奇想の凡人

そうざ

An Ordinary Dreamer

 三十俵二人扶持の御家人、大具地おおぐち掬蔵きくぞうの御役は、小普請こぶしんである。江戸期、禄高三千石未満の幕臣で無役の者をこう称した。

 殊に掬蔵は、両親を亡くしたのが幼少の頃だったが為に出仕が叶わず、強制的に小普請に編入された不遇の身であった。

 小普請は総じて貧乏暇なしである。様々な内職で糊口を凌ぐのが日常の風景で、中には思い余って士分を売却する者まで存在した。


 一方で、小普請には逢対日おうたいびと呼ばれる職業斡旋制度が設けられており、支配役のもとを訪ねては就きたい御役の希望を伝えたり、特技をアピールしたりと、涙ぐましい就職活動をしたものである。

 ところが、掬蔵はこの逢対日に顔を出そうともせず、日々を無為に過ごしている。

 見兼ねた支配役は堪らず掬蔵を呼び付けた。

「皆、懸命に身の振り方を考えておるのに、お前という奴は」

 支配役は掬蔵の亡き父と昵懇じっこんの仲であったからこそ、その一粒種である掬蔵を我が子のように按じるのである。

「ご心配には及びません。何れは我が奇想で天下を動かしてみせます」

「またそのような戯言を。好い加減に目を覚ませ」

 掬蔵もはや二十代なかばであるが、妻を娶る気すらなく、人の善意を煙に巻こうとするばかりである。

「名は体を表すのう」

 支配役は深い溜め息を吐いた。


             ◇


 掬蔵が田中久重に深く心酔している事は、支配役はもとより同役の間にも広く知れ渡っていた。『からくり儀右衛門』の異名でも知られる田中は、斬新にして精緻な発明品を数多あまた生み出した江戸期の俊英である。

 そんな田中と並び称される、否さ、それを超える偉業の数々で世に名を馳せると息巻く掬蔵であった。


 掬蔵の一日は、お天道様が真上まで上ってから始まる。

 妙案は夜陰に忍ぶと宣い、灯火代も考えずに夜更けまで文机ふづくえに向かい、息詰まれば不貞寝をし、気分が乗ればそのまま夜を明かす。眠くなったら寝る、腹が減ったら食う、という毎日である。

 言うところの朝風呂丹前長火鉢あさぶろたんぜんながひばちだが、もうじき初夏となる陽気であれば、朝風呂単衣ひとえに江戸団扇、といった塩梅である。


「掬蔵さん、お暇ですかぇ?」

 縁側からの声に、大の字で転寝うたたねをしていた掬蔵が瞼を開けた。

「おぅ、惣吉そうきちか。将棋いっきょくのお誘いか?」

 惣吉は大具地おおぐち家の敷地内に住まう、三十絡みの町人である。こういった賃貸経営も、困窮する武士にとって重要な収入源だった。

 縷々述べているように、本来ならば掬蔵は暢気に構えて居られない身分であるが、或る日、何の前触れもなく現れた惣吉が事態を一変させた。相場を上回る家賃の支払いを提案したかと思うと、忽ち敷地の隅に離れ家を建てて住み着いたのである。

 つまり、夢見勝ちな掬蔵の暮らしを下支えしているのは惣吉その人と言って間違いはなかった。

「おっ、また例の帳面が増えましたな」

 小ぢんまりとした書院窓の前に文机があり、紙切れの束が堆く積まれている。

「次々と奇想が湧いてな、寝る暇もなく書き留めている」

「ちょいと拝見」

 帳面には細かな文字や画がびっしりと書き込まれている。彼方此方あちこちに見受けられる切り張りや朱墨は、試行錯誤の跡である。

「この楽器を抱えた女は何です?」

「これは、三味線しゃみを弾くからくり人形だ」

 掬蔵は己の独創と自負するが、崇拝する田中の『弓曳童子』や『文字書き人形』から着想を得た事は一目瞭然である。

「そいつぁ凄ぇ、まるでロボットだ」

「ろぼっと?」

「一体どうやって動かすんで?」

「それはまぁ、追々考える」

「まだ電池がねぇから、やっぱり発条ぜんまいですかねぇ?」

「でんち……?」

 惣吉は行商を生業なりわいにしていると聞くが、日がな一日ぶらぶらしているだけのように見える。その上、時折り不可解な言葉を発する誠に得体の知れない男だったが、向こう一年分の家賃を前納してくれた惣吉を詮索するつもりは更々ない掬蔵であった。


             ◇


 のっぺりとした夜半よわの気配が風に乗って掬蔵の鼻先を擽る。燭台の炎が文机と帳面とに揺らめきを写す。

 奇想は湧く。次々と湧く。

 しかし、その奇想を実現させるのにはどうすれば良いのか、掬蔵は今以て見当も付かない。

 読み書き算盤は人並み、剣術やっとうはからっきし、知識はおろそか、手職は面倒、家賃おあしは入れど使うも早い、人とつるむも、下手したてに出るも、大の苦手と諦める。

 行き着く先がいつもの八方塞がりと判ると、掬蔵はまた眠りへと逃避するのだった。



「掬蔵さん……」

 庭木の葉擦れに紛れて声がした。

「……おぅ……惣吉か」

 意識はあるが身体は畳表に張り付いたように動かない。例によって体勢は大の字である。

「ご挨拶に上がりました」

「何だい、改まって……」

「実はこのたび、江戸を引き払う事になりましてね」

「……ん?」

 言葉の意味は解せても、感情が付いて来ない。

「平賀源内さんの取材が纏まりましたんで、今度は田中久重さんの取材で大坂へ参ります」

「……しゅざい?」

「その後は国友一貫斎さんの取材で近江おうみへ」

「……せわしいのぉ」

「貧乏暇なしでございましてね」

 そう言って惣吉は笑った。

 掬蔵に知識があれば、平賀源内の没年と田中久重の生年とが隔たっている事から惣吉の物言いを奇異に感じたに違いない。

「そうだ、家賃の前払いを返さんとな」

「良うがす良うがす、置き土産としてお納め下さい」

「悪いなぁ」

「なぁに、わっちこそ突然押し掛けちまって……偶さかこの場所に時空間座標としてのポテンシャルが――」

「相変わらず訳が判んねぇな」

「恐れ入りやす」

 掬蔵はやっぱり身体が動かない。ずっと天井を見ているのに、惣吉の表情が手に取るように判るのは何故だろう、と思った。

「こいつはほんの御礼おんれいでございます、どうぞご賞味下さいな」

 言うが早いか、惣吉は黒っぽい小さな玉を仰臥した掬蔵の口に押し入れた。

「ぅごご……何だいこりゃ」

「ほんの一時ひととき、甘ぇ夢をご覧あれ」

「確かに甘いが……妙ちきりんな味だ」

「コーラ味のキャンディでげす」

「きゃんでぇ?」

「こいつはご当地、亜米利加でもまだお目見えしてない風味でござんすよ。あり難く味わわんと、あ

「もう大坂の気分か?」

「あっはっはっ」

「……ふははっ」



 手拭いを吹き流しに被った女が、闇の中に浮かび上がる。白く小さな手には三味線と象牙撥。弦をはじくとその音色で闇が溶け始め、それに合わせたように聴衆がどよめく。

 驚くは早い。紅を引いた御壺口おつぼぐちが厳かに開閉し、朗々と唄い始める。

 

〽言わねばいとどせきかかる 胸の涙の遣る方なさ

 ――新内節『蘭蝶(若木仇名草わかぎのあだなぐさ)』


 新内、常磐津、富本、清元と語物かたりものなら何でも御座れかと感心する隙もなく、女ははらりと手拭いを落とし、しなを作りながらその場に正座する。


猪牙ちょきでサッサ 行くのが深川通ひ

 ――端唄『深川節』


 端唄、長唄、地歌に小唄、謡物うたいものまで粋にこなす多芸振り。

 その精緻な構造はまるで想像を絶するが、それがからくりというものなのだろうと誰もが感服しきりである。

 聴衆の興奮は最高潮に達し、やんややんやの大喝采。拍手の渦が虚空に満ち溢れ、掬蔵の身を包みながら驟雨しゅううの如く降り注ぐ――。


             ◇


 掬蔵が目を覚ますと、もう座敷には橙色の長い影が過っていた。

 長い夢をみていたような気がするが、文机を確かめると帳面が昨夜のまま開いていた。

 すっかり渇いた口の中に、独特の風味が残っている。はたと飛び起きた掬蔵は、夢の一部始終を慌てて帳面に書き記した。

 キャンディに開眼した掬蔵は、誰もがその名を知る有名な製菓メーカーの創始者として後世まで歴史に名を刻む――事もなく、元号が明治と改まった後も大器晩成を信じながら平々凡々の一生を送ったという。

 一説には、惣吉の後を追い掛けたとも、支配役の世話で妻帯したとも、奇しくも小普請の父を持つ勝海舟の幕臣救済事業に参加し、静岡で緑茶栽培に尽力したとも伝わるが、掬蔵がその奇想を書き記したと言われる帳面の行方同様、いつの世も凡人の詳細はようとして知れないものである。

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