第7話

 昨日の晩にマヒロさんが「映画を観に行くぞ!」と言い出した。


 いきなりなんだよ、と思ったけれど、本人としては前々から俺とデートしようと画策していたらしい。俺の誕生日である七月二十日今日に予定が何にもないことは把握済みで、朝から。


 ……午後からでもよかったんじゃん?

 眠い。


「サメ映画ねえ」

「うむ!」


 俺たちは今、東京は上野の百貨店の上の階にある映画館に来ている。こんな平日の午前中から映画を観るやつなんているのか、とエレベーターに乗り込みながら考えながら来たけれど、乗っていた人たちの全員の目的地はこの階だった。暇人ばかりでウケる。降りた瞬間、キャラメルコーンの香りが鼻についた。


 何の事情も知らない人が見たら、俺とマヒロさんって『普通のカップル』に見えてしまうのだろうな。左腕にがっしりとくっついているマヒロさんはおろしたてのおしゃれな服を着ている。なんていう服なのかはファッションに興味ないからわからない。よく似合っていることだけはわかる。たまに俺との身長差を気にしているけれど、俺はこのぐらいの小柄な子が好きだから別に。


 低身長といえば弐瓶教授もか。マヒロさんと弐瓶教授、二人が並ぶと姉妹みたいでいい。タイムマシンに乗って帰ってきてからの弐瓶教授は、すぐにマヒロさんの人類滅亡計画に賛成していた。何を見てきたのかは、二人とも教えてくれない。気になるけれど、どんだけ聞き出そうとしてもはぐらかされている。女同士の秘密らしい。そんなに言いたくないならいいよ。


 計画の一環として、今度、弐瓶教授の研究者仲間でXanaduって研究施設の施設長でもある五代英伍ごだいえいごさんとお会いする約束となっている。そこでは再生医療についての研究がなされていて、前にニュースで報じられていた政府が研究を支援するどうのこうのの対象となっているのだとか。オルタネーター計画だってさ。人類の滅亡とどう関係あるのかな。


「あそこでチケットを発券するのだな?」


 マヒロさんは人が並んでいる列を指差し「行ってくるぞ!」と俺が答えるよりも先に離れていく。見りゃわかるだろうし、おそらくは複雑な操作はしないだろうからついて行かなくてもいいか。たぶん。俺がついていってもわかんねぇし。映画を映画館で観るの、中学の時の課外授業ぶりだと思う。でも、その時に観た映画の内容を思い出せないから、寝ていたかもしれない。


 ベンチに座る。


 サメ映画って、わざわざ映画館で観るほどかな……。先週公開の『シャーク・ネゴシエーション』ってのを観ることになっている。マヒロさんがワクワクしているから、俺が別の映画を観たいとは言い出せない雰囲気で、ここまで来てしまった。チケットを発券されてしまえばいよいよ逃げられない。眠たくならないような内容であることを祈ろう。


 チケット代は祖母のポケットマネーから賄われたようだ。マヒロさん、働いているわけではないし。俺にとっては祖母で、マヒロさんから見たら母親にあたるその人は、マヒロさんと俺との関係を黙認している。同じ屋根の下で生活しているので、気付いてはいないわけではないだろ。俺には何も言ってこないし、マヒロさんとは相変わらず一緒に楽しく料理をする仲だから。直接言いにくいならマヒロさん経由で言ってくるはずだ。


「タクミぃー!」


 そんな大声を出さなくても聞こえるってば。恥ずかしいな。常識ある大人としての行動をしてほしい。曲がりなりにも五歳児の親だったんだからさ。


 チケットを片手に駆け寄ってくるマヒロさん。驚いている周辺の一般人のみなさん。タクミは俺です。なんだか実年齢より幼くなっちゃいないか。気のせいではないと思う。義理とはいえ母親と息子っていう関係性をすっかり忘れてしまったかのように「行くぞ! サメ! 観るぞ!」と興奮気味にぐいぐい引っ張って劇場内に連れて行かれた。待っている間にポップコーンとかドリンクとか買っておけばよかったなって、少し後悔している。


「あー、あー?」


 正しくスクリーンの前までやってきたところで、今度はオロオロし始めたから「最前列のど真ん中かな」と助け舟を出してやった。座席番号のシステムを理解しきれていなかったのかな。買う時に選んだ座席のはずなのだけれども。最前列って首が痛くなりそうだから嫌だな……せっかくだから、前もって相談してくれたらよかったのに。


 マヒロさんはチケットの半券と座席の背に書かれている番号とを指差し確認してから座って、俺はその隣に腰掛ける。


「空いているからどこに座ってもいいのかと思っていたぞ」

「そんなわけないだろ。何のための座席指定だよ」


 ボケているつもりなのか、ど天然なのか。マヒロさんは、ちょいちょい世間知らずを発揮する。よくこの年齢まで生きてこられたなってレベルのもあった。これだけの美人なのだし、世の男どもが放っておかないだろ。箱入り娘だったとしてもやりすぎじゃん。


 それでもひいちゃんの母親だったんだよな……って、疑いたくなることが増えてきた。


 元旦那の八束了がどんなもんだったかは知らないけれど、わざわざ離婚したのだからやばい人物ではあったんだろう。俺の父親と再婚するまでは、父親がワンオペだったように、元旦那と真尋さんとひいちゃんとの三人暮らしであっても実際は二人暮らしみたいな、そういう状況だったと仮定しよう。いや、そうだとしても、真尋さんがしっかりしていなくちゃ、ひいちゃんの育児もあるわけだし。


 何もわからない。この、参宮マヒロという人物の経緯が。容姿だけをコピーして、中身は真尋さんではない別のもののように思えてならない。料理のスキルはリセットされていたし。いつから切り替わっていたのか、あるいは杞憂なのか、考えれば考えるほどドツボにハマる。記憶喪失なだけかもしれないからさ。


 やがて映画は時間通りに始まって、一時間半後、マヒロさんは号泣していた。俺が身体を支えながらでないと劇場から出られないぐらいにボロボロになっている。そんな泣く要素なかっただろ。他の観客は「面白かったねー」とか「おなかすいたなー」とか、当たり障りのない感想を呟いていて、泣いている人はいなかった。感性もズレてんの?


「サメがぁ……」


 サメのほう????????


「サメが歩み寄っているというのに人類ときたら、まったくもう」


 ひとしきり泣いてから、今度は人類に憤慨し始めた。確かに、人類がサメと対話して、サメを説得するシーンはあったけれど……ほら、タイトルにも『ネゴシエーション』とあるし。交渉ね。人語を理解するサメが相手だから、言葉で平和的解決を目論んだのはよかった。でも、最終的にはサメに爆弾を食わせて破裂させていた。人類とバケモノとでは分かり合えないって話なのだろう。なんだか少し可哀想な気はした。とはいえ、サメのほうもさんざん破壊活動をしていたので、殺されてしまっても文句は言えないだろ。劇中でも駆除する以外の解決策は話し合っていた。


「サメに足はないだろ」


 俺が揚げ足をとると「そうだった……」と落ち着いてくれた。

 このまま泣き止まなかったらデート中止だったな。映画を観にきて帰るだけ。

 まあ、俺はそれでもよかったが。


 せっかくだから、マヒロさんが考えてくれたデートプランに乗っかりたいじゃん?


 マヒロさんはハンカチで顔の上にあった雫をそそくさと拭き取って、ポシェットに入れていた手鏡で化粧の崩れがないかを確認してから「昼は高級イタリアンに行くぞ!」と宣言した。


 映画と同じく、スマホで予約をしたのだろうか。高級イタリアン。


 この辺に長く住んでいるとはいえ、外食はしなかったからどこにどんなレストランがあるかは詳しくねェんだよな。マヒロさんのオススメの高級イタリアン。過去に他の男と行った店とか、それか、テレビで見て行きたかった店とか。まあ、そんなとこだろ。


 手を繋ぎ、エレベーターで一階まで降りて、大きな通り沿いを上野駅に向かって進んでいった。


「今日はここだぞ!」


 マヒロさんの指差す先には両腕を左右に伸ばして手のひらを広げるポーズをした社長の人形がある。

 ――ここってイタリアンではなくて寿司屋じゃん? 何? ツッコミ待ち?


「二階だぞ、二階」


 俺がその社長の人形を前に首を傾げていると、マヒロさんは階段を上がるように促してきた。


「ファミレスじゃん」


 高級イタリアンではない。

 二階にあるのは高級イタリアン――とインターネットであだ名を付けられたファミレス。


「何名様ですか」

「二名様だぞ!」


 デートで来るような場所ではなくない?

 もしかして俺の感覚がズレている?


「ふんふん♪」


 本人がご機嫌だからまあいいか。いいのか?

 半信半疑になりながら席に着く。


 朝から映画を観たもんだから、今はランチタイムが始まる前ぐらい。

 これから混み始めるのだろうな、っていう店内の雰囲気を感じつつ、メニューを開いた。


「ミラノ風とはなんだ?」


 マヒロさんがドリアを指差して問いかけてくる。

 ホワイトソースの上にミートソースの乗ったドリア。


「イタリアのミラノで食べられているタイプの。広島風だとか、関西風だとかみたいなもん」


 正解かどうかは知らない。


 俺が答えてやると、マヒロさんはふぅんと納得したようでページをめくる。結構料理するタイプでも知らないか。まあそうだな、と思っていたら、パスタのページで「このシシリー風ってのはシシリーという土地か?」と新たな質問が飛んできた。


「シチリア島のことじゃあないかな。イタリアという国はブーツみたいな形をしてて、つま先の先っぽのほうに島がある。レモンが有名な」


 こちらは合っていそうな気がする。

 気がするってだけだけれど。


「タクミは物知りだなあ」


 受験で社会科の選択を地理にしたせいで、覚えなくちゃいけなくて覚えた知識に感心されてしまった。得意げになるようなもんでもない。というか、マヒロさんもどこぞの女子大の卒業ではなかったっけ。これぐらいなら知らないもん? それとも受験から結構経っているから忘れてしまった?


「わかったぞ。この『ディアボラ風』というのは『ディアボラ』という地域か!」


 肉料理のページで『ディアボラ風』の文字列を指差して、俺から一本取ったような顔をする。

 残念だけど、不正解なんだよな。


「違うよ。ディアボロ――イタリア語で『悪魔の』って意味で」

「引っかけ問題か?」


 メニュー作る人、そこまで考えていないと思う。


「俺はこれにするよ」


 お子様メニューを見て、動物園の帰りにこの店に寄ったことを思い出した。もうひいちゃんはこの世にはいなくて、今はひいちゃんのおかあさんであるマヒロさんとここに来て、昼飯を食べようとしている。不思議だな。

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