第14話 罪悪感

 千夜は相槌を打ちながら耳を傾けている。正面を向いているので、ギーから表情は読みづらい。不安だった。


「そっかあ」


 甥っ子のチョコレート作りへの熱意に絆された伯父が、出店の後押しをしてくれたというくだりまで話したところで、千夜は「ふふ」と笑ってギーを見上げた。


「すごいね、銀くん。チョコレート作り、そんなに好きなんだ。私のチョコ愛も霞んじゃうね」


 今の話を信じたようだ。屈託のない表情で笑う千夜を見ながら、ギーは心臓に鋭い爪を立てられたような痛みを感じていた。


「銀くんのチョコレート、すっごく美味しいもんなぁ。尊敬する!」

「ありがとう」


 返す声は震えなかった。安堵する反面、顔が歪んでいないか心もとなくなる。

 千夜のことをただの地球の小娘と認識していた頃ならば、穴だらけのこんな作り話を信じる彼女の未熟さに、ほくそ笑んでいただろう。


――嘘なんだ。何もかも。今の話全部


 伯父なんていないし、海外住みの両親もいない。家族がいるのは宇宙の果ての別の惑星だ。


 チョコレートの存在だって、地球にやってくるまで知らなかった。初めて食べた時の感想は、「甘ったるい」だった。不味くはないが、特別好きになる程の味でもなかった。


 千夜の好みに合わせて毎日製造するチョコレートは、ギーの手で作り出されるものではない。構成される粒子を元に、地球上のあらゆる物質を製造できる便利な道具――サポートセンターから貸し出される、備品の一つだ――その機械によって製造しているのだ。会計台の奥の部屋、本来ならば調理部屋として使う空間に、その便利な機械マシンは置いてあった。千夜には一度も、その場所を見せたことはない。


――嘘なんだ


 千夜の笑顔を見ることが出来て嬉しいはずなのに、どす黒い罪悪感が際限なく湧いてくる。

 こんな感情、初めてだった。いつも自分が無傷で気分良くなれさえすれば、嘘をついても何とも思わなかった。


「私、銀くんのことを何も知らなかったんだね」


――違う。本当のことじゃないんだ


「いつも私が、一方的にチョコの話ばかりしてたからだよね。今日銀くんと出かけることにして、良かったなぁ」


――違うんだ。俺に話せる本当のことなんて、なかっただけなんだ


「もっと銀くんのことが知りたくなった。いつもお店でお喋りしてる時、すごく楽しいし」


――嘘なんだ。本当の俺じゃない


 どうしてだろう。

千夜の気持ちさえこちらに向けば、それで成功だったはずなのだ。正体なんて明かさずに、自分に都合の良い嘘だけを述べて彼女をその気にさせる。そして試験をパスしたら、手に入れたエネルギーを持ってエスリに帰る。それで良かったのだ。

 その計画の中に、罪悪感の入り込む余地などなかったはずだった。


――どうしてこんなに、無駄なことしてるんだろう


 怪しまれないための言葉を探して、使った後にこんなにも罪悪感に苦しんでいる。真実を伝えられないことが、こんなに苦しいだなんて。


――気持ちだけ手に入れば、それでいい。後のことなんて考えなくていいのに


 千夜を恋に堕としたら、ギーはエスリに帰る。別れた後の千夜の感情など、どうでもいい。もう会うこともないのだから。悲しもうが怒ろうが、騙されたと罵られたところで、彼女の声など聞こえない距離に自分は帰るのだから。


――嫌だ。嫌だ嫌だ


 想像しただけで胸が張り裂けそうになった。耐え難い痛みに、思わず俯いて顔を隠したギーの隣から、心配そうな声が聞こえてきた。


「どうしたの銀くん。具合悪い?」


 背中に温かい手が添えられて、ギーは目を見開いた。千夜に擦られていた。


「気持ち悪いの? 顔真っ青だよ。大丈夫?」


 控えめに背中の上を行ったり来たりする小さな手の感触に、溺れそうになる。


「平気。ごめん、大丈夫だよ」

「本当に? 今度は顔真っ赤だけど」

「平気平気。本当に、大丈夫だから多分」

「多分? やっぱり引き返そうか」

「ダメ」


 ちょうど電車が停車したのは、今日の目的の場所だった。

 背中から離れた千夜の手を、ギーは捕まえるように握りしめていた。


「行こう、千夜ちゃん。今日はせっかく時間があるんだから、じっくり楽しまないと」

「うん」


 突然繋がれた手について言及する暇を与えられずに、千夜はギーに引かれるまま電車を降りたのだった。

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