12 湊と伊織

「んん……」


 伊織いおりは、懐かしさを覚えるほどに久しぶりの人の温もりを感じ、それが逃げていかないように抱きしめて。


「………………ん……?」


 どうして、温かいのだろうかと、この温もりはもう二度と触れられないもののはずだと、浮上しかけた意識で思い出し始め、


「……。……えっ……?」


 目を開けたら、目の前に結華ゆいかの顔があった。しかも、すぅすぅと寝息を立てている。


「え? ……あっ」


 そこで伊織は、自分が結華の腕を抱きしめていることに気づく。そのせいで結華はここから離れられず、最終的に寝てしまったのだと、伊織は理解した。

 そして、思い出す。頭を優しく撫でられていた感覚を。


『安心して大丈夫だよ。怖いことなんてないから、何があっても守るから』


 あれは、夢の中で聞いたあの声は、母のものではない。母はそんなことは言わない。


『置いてかないよ。ずっといるよ。だから安心してね』


 あれは、結華の声だった。


「…………!」


 伊織の顔が、赤くなる。

 自分はまた、うなされていたのだろう。そして、それを結華に見られた上に心配されて、しかも結華は、その状態の自分をなんとかしようとしてくれたのだ。


「……」


 伊織は、結華の腕を、その温もりを、


「…………」


 寂しそうにゆっくり離し、寝てしまっている結華を起こそうとする。


「……あ、あの、すみませんでした。起きてください、如月きさらぎ先輩。先輩、……結華先輩」


 少しゆすりながら声をかけると、結華がぴくりと動き、


「んぅ……?」


 と、その目が薄く開く。


「……」

「……あ、あの……? 先輩……?」


 じぃっと見てくる結華に、伊織はどう反応すればいいのかと困ってしまう。

 そうしていたら、半分眠たげにしている結華は左の肘をついて、右手を伊織に伸ばし、


「大丈夫。なんにも心配いらないから……」


 そう言って、伊織の頭を撫で、ふわりとした笑顔を伊織に向けた。


「せ、せんぱい……?」


 結華はそのまま伊織の頭を撫で続け、その手が頬へと滑り、


「え…………」


 結華はまた、こてんと寝てしまった。


「……え? あ、せ、先輩。結華先輩。結華先輩! 起きてください! ごめんなさい僕のせいですよね?! 起きて?! 先輩!」

「……んあ……?」


 結華は身を起こし、伸びをする。今度こそ起きたようだ。


「あーごめん。やっぱ寝ちゃってたかー。起こしちゃったかな、ごめんね」


 さっぱりと言う結華は、伊織について何も聞いてこない。何もなかったようににこにこしている。


「……あの、先輩……」

「ああ、ごめんね。私のせいでちゃんと寝れなかったよね。じゃ、私は行くね。まだ授業終わってないし」


 そう言って立ち上がった結華へ、伊織は手を伸ばしてしまった。


「ん?」

「……あ」


 その手は、結華のジャージを掴み。


「──あっ、す、すみません!」


 伊織は赤い顔になってパッと手を離す。


「すみませんでした……僕、いつの間に先輩の腕掴んでたのか……それも覚えてなくて……」

「いいよいいよ。気にしないで。人間そういうことあるよ」


 結華は明るく言って、何でもないように手を振る。その時、ガラリとドアが開いた。


「あ、先生?」


 結華の問いかけに、


「先生じゃないんだよなぁ」

「……みなと?」


 結華がヒョコヒョコ歩き、カーテンから顔を出すと、


「様子見てこいって直々に言われたんだよ」


 呆れ顔の湊が保健室に入ってきた。


「先生に?」

「いんや? 美紀みき香菜かなに。で、ベッドでなにしてんの。寝てたの?」

「あ、いや、……付き添い?」


 ベッドまで歩いてきた湊は、その中を覗く。


「あ、ど、どうも……」


 そこに座る、恐縮した樣子の伊織を見て、


「?」


 こちらを眺める結華を見て。湊はまた、伊織へ顔を向け、


「こいつ、連れ帰っていい?」

「あ、は、はい! 僕が引き止めちゃった、みたいな……感じだったので……」


 その声がだんだんと小さくなっていく伊織を見て、結華はあることを思いつき、


「ね、ちょっと、耳貸して」


 湊へそう言うと、湊が何か言う前に、その耳に口を寄せ、


「あのね、この、四月一日わたぬき伊織くんってね、同じアパートの住人なんだよ。で、ちょっと一人暮らしに不安あるみたい。なんかあったら声掛けてくんない?」


 こしょこしょと、そんなことを言う。


「……だから結華ってさあ……」

「え? 駄目かな」

「違くて。……あー、四月一日? って言うんだ?」


 二人の様子を見ていた伊織は、


「えっ、あ、はい。四月一日伊織と言います」

「おれ、佐々木ささき湊。結華んちのアパートに住んでる」


 それを聞いた伊織は驚く。


「え?! 柏木荘?! ……あ、僕も、そこで生活してて、今、すみません、ちょっと驚いちゃって……」

「おれさ、あそこに越してきたばっかだけど、なんかあったら声かけてくれよ。こっちもなんかあったら声かけていい?」

「あ、は、はい」

「おれ、二◯三号室」

「あ、一◯二号室に住んでます」

「了解」


 湊がニッと笑うと、伊織は結華と湊の顔を見て、


「……あの……お二人はお付き合いしてるんですか……?」

「へ? 違う違う、ただの友達だよ」


 湊が何か言う前に、結華がそれを否定する。


「そ、ですか」

「そうそう。じゃ、行くね。ちゃんと休みなね」

「はい。ありがとうございます」


 結華はカーテンを閉め、ヒョコヒョコ歩こうとすると、


「ちょい待ち」

「なに?」


 湊は人差し指を立てて口に当てる。そしてしゃがみこみ、結華が痛めた足首に手を当て、


(ん? んんん?)


 痛みが引いていく、と結華は実感する。そして痛みは完全に無くなり、


「よし、行くぞ」

「え、は、うん? うん」


 湊に促され、結華は保健室をあとにする。


「……さっきのなんだったの?」


 廊下を歩きながら、結華は湊へ不思議そうな顔を向けた。


「治癒」

「また能力……?」

「魔法」

「いいの? ただの捻挫だよ?」

「痛いのは嫌だろ。それに結華、ダンス真剣にやってたろ」


 湊の言葉に、結華は少し驚いたあと、「君はいいやつだねぇ」と言い、


「そりゃどーも」


 湊は呆れながら返事をする。


「あ、手」


 そして結華は、思い出したように手を差し出し、


「……あー、うん」


 湊はその手を見て、少し間を置いてから握った。


 ❦


「男バスの練習試合だって!」

「見に行こ!」


 放課後になり、校内の女子がざわめき出す。


「男バス? 強いの?」


 湊の疑問に、また群がっている女子が説明する。

 紅蘭の男バスは結構強く、その要となっているのが、三年生の大鷹朝陽おおたかあさひという人なのだと。


「へー……観に行こっかな」


 少しはこの環境に慣れてきたのか、逆に慣らすためか、湊はそう口にする。だがやはり、湊へ目を向けていた結華へと視線を寄越した。


(へいへい)

「じゃあさ! 一緒に観に行こうよ!」


 一人の女子の声に、周りもそうしようそうしようと言いながら、湊へ期待の眼差しを向ける。


「そうだな。なあかえで。お前は行けんの?」

「へっ? 僕?」


 声をかけられた楓はビクッと震え、自分に向いた女子の『お前は来るな』という圧に押し負け、


「ご、めん……ちょっと無理そう……」


 とても申し訳無さそうに断る。


「そか。じゃ、おれたちだけで行くか」


 そう言いながら立ち上がった湊の、


「行こ行こ!」


 その背中を押し、腕を掴み、第一体育館へ女子達は連れて行く。

 結華もカバンを持って立ち上がると、


「……行くか」


 そこに、


「結華ー」


 声がかかる。


「行くんでしょー?」

「付き合うよ」


 美紀と香菜だった。


「どこに?」

「男バスの練習試合だよー」

「え? 美紀、男バスに興味あったっけ?」

「違うよー」

「湊が連行されていくのを見たからな。あとを付いていくだろうと」


 二人に言われ、


「それはそれは。いやはやかたじけない」

「いいってことよ」

「試合を観てるだけなら、面白いのはその通りだしな」

「それね、試合だけならね」

「ねー」


 そして三人も、第一体育館へ向かう。



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