拝啓 天馬 ストレス解消がしたいですⅧ


「じゃあ、俺の乗るはずだった馬を貸すからさ、それで勘弁してく…」

「あの子はダメかしら?」

「え?」


 ソフィーが指さしたのは、こげ茶色の馬だった。毛ヅヤのよい、筋肉のつき方も理想的な馬だが、一つ欠点があった。


「あれはダメだよ。ストームは足も強くていい馬だけど、気性が荒いんだ」


 ストームは上位貴族が所有していてもおかしくないほどの名馬だったが、その気性の荒さを嫌がられ、銅星によこすほどの暴れ馬だった。とても年若い少女が乗れるような馬ではない。世話はさせてくれるが、乗せてはくれない。銅星の生徒たちも無理に乗ろうとして、何度も振り落とされている。


「そう…。でも、あの子が、ストームがいいわ。相性がよさそうだし」


 気性が荒いと聞いて、ラルスの腰が引けているのとは反対に、ソフィーはずんずんと歩いてストームに近づく。


「お、おい…。危ないって」


 貴族という生き物は言うことを聞かないから、面倒だなぁとマルクスがため息を吐く。


(仕方ない、俺が乗ってその気性の荒さを教えるか)


 荒ぶる馬の怖さを知れば納得するだろう。


 無理やり乗って怪我でもさせれば、黙って見ていただけでこちらは極刑ものだ。


 こんなことならルカに馬装を取りに行かせずに、自分が行けば良かった。失敗したと頭をかいていると、ソフィーは無理に馬に乗るようなことはしなかった。


「ストーム、初めまして」


 正面から、声を掛けながら近づく。一定の距離を保ちながら、優しく語りかけ、瞳を見つめる。ストームは警戒して耳を後ろに倒していたが、ソフィーが無理に動かずにただ穏やかに声をかけ続けると、徐々にソフィーに耳を向け始めた。


 ソフィーが白い指をゆっくりと近づけると、ストームが顔を動かして指に触る。


「え…マジで?」

「ストーム、私を運んでちょうだいね」


 いつも苛立っているストームが、落ち着いた目で気持ちよさそうに顔を触らせている。


 マルクスが驚いていると、ちょうどルカが馬装を持ってきた。しかし、ストームを見て顔色を変える。


「ソフィー様、その馬は…」

「ありがとうルカ、貸してちょうだい」


 まさか暴れ馬のストームに乗るとは思っていなかっただろうルカが必死に説得するが、ソフィーは慣れた手つきで馬装を整えていく。


 お前本当にストームなの? というほどに、静かにしているストームに、ルカとマルクスが驚いていると、その横でラルスがしみじみと言う。


「馬も、美しい女性には弱いんですね」


 うんうんと頷き納得しているラルスだったが、ソフィーから「ラルスはどの馬を借りるの?」と問われ固まった。その顔色の悪さに、ソフィーは首を傾げる。


「もしかして、馬に乗れないの?」

「……すみません、いつも馬車で移動するものですから」


 ラルスだけではなく、王都出身の金星はほとんどが馬には乗らず、馬車に乗るのが当たり前だった。趣味や娯楽程度で楽しむ者もいるが、美しい馬に乗るより、美しい馬車を所持しているほうが金星としての価値は高い。ソフィー自身、父のエドガーが馬に乗るので忘れていた。


「そう。なら、私の後ろに乗せてあげるわ」

「へっ!?」


 サラリと言われ、ラルスも周りもギョッとした。


 後ろに乗るということは、ソフィーの体に触れるということだ。


 それが許されるのは婚約者くらいのものだろう。


「い、いえ! 大丈夫ですから! 僕のことなどお気になさらずに!」


 相手が妙齢な女性というだけでもあり得ないうえに、ソフィーは紫星なのだ。


 恐ろしい申し出に、ラルスが脳震盪を起こすのではないかと思われるほどに頭をふる。


「る、ルカ殿っ! 後ろに乗せていただけないでしょうか!?」


 涙目で懇願され、ルカはすぐに承諾の返事をした。


「心配しなくても、落馬させたりしないわよ?」


 ほら、ストームもこんなに大人しいし…と、見当違いなことを口にするソフィーに、マルクスはあまりに気の毒になって口を出した。


「そういうことじゃないでしょう、お嬢さん」

「あら、どういうことなの?」

「男には体面ってのがあるからさ」


 一瞬、ソフィーが考え込み、小さく何かを呟いた。


「男だからいいと思ったのだけど…」


 なぜなら男には胸が無い。リリナのような巨乳ならば一緒に乗ると胸が当たって動揺のあまり落馬の恐れがあるが、ラルスなら大丈夫だ。リリナを前に乗せたとしても、そのかぐわしい香りで気が動転しそうだが、ラルスなら大丈夫だ。


 まさか紫星を賜った少女が、そんなことを思っているとは知らず、マルクスはソフィーがまだ男心を理解していない幼い少女なのだと勘違いしたまま山岳演習は始まったのだった。

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