ショートショート
雨隠 日鳥
変わったモノ。変わらなかったモノ。変われない者。
「さてさて先輩方。『マスク』について、どう思います?」
部員全員が部室に揃ったところで、少年、
「彼の発言一つ一つが大騒ぎになるというのは、彼の影響力が凄まじい証左なんだろう、と私は思うね」
最初の発言者は
「ああ、勿論某実業家の
「分かってるっての。そんなテーマで討論したくねぇよ」
一言添えた後、そうだな、と腕を組んで
「マスク、ね。少し前だと芸能人とか今ならユーチューバーとか、それに警察や事件の犯人が着けているモノってイメージだったな。あと黒いマスクと外国人がイコールな時も、一時あった気がする」
「確かに、そうでしたね。今だと必需品って感じですけれど」
誠也の言葉に深く頷いたの
「冷静に考えてみると、今ほどマスクが正しい用途で使われている時代って結構珍しいんじゃねぇの?」
「いや、マスクは普通に正しい用途でこれまでも使われてきてましたよ。先程挙げたイメージ以外では、ちゃんと花粉症対策や病院などで使われていたんですから」
イメージと実情というのは、全然違うものですよ、大体。
そう言って、少し間を空けてから優子は続ける。間を空けたのは、自分の意見はここからです、と明確にする為だ。
「今でこそ着けていない人がだいぶ目に付くようになりましたけれど、そういった方を見ると思わず身構えてしまいますね。少し前まではマスクを着けていない人の方が大半でしたのに」
「確かに。なんか他人の口を見るってのに違和感が出てきたよな」
小さく全員が頷く。ちなみに部員全員、マスクはきちんと着用している。
彼らがいるのはありふれた公立高校の放課後の空き教室。教室の真ん中に四つの机を並べて憲一を含めた部員全員が座っている。それ以外の机と椅子は壁際に
部員で一つのテーマを元に話し合い、見識を深めるのがこの討論部の部活動である。就職の際に個人の資質を見る為に、とグループディスカッションが行われるようになった昨今に合わせた試験的な部活動で、好んで入る部員は少ない。
故に憲一と同じ一年生は誰もいない。何ならば憲一も帰宅部志望だったが、担任である
一応は進学校として認識されている学校で、学校のホームページに堂々と宣伝した部活動が数年で潰れることを避けようとしたもので、部員三名以上という条件の数合わせだった。
とはいえ、今ではかなり馴染んでおり、面白さというのも見出していた。一週間に一度、お題を出して話し合えばいいという緩さも憲一の性に合っていた。
不満があるとすれば、
『最初の内は俺も一緒にいてやるから、同級生がいなくて困るだろうけど、頑張ってくれないか?』
という顧問でもある五郎の言葉が嘘だったことくらいだろうか。二ヶ月くらいは気まずくて仕方がなかったのだ。
そんな五郎に関して言えば終わりのHRの後に部室に添えられている花瓶に水をやりに訪れるとすぐにどこかへと行ってしまい、後でまとめられた討論の議事録を確認する程度だ。
初日、水やりの後に置いて行かれたあの時から憲一の中で五郎の評価は底である。
「そう考えてみると面白いものですね。今と少し前でこんなにも私達の認識が変わっている、というのは」
「そう。そうなんですよ。それです!」
バン、と机を叩いて憲一はそう言った。その顔には誰が見てもその顔を待っていた、と書かれているのだが――。
「……どれだい?」
「……どれだ?」
「……どれですか?」
他三人は口を揃えて尋ねた。
「全く、君は相変わらず要領を得ないし、不器用だね。本当、心配になるよ」
「……すみません。望んでいた答えが返ってきたので、つい、色々と端折りました」
「ほぉ。望んでた答えってのは?」
「……えっと、優子先輩の言葉です。今だと普通が少し前までなら異常、少し前なら異常が今では普通。どっちにせよ、僕はこの風潮すんごい気に食わないんですよね」
「また随分と浅い言葉でまとめたな?」
「誠也先輩がバカだからそれに合わせて――嘘ですごめんなさい筆箱は投げないでください!?」
――閑話休題。
「こほん。まぁつまりですね。どっちにせよ、多くの人達は今と少し前を比較して、是か非かを判断しようとするじゃないですか。それってどうなのかなと、思うんですよ」
「じゃあ君は、どう
「世の中っていうのは変化していきます。良くも悪くも。その変化というのは例えどんなものであろうとも二度と元に戻ることはありません」
息継ぎ。あるいは自分の言葉を咀嚼してもらう為の猶予を憲一はしばし設ける。
「今は今ですし、過去は過去です。だから過去が今に比べて良さそうに見えても、過去に戻るなんてことは絶対にできないんですよ。人は死んだら生き返らないんです」
当たり前のことですけれどね、と言って憲一は更に続ける。
「例えマスクを着ける必要がなくなったとして、きっとそれでもマスクを着け続ける人は何割かはいます。僕の家では少なくとも買いだめしている分を使い切るまでは着け続けますよ。そして、マスクを着け続けている人を見てもきっと僕達は芸能人気取りだなんてことを思わなくなっているはずです」
「……何となく、言いたいことは分かった」
「はい。概ね理解はしました。過去と今を比べ、過去が優れていたとして過去に戻ることはできない。所謂過去の栄光に縋ることは愚かしい、と、そういうことですね」
「そこまで仰々しくはないですけど……、まぁ、そうです。ずっと僕は思ってたんですよ、終わったこと済んだことをずっとぶつぶつ言っている人、今がおかしい前に戻せと言う人、頭おかしいなって」
「また浅い言葉になったな?」
「他意はないですよ?」
「くくっ、過去には戻れない、か。……耳が痛いねぇ」
「憲一さんの言い分は分かりましたが、だからと言ってそれが全て正しいとは言えないですよね。マスクは必須ではなくなりましたが、それでもマスクを着けている人で溢れています。ですが、それは今だけで十年後には元に戻っているかもしれないですし」
「それは過去に戻ったんじゃなくて今から更に変化したんですよ。チョコを溶かして固めても、元に戻ったとは言えないでしょう? 元に戻っていたら世の中の女子の手作りチョコの大半が食品偽装だったことになります」
「しっくり来るような来ないような例えだな――」
一通りの意見をテーマの提案者が述べて、それに対して各々の意見を出し、まとめ、反論する。わいわい、がやがやと思っていることを口に出す。
そして最後に結論を出す。
ちゃんと結論を出すまでが討論部の部活動である。
「――じゃあ、今回の結論は、普段マスクをしているのに会話する時だけマスクを外すヤツは一回殴ってもいい法律が欲しい、ってことでいいな? いいのか? マジで」
「我に返らないでくださいよ、先輩」
「毎回思いますけれど、私達はどうしてこうなるのですかね?」
「おかしいな、ちゃんと最初の方は結構まともなこと言えていたつもりだったんですけどね」
結論が出た後はそれぞれが次のテーマを考える時間だ。外やスマホなどを眺めて次のテーマになりそうな題材を探して、そうしている内にチャイムが鳴って解散となった。
・・・
夜。誰もいない無人の学校でゆらりと人影が揺れた。
「死んだ人間は生き返らない、か」
二葉は、笑う。机に腰掛け、透ける足をぶらぶらと揺らしながら。
「本当、耳が痛いね」
討論部の部員だった頃の自分の席に供えられた花瓶の花に、二葉は触れられない。
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