バイバイ、リトルガール ーわたし叔父を愛していますー

ふちたきなこ

第1話 運命の出逢い

冷たい小雨が降りしきる冬の午後、10歳のすみれは黒いワンピースを着たまま葬儀場の中庭で、ただ茫然と立っていた。


空は重く濃い灰色の雲が覆い、あたりはまるで夕闇のように薄暗かった。


雨のカーテンで視界はぼやけていた。


自分が置かれている現状がまだ実感出来ず、悪い夢の中をふらふらと彷徨っているように思えた。


泣き腫らした目からは、もう一粒も涙は出てこなかった。


3日前まですみれは、両親に囲まれた温かい箱庭の中で、ぬくぬくと暮らしていた。


テストの点数が良い時は大袈裟に褒めてくれるパパ、私の話に耳を傾けて優しく微笑むママ、すみれが頼るべきふたりはもうこの世にはいない。


どうしてパパとママは私を置いて旅立ってしまったの?


私が学校のテストで悪い点を取ったから?


お手伝いをさぼったから?


どう償えばパパやママは帰ってくるの?


これは神様が下した私への罰なのだ、とすみれは思った。


その胸の奥に突き刺さった矢からは、後悔で濁った血がどくどくと流れていた。


命とはなんだろう?


誰が命の終わりを決めているのだろう?


そんな問いかけを空へ投げかけてみても、幼いすみれにその答えを知るすべはなかった。




私はこれからどうなるのだろう。


昨夜、大人達がリビングですみれの行く末について話すのを、陰でこっそり聞いてしまった。


すみれの母の妹である叔母の靖子が声高に「ウチは子供が二人いるから無理。とてももう一人世話なんて出来ないわ。」と訴えかけていた。


それを聞いて他の大人達も心底困ったような顔をして、ため息をついていた。


伯父の勝も「もう少し下りる生命保険額が多ければ考えるんだけどな。」と肩をすくめた。


ふいに「児童養護施設」という言葉をすみれの耳が拾った。


親のいない、または親が世話をすることが出来ない境遇の子供が暮らす施設。


どうやらすみれはそこで生活することに、大人達の話し合いで決まったようだった。


両親を失った深い悲しみとともに、これからの自分の行く末を思うと、すみれは不安で胸が塞がれた。


葬儀場には交通事故で亡くなった若すぎる夫婦の死を悼みに、大勢の弔問客が列をなしていた。


どの人も同じような黒い装いで、同じような顔をしていた。


それは同情と哀れみと、自分ではなくて良かったという安堵が混ざり合った顔。


葬儀が始まり僧侶が読経を始めるとともに、弔問客が神妙な顔でお焼香を始めた。


列の中には学校の先生やクラスメートの母親といった、すみれの知っている顔も沢山あった。


葬儀中、すみれは所定の椅子に座って、弔問客に頭を下げ続けていた。


葬儀が終わると、人々のため息と囁き声で淀んだ葬儀場の外へ出て、冷たい空気を胸一杯に吸い込んだ。


身体も心も氷のように冷え切っていた。


白い菊の花が雨に濡れて雫を落としているのをただみつめていた。


このまま雨が身体を溶かし、水たまりとなり、太陽の光で蒸発して、空へ帰してくれればいいのに、そう思った。


どうして事故のあったあの日、我儘を言ってでも、微熱のあった私を置いて買い物に出かけたパパとママに付いていかなかったのだろうと、すみれは自分で自分を呪った。




血が滲むほど強く唇をかみしめながら立ち尽くすすみれに、誰かがそっと傘を差しかけた。


俯いていたすみれが顔を上げると、そこには深い哀しみの色を滲ませた若い男が、その身体を屈めてすみれに目線を合わせ、静かな湖のような瞳で微笑んだ。


少し癖のある黒髪、まっすぐな濃い眉、少し吊り目の柔和な瞳。


「こんな所にずっと立っていたら、風邪ひくぞ。」


すみれはただ無言で首を横に振った。


「このまま雨に濡れて死んじゃいたい。パパとママのところへ行きたい。」


「・・・・・・。」


「ひとりぼっちは嫌。」


「・・・その心配は必要ないよ。俺は君をひとりぼっちにするつもりはない。」


男はその温かい手の平で、すみれの左肩を強く掴んだ。


知らない男の人から触られて、すみれの身体はビクッと震えたけれど、なぜか嫌な気持ちにはならなかった。


「初めまして・・・の挨拶が先だったな。俺は君の父親である紘一の弟・・・つまり君の叔父で、わたるという。」


「叔父さん・・・?」


父に弟がいるなんて聞いたことがなかったすみれは、訝し気に初対面の航を睨んだ。


すみれの表情を見た航は、こう説明した。


「東京にいるバアさんには何回か会ったことがあるだろ?俺は今そこでバアさんと二人で暮らしているんだ。」


「桔梗お祖母ちゃん?」


すみれは夏休みに両親と一緒に会いにいく、ハキハキとして明るい父方の祖母、桔梗の顔を思い浮かべた。


「そう。その桔梗お祖母ちゃん。そのバアさんは足が悪くて今日ここへは来れなかったんだけど・・・信用して貰えただろうか?」


「・・・うん。」


そう言って頷いたすみれを見て、航はホッとした顔をした。


「すみれちゃん。」


低く透きとおった声で航に初めて名前を呼ばれ、すみれはドキッとした。


「人間はいつかは生命活動を終える。君の両親は残念だが若くしてその寿命を終えた。でも君は生きている。日本人の女性の平均寿命は87歳だ。君はいま10歳。残りの寿命まであと77年。その残りの人生をどう生きるか。それは君の自由だけど、今君が両親の元へいくことは俺が許さない。何故許さないか・・・俺が君の両親に、小さなすみれちゃんを大切に育てると誓ったからだ。」


「叔父さんが私を育ててくれるの?私、児童養護施設に行かなくてもいいの?」


すみれは今日初めて出逢った叔父の顔をみつめた。


「そうだ。すみれちゃん。俺と・・・俺と桔梗バアちゃんと一緒に生きてみないか?」


「・・・・・・。」


「そして・・・どうせ生きるなら楽しく生きていこう。」


「・・・・・・。」


航はその温かい手で、すみれの両手を握りしめた。


「すみれちゃん。好きな食物はなんだ?」


「ハンバーグ。」


「好きな動物は?」


「うさぎ。」


「じゃあ好きな場所は?」


「遊園地。」


「そうか。」


航は大きく頷くと、すみれを見て目を細めた。


「じゃあ週に一回はハンバーグを食おう。遊園地にも連れてく。家は一軒家だからうさぎも飼えるだろう。だから・・・とりあえず生きてみようよ。」


もし「頑張って生きよう」と言われていたなら、プレッシャーで苦しくなっていたかもしれない。


けれど「とりあえず」でいいんだ、とそのゆるい言葉で、すみれは固まっていた肩の力がフッと抜けた。


堪えていた涙がふたたびポロポロと溢れ出した。


すみれの頬を温かい涙が濡らした。


「思う存分泣けばいい。涙は悲しみを癒すためにある。」


「叔父さんも・・・沢山・・・泣いたことあるの?」


「もちろん。だから恥ずかしがることなんてないんだよ?」


すみれは航の胸で、大きな声を出しながら泣き続けた。


その瞬間からすみれの愛の糸車がくるくると廻り始めた。







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