第24話 香り

 俺たちエスリ人の遠い祖先達の中に、地球へ移住をした者たちがいた。

 移住の目的は、人類に適した環境に整ったばかりの地球の調査。人類が異星に作る文明が、どのように発展していくのか。その過程を観察するためだった。


 男女合わせて五百人。その大多数が若者で、彼らに不足している知識と経験を補う為に、年配者数名も同行したという。

 彼らは皆、お互いに血の遠い者同士だった。子孫を作る上で不都合がないようにだ。

そしてそれ以上に、彼らは重要な共通点を持っていた。

 それは、『地球の香りに順応できる者』であること。


 多くのエスリ人にとって地球の大気は、あまり好ましい香りではないらしい。だから長くは留まれない。我慢の限界が来るからだ。

 俺にはよく分からない。俺は初めて降り立った時即座に、「いいな」と思ってしまったのだから。


 地球の土、水、木、大気、町、人々から感じる香り――――どれもが好ましいと思った。みずみずしくて、精一杯生きている香りだ。

「いいじゃん。全然臭くないじゃないか」そう感じたんだ。


 だから地球での受験に対して、全くプレッシャーは感じなかった。降り立つ直前に「楽勝」と思える願望も、キャッチできていたし……まぁ、受験に関しては、予想を大きく外して大苦戦しているんだけど。


 千夜ちゃんの第一印象は、「ちょろそうな小娘」だった。

 妹より外見は年上の少女だったが、実際にはミィの半分も生きていないのだろう。地球での時の経過と人類の加齢と寿命は、エスリ人が香りよりも地球に長く留まることを嫌がる理由の一つだ――――地球上での人類の寿命は、とても短い。

 

 香りが気に入ったからといって、加齢と寿命の観点から、俺も地球に長く滞在するつもりはなかった。長居しすぎたら、浦島太郎状態になってエスリに帰るはめになる。(浦島太郎は、長く地球にとどまりすぎたエスリ人の実話だ。地球ではお伽話として伝わっているけれど。)


 さっさと試験をパスして、付近の観光地を観たら、すぐに帰るつもりだったんだ。

 だけど。


 知ってしまった。


――人間は美しい


 狭い店内に彼女と二人きりの時間が、長かったからかもしれない。

 それまで周囲には常に複数の女の子がいたし、家族と過ごす時間はいつも賑やかだった。


 初めてたった一人の人間と、長い時間対峙していた。そして何かに夢中になっている人間の表情は、こんなにも美しい……そんなことを、知ってしまったんだ。


 これ程強く惹かれる美しさを、どうして千夜ちゃんに見出したのだろう。

 地球人は短命が故に、美しく見えるのだろうか? 燃え尽きる直前の彗星の輝きに目を瞠るのと、同じ理屈だろうか。刹那的な美しさというものだろうか。 


――地球の香りに包まれて、この娘と共に生きられたら……


 どんなに素晴らしいだろう。

そんな夢想をするまでになってしまっていた。


 いつもの恋愛のように、「もういいや」と覚める瞬間なんて訪れない。

彼女さえ振り向いてくれたら。

確信があった。


だから俺は――


「このまま地球に移り住んで、千夜ちゃんと生きる」


 そんな決意を固めたんだ。


「地球に住むということが、どういうことか分かっているのか? 寿命はせいぜい、運良く平和な環境で健康でいられたとしても、八十かそこらしかない。エスリでは不摂生していても、その五倍は軽く生きられるんだぞ」


 真っ先にイトウさんが言った言葉がこれだ。予想できてた。エスリ人にとって、地球にいるだけで寿命が縮むことは恐怖でしかない。


「どうしてわざわざ監獄に入るような真似をするの? ギーらしくないわ。あんたはいつだって、楽な方を選ぶ子だったじゃない」


 母さんはこんなふうに言った。

エスリにとって地球は観光地でもある一方、犯罪者の流罪先でもある。いるだけで寿命が短くなる上に、多くのエスリ人にとって悪臭の環境なのだから、監獄にするにはうってつけなのだ。


「同じ星の住人同士でいつまでも戦争しあってるような野蛮な場所だ。お前、地球史の授業は真面目に受けてたんだろうな?」


 父さんはこんなふうに言った。

知ってるよ。歴史は一番の得意科目だった。エスリ史も地球史も宇宙史も。蘊蓄うんちくレベルまで網羅してる自信がある。確かに地球人達は未熟だ。隣人同士の争いが絶えない。


 自分でも驚くけど、でも納得している。幸い地球の香りへの適性はあるようだし、思ったほどこの国の住環境は劣悪でもない。


 もう引く気にはならない。

 彼女と離れて、エスリに帰るなんて。

 絶対に嫌だ。


……けれど試験をパスできた報せは届かないので、きっと千夜ちゃんは恋には堕ちていない。昨日の別れ際、少し手応えを感じたのは確かだけど……きっと不十分なんだ。



***



「ギー、千夜ちゃん。今から三つ、君たちに選択肢をあげる」


 エスリと俺たちに関する、一通りの説明を千夜ちゃんに聞かせ終えたようだ。

イトウさんが言った。少し畏まった声だった。


「二人でよく考えて。最善の選択をしなさい……ギー。お前にとっては、ちょっと酷かもしれないけど。地球人にエスリのことがバレてしまった、ペナルティも加味されてるからな」

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