第26話 私の感情
ギーと千夜に与えられた選択肢は、以下の三択である。
①千夜の記憶からギーを含むエスリに関する全ての情報を消す。二人とも以前と同じ生活に戻る。その後ギーは千夜に接近することは許されない。
②千夜の記憶からギーの記憶を残したまま、二人とも以前と同じ生活に戻る。ギーは速やかにエスリに帰還する。今後二人が再会することは許されない。
③千夜とギーが共に地球で暮らす。ギーがエスリに帰ることは許されない。
「ちょっと厳し過ぎやしません?」
一番にそう口にしたのは、ギーの父親だった。
「特に後ろ二つ。ギーは犯罪を犯したわけじゃないでしょう?」
不満げな声音に、イトウは小さく溜息をついた。
「確かに地球人に見つかってしまう事自体は、犯罪ではありません。旅行客にしろ受験生にしろ、誰にでもありうる事故ですから。けどね、望ましい事故なんてないでしょう? 交通事故と一緒ですよ。不注意で事故を起こしてしまったら、それなりにペナルティが発生します。これはエスリの秩序を守る為に、必要なことなんです」
「……そうね」
ギーの母は短くつぶやき、頷いた。そして息子に向かってこう続けた。
「ギー。よく考えなさい。認定取得はまだだけど、あんたはもう大人なのだから。自分のことよ。自分で決めなさい」
「かーちゃん!」
「何よ、あなた。子離れできてないわね。ギーが何歳だと思ってるの。もう十分一人でやっていける年齢じゃないの」
「でももし③を選んだらどうなる? もう二度と、息子と会えなくなるんだぞ?」
「……それでも子供が選んだ道なら、認めてあげるしかないでしょう」
母親のこの言葉の後、しばらく沈黙が続いた。
画面の向こうの五人は、ギーと千夜を静かに見守っているようだった。彼らは口を挟もうとはせず、二人の出す決断をただ待っていた。
ギーと千夜は、向かい合って立っている。二人の間を遮るものは何もなく、お互いの視線は迷いなくそれぞれの瞳に注がれ、そこに自分の顔が映り込んでいることを目視できた。
「好きだよ、千夜ちゃん」
その微笑みに陰りはなかった。
ギーの右手が、千夜の左頬をそっと撫でて行く。
「①にしよう」
薄く開いた千夜の唇が音を弾き出す前に、ギーは続ける。
「千夜ちゃんには、これからがある。高校に行って、新しい友達を作って、新しいことを学んで……これからも君の未来は続いていく。俺とのことは、千夜ちゃんの人生の中の、ほんの一瞬の出来事に過ぎない。わざわざ覚えていても仕方ないことだよ。宇宙の果てにいる異星人のことなんて……それよりも君にはこれから、楽しいことや大切な人との出会いが、沢山待ってる……この
――千夜ちゃんは、まだ俺に恋をしてない。中途半端に記憶に残していても、煩わせるだけだ。それに俺だって……辛い
これがギーの出した結論だった。千夜の人生を邪魔せずに、エスリの家族を悲しませず、そして自分の心を最も慰めることができそうな選択はこれしかない。
「……銀くんは、私を好きじゃなかったの?」
確認しようとする千夜の声は、小さかった。
「好きだよ。なんでそんなこと」
「だって①番を選んだら、私は銀くんのことを忘れちゃうんだよ?」
「……心はくれなくていいから」
耐えきれず、顔は歪んだ。
ギーは声を震わせていた。
「心はくれなくていい。だから忘れてよ。千夜ちゃんが俺を覚えているのに、もう会えないなんて……そんなの辛すぎる」
「銀くん」
息を吸い込もうとしたギーの口から、大きな嗚咽が漏れた。
――最悪だ。好きな子に泣き顔見られるなんて。しかもこんなに情けない声まで聞かれるなんて
これまで一度も晒したことのない醜態である。ギーはもう、どうしたらいいのか分からない。真っ先にからかってきそうな兄妹でさえ、こんな時に限って口をつぐんでいる。
「銀くん」
「もう俺を見ないで」
「ねえ」
「見ないでくれ」
「銀くん……」
「俺を許して。君のこと下に見てた。受験もナメてた。人間の心を軽く見てた……こんなに辛いなんて、知らなかったんだ」
すうっと息を吸い込む音を、ギーの耳がとらえた。
「簡単に撤回しないで!」
鼓膜を震わせたのは、千夜の大声だ。
あの日。地球に降り立つ直前、流星群に紛れた宇宙船が受信した大声。あの声と同じだった。千夜の声はよく通る。
「私の心が欲しいって言ったこと、たった一日でなかったことにしないでよっ!」
胸ぐらを掴む勢いで、千夜の両手がギーのシャツに沢山の握り皺を作っていた。
「私、絶対に銀くんのこと忘れたくない。忘れるなんて絶対に嫌。銀くんと一緒にいて楽しかったこと、忘れたくないよ……! それに、会えなくなっても……」
涙でぼやけた視界の先に、ギーの泣き顔があった。
「銀くんのことを大好きになった気持ちは、ずっと私のものでしょう? 誰かに消されて、なかったことにしたくない。会えなくて悲しくても、この気持ちはこの先も、私の大切な感情のままなんだから……」
震え始めた身体を支えるように、ギーの両腕が千夜を包み込んでいた。千夜の視界に映るのは、ギーの顔ではなく彼のシャツの白ばかりになる。服越しに体温が伝わってきて、鼓動が感じられた。
その人が今確実にそこに存在していることを証明する、熱と音。
それらに後押しされて、とっくにかけがえのない誰かになっていたその人に、千夜はようやく言葉を届けることが出来るのだった。
「私はギーくんのことが好き……特別に想ってる」
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