ソフィー・リニエールというご令嬢~クリスティーナ・ヴェリーンの策略とため息~


 幼いころから、公爵令嬢クリスティーナ・ヴェリーンは、自身の婚約者に会えばいつも恋物語をねだった。


 たとえ作り話でもいいので、なにか素敵な恋の話をしてほしいと。


 女性ならともかく、男性が恋の作り話などできるわけがない。それが分かっていながら、クリスティーナはねだるのだ。婚約者であり、この国の第一王位継承者であるフェリオ・レクスに。


 クリスティーナの言葉に、フェリオはいつも嫌そうに眉を顰める。眉間に皺をよせ「無理を言うな」と口にする。


「なぜそんな話を聞きたがるんだ?」

「殿下のことが、気になるものですから」


 可愛らしく微笑めば、フェリオは『絶対に嘘だ…』という表情で紅茶を飲む。


 クリスティーナのそれは、決して嘘ではなかった。ただ、それが愛故かと言われれば答えは否。


 まるで可愛らしい嫉妬をするかのような詮索は、ただの興味でしかない。


 そう、興味だ。

 彼に誰か愛する人はいないのか、興味があるのだ。


 王族でありながら、王族にはなりえない娘を想い、恋をする。そんな話が聞きたい。


 普通のご令嬢なら、婚約者に愛する者がいた過去など聞けば、嫉妬し相手の娘を憎むところだろう。


 しかし、嫉妬などするような情緒があればよかったのだろうが、あいにくクリスティーナにはそういったものが欠けていた。


 クリスティーナは生まれたその時から、王妃になることが義務付けられていた。王妃になるために生まれ、王妃になるための教育を受け、生きる意味は、生きる価値はそこにしかない。


 だからか、愛というものが分からないのだ。

 政略結婚に愛は必要ない。

 必要ないものを、クリスティーナは自ら切り捨てた。


 だが、世に溢れる愛というものが気になる。

 その形に見えないものを、なぜ人は求めるのか。


 愛など、少しばかりの高揚感のために、嫉妬し、憎み、内なる邪悪を露わにするだけではないのか。


 不思議なそれを、クリスティーナは知りたかった。


 けれど、知りたくとも貴族は皆、政略結婚ばかり。とくに周りが高位貴族であれば、尚のこと愛のある結婚をする者などいなかった。愛人がいたとしても、基本公にしないのが貴族だ。


 どこかに胸躍るような恋物語はないかと、クリスティーナは日々思っていた。


 もしも目の前の婚約者に、そんな相手がいたのなら、この退屈な日々が少しだけ輝いて見えるのに。そう思っていた。


 だが、実際のところ婚約者はいつも責務に追われ、恋どころではない。息つく暇もないタイムスケジュールは、同じように王妃となるべく教育されていたクリスティーナよりも多く重い。恋などできる環境も、時間もあるはずがなかった。


 しかし、クリスティーナは気づいていた。婚約者が、嘘をついていることに。


 人の嘘をた易く見抜いてしまうクリスティーナにとって、婚約者の嘘は赤子のように分かりやすい。彼は臣下の前ではサラリと嘘をつけるのに、なぜかある一定の女性の前では、簡単な嘘がつけなかったのだ。


 婚約者が何かを隠している事実を、クリスティーナは楽しんだ。気長に待ち続ければ、いつかその話が聞けるだろうと。


 その時は、意外と早くやってきた。


 婚約者からすれば、時期が悪かったのだろう。短い期間に、第一王子としての公務、王族参加の晩餐会、外国賓客の接受。そして日々の勉学。全てが一気に集中し、彼の体力は尽き果てていた。


 約束された茶会の日、彼は見るからに疲れ、椅子に座っているのも怠そうだった。


 そんな婚約者を気遣いながらも、クリスティーナはチャンスだと思った。


 淹れたお茶は、リラックス効果のあるもので、決して怪しい物ではなかった。しかし、人間というものは、気を抜くと話さなくてもいい話をしてしまうものだ。


 クリスティーナが、いつもよりゆっくりとした穏やかな口調で話すと、蓄積した疲労が少しずつ吹き出すように、婚約者の眠りを誘った。


 疲れと眠りで、正常の判断力が落ちた婚約者は“初恋の君”の話をしてくれた。


 この、王になろうと必死に努力する少年が、恋した少女。


 彼女と出会えたからこそ、彼は王となることを決めたそうだ。


 恋した相手と結ばれるためではなく、彼女の言葉に心動かされ、自分の役目を受け入れたからこそ、王になろうと。


 彼女のために、その手を引くことを恐れ、儚く散らせた恋。


 なんて素敵なのだろう!


 クリスティーナは、久しぶりに胸が高鳴った。

 知りたい。なんとしてでもその少女を。


 裏から調べさせた結果、一人の少女にたどり着いた。


 ソフィー・リニエール。

 男爵家のご令嬢。


 確かに、愛を遂行するには地位が足りない。


 だが、調べさせて分かったが、彼女は不思議なご令嬢だった。孤児を教育し、畑を作り、作物を育て、それを原料に砂糖を作ろうとしていた。目的の達成のためには、他国に赴きより良い物を探す。


 年々リニエール家の財は増え続け、今や平民すら知らぬ者はいない豪商として名を馳せている。


 一度だけではなく、度々調べさせた報告に、クリスティーナの興味は“婚約者の初恋の君”ということだけではなくなり、“ソフィー・リニエール”という少女のすべてに興味を持つようになった。


 あえてソフィー・リニエールの情報を、耳に入れないようにしていた婚約者と違い、クリスティーナはまるで物語を読むような気持ちで、彼女の動向が綴られた書面を眺める。


 彼女自身と、その身辺情報を得ることが、いつしかクリスティーナの楽しみになっていた。

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