって、乗馬など興味もなく、ただケガをするリスクが高いだけの乗り物、という認識なのは否めない。


「それに、怖くないですか、馬の目って」

「そう?」


 ソフィーとしては、どちらかというとあの大きな瞳が可愛いと思っている。


「僕は、あの目も苦手なんです。大きくてどこをみているのかいまいち分からなくて、けどまるで自分のすべてを知っているかのように、見定められているような気がして……」


 ファースのネガティブトークに、ラルスが同意するように相槌を打つ。


「それは、少しわかるような気がします。チラッとこちらを見て、すぐに顔をそらされると、自分のことを否定されているような気持ちになって、それだけで乗るのに躊躇いが生まれますよね。そういう馬は、大抵乗るのを嫌がるし」


 二人とも、馬に嫌な思い出があるのか、どよんとした雰囲気で息が合いだした。


(仲良くしてほしいとは願ったけれど、そんなところで息が合ってもあんまり嬉しくないわ……)


 空気を変えるため、ソフィーはできるだけ明るい声でフォローを入れた。


「馬は人の感情に敏感だから、怖がられると馬も怖がっちゃうのよ。そうね、気立ての優しい牝馬なら、二人も乗りやすいんじゃないかしら?」


 立ち姿の見目は確かに牡馬の方がよいが、この二人なら牡馬よりも牝馬のほうが相性が良さそうだと提案してみる。すると、ラルスがここでもイエスマンを発揮し、強く頷いた。


「分かりました! 乗るのは牝馬にします!」

「悪いけど坊っちゃん、うちに牝馬はいないぞ」


 そう返答したのは、マルクスだった。


 昔は銅星にも牝馬が数頭いたが、牝馬には繁殖としての価値があるため、だんだん気性の荒い、見目が良くない、足が弱いなど難点のある牡馬が銅星の元には集まるようになっていた。


「それに、牝馬はのんびりしてても、意外と神経質だぞ。ちょっと怒るとすげー機嫌が悪くなるし」


 人間の女と同じで、馬もわりとめんどくさいと言うマルクスに、ラルスは目を見開いて驚く。


「と言うことは、牝馬の扱いに慣れておけば、女性にも応用できるということですね!」

「坊っちゃん、意外にポジティブだな」


 ポジティブとネガティブのふり幅が広いラルスが、俄然やる気を出す。マルクスが思わず感心していると、横でソフィーが「女性という生き物は、馬も人も繊細なのよ」と物知り顔で頷いていた。


「お嬢さんの繊細さって、どんなの?」


 顔色一つ変えることなく黙々と鳥を解体したソフィーを近くで見ていただけに、マルクスの口からつい疑問が零れ出る。


「まぁ、マルクス! この容姿から溢れ出る繊細さが分からないなんて、男社会で育ってきた弊害ね!」


 男社会で育ってきたからこそ、ソフィーの豪胆さが分かるのだが。それを口にしたら口にしたで、どういう意味だと詰め寄られそうなので、マルクスは適当な相槌を打った。


 馬でも人でも、女という生き物には余計な一言は口にしない。それが、男にできる最善の防御だ。


「あ……、あの、僕にも乗馬を教えていただけないでしょうか? 僕も、もう一度チャレンジしてみたいです」


 ラルスのやる気に感化されたのか、ファースがルカとマルクスに頼み込む。


 ルカが多少戸惑いながらも了承の返事をしている横で、マルクスが「いや、だからいないって」と右手をあげて止めようとするが、ソフィーの「大丈夫よ」の言葉に止められた。


「マルクス、ラルスの家柄知らないの?」

「は? 子爵様だろう?」


 自己紹介の時に聞いたし、覚えているとマルクスは言うが、リドホルム家がどれだけの財を持ち合わせているかについては知らないようだ。


 ラルスが一言父親に頼むだけで、その辺の黒星たちが所有する馬よりも、ずっと上等な馬を何頭も寄贈するだろう。


 ファースも家柄は伯爵家、しかも長子だ。彼もまた、金を惜しむような家柄ではなく、財力に不自由のない貴族だった。


「銅星の厩舎って、あとどれくらい馬が入れたかしら?」


 うーんと、現在いる馬たちの計算をしているソフィーに、マルクスは意味が分からず、納得がいかないとばかりに顔をゆがめた。




 ◆◇◆◇◆




 後日、銅星の管理する馬場には、美しい馬が何頭も悠々と闊歩する姿が見られた。


 結局、銅星にはファースだけでなく、銀星一同もぜひ教えを請いたいと集まるようになり、その礼にと、新規の厩舎が立てられ、真新しい馬具も次々と届く。


 それらを見ながら、マルクスはため息を吐いた。


「貴族って……」


 金と権力の力は偉大で、ものの数日で様変わりした展開に、さすがのマルクスも呆れたため息しか出てこなかった。


 しかし、一番マルクスを悩ませたのは、


「お嬢さん、頼むから馬の世話は止めてくれる?」

「え、どうして?」


 ズボン姿で厩舎を掃除する、紫星の少女だった――――。

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