第22話 揉め事?
翌朝。
千夜の足は、歩道の上を駆けていた。家を出た時点では早歩きだったはずなのに、いつの間にか息が弾んでいる。
気が急いていた。
――早く。早く伝えたい
意識だけがどんどん先走りしていく。出せる速度の限界が、もどかしくて仕方ない。
外気は冷たいはずなのに、千夜の身体はすっかり汗ばんでいた。
――伝えなきゃ。私がこれから、どうしたいのか。銀くんとどうなりたいのか
シャッターは開いている。店内の明かりが漏れて、早朝の歩道をオレンジ色に染めていた。
千夜の手がガラス戸を開けた。
カランカランという、厚みのある鈴の音が二回鳴った。そして甘く優しい香りが、千夜を出迎える――――はずなのだが。
「あれ?」
店内の異変に、千夜はすぐに気がついた。
「チョコが……ない」
陳列台には、埃よけのカバーが並んでいるだけだ。その下に整列しているはずの商品は、一粒も見当たらなかった。
「銀くん?」
時計を確認したが、千夜が早く着きすぎたわけではないようだ。いつもならこれくらいの時間には、商品は全て並べ終えているはずなのだ。
上がりきった呼吸を整えながら、千夜はコートとブレザーを脱いだ。いつものように会計台の奥の荷物置き場に、鞄と一緒にそれらをまとめる。
昨日の今日でのこの異変に、不安が心にさざ波を立てていた。
「銀くん、どこにいるの?」
その時。奥のドアの内側から、耳を
「俺は本気だ‼」
びっくりした千夜の耳に、間髪入れずに次の大声が飛び込んでくる。
「一丁前に何を言いやがる! この
凄みのある怒鳴り声は、千夜の知る男のものではなかった。もっと年配の男性のようだった。
「小童じゃない! もう大人だ!」
「はっ。笑かすなコラ。まだ成人認定すら取れていない癖に」
「成人認定? ただの目安でしかない。そんなもので推し量られてたまるか!」
「あなた、ギー。ちょっと落ち着いてよ。もう少し冷静に話し合いましょう」
「うるさい黙ってろ!」
「今なんて?」
「ハ……ッ。ウソウソウソウソウソウソ……うそです、かーちゃん……」
「しっかり聞こえたんだけど? 黙ってろ? 黙ってろって言った? 今、言ったわよね。黙ってろって。妻に向かって、『黙ってろ』はどうなの? ねえ、あなた?」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。久しぶりに大声出したら、ちょおっと気が大きくなりすぎて、口が滑ってしまってぇ……」
「あのう……すみません、お父さんお母さん。論点を戻して頂いてもよろしいでしょうか。きちんとご家族で話し合って、結論を出していただかないと……」
「あら、ごめんなさいね。イトウさん。お見苦しいところ見せてしまって。ホホホ」
「もー、ママとパパったら。いつもこうなんだから。アタシが取り仕切ってあげる。で、ギー兄。もう決意は固いって感じなの? もう絶対に絶対に絶対に、気は変わらないっぽいの?」
「だからそう言ってるじゃないか」
「ギー。お前本当に分かってんの? 移住って簡単に言うけどな、そんな甘くないぞ?」
「分かってる」
「本当かよ。俺もこの間、社員旅行で
「俺は
「え? マジ? お前変態?」
「ギー兄が色々と変態なのは、周知の事実だよね」
「あのう、論点を……」
複数の人間の声がする。何やら揉めているようだった。
――銀くんの家族かな……
会話の趣旨がよく分からないが、お互いの呼称から、そうであろうことは察しがついた。千夜はドアをノックしようかどうか迷ったまま、暫くの間立ち尽くしていた。
しかしギーの大きな一声が聞こえて、遂にその扉を開けたのだった。
「俺は千夜ちゃんを愛してるんだっ! 彼女を残して帰るなんて……ありえない!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます