魔法使いの遺書

むしやのこどくちゃん

春、郊外にて。

「―要するに、だ」


 彼女は僕が持ってきた『箱』を指差しながら、胡乱げな瞳でこちらを睨めつけた。


「この『箱』はただの箱じゃない。『遺書』なんだよ、アンタのジジィのな」


 それから大袈裟に肩を竦めると、彼女は深く背もたれに沈み込む。『遺書』。彼女の言葉を反芻しながら、すこし落ち着かずに辺りを見渡す。落ち着いた風合いの照明に薄く照らされた店内。壁一面の本棚と、それに飽き足らず堆く積み上げられた背表紙が視界を埋め尽くす。その中央に据えられたテーブルにもまた、狭しと器具が並んでいる。何に使うモノかは検討もつかない。僕はその机を挟んで、師匠と向かい合って話している。逃避もそこそこに、意を決し口を開く。


「この箱が、遺書?」


「そうだ。さっきも聞いたが、これはアンタのジジィを火葬した後に出てきたんだろ?」


「そうです。灰の中に埋もれて」


「だからだ」


 彼女は、ふう、と息を吐き、手にしていたティーカップに口を付けた。真っ赤な口紅が、白く艶やかな陶器に映えている、とぼんやり思う。


「魔法使いの中でもそれなりに魔力のあるヤツってのは、死後も魔力が滞留することがあるんだ」


「じいちゃんもそうなんですか?」


「……まあ、アタシの知る限りではそこそこ腕の立つ奴だね」


 なんて、彼女はどうにも不服そうに小首を傾げた。長い黒髪が、白い頬に緩く掛かっている。綺麗だなあ、なんて言葉が浮かんで、うっかり口にしないように慌てて紅茶を飲み干す。


「ともかく、故人の魔力が滞留すると―ううん、細かい話は省くが周囲に悪影響を及ぼすことが多い。だから、それなりの魔法使いってのは死後に魔力を凝り固めるように仕込んどモンだ。……つまり、魔力を何らか物体の形に変えるために。そうすりゃ魔力の滞留は起きないし、おまけに遺される者に餞をやれる」


 はなむけ。その言葉に釣られ、机の上に鎮座している箱へ視線を落とす。彫り込みも装飾もない素朴な木箱は、両の掌で支えられるくらいのサイズ。シンプルな金具で閉じられているだけだというのに、それでも不思議と開くことはない。


「……これ、ちょっと触っていいか」


 ぼうっと箱を眺めていると、視界の端から細く白い指先が伸びてくる。それが気遣うように、箱に触れる寸前で動きを止めた。一瞬不思議に思ったが、確かにこの『遺書』は遺された人々にとって掛け替えのないものだ。『遺書』に無遠慮に触れることはしない―それが彼女にとっての礼儀なのだろう。


「もちろん」


 答えるや否や、彼女は―意外にも―恐る恐るといった風にそれを取り上げる。それから、じっくりと留め具を眺めたり、徐に指先で箱の天辺を撫でてみたりと、彼女は長いこと観察していた。どのくらい経ったか、彼女は不意に何か思い当たったように僕の方へ視線を投げる。驚いて思わず居住まいを正す。


「アンタ―……あ~、名前なんだっけ?」


「え、ああ、―ルリです」


「ルリ、アンタあのジジイからなんか預かってないか? 箱以外で」


「え?」


「それか何か言付かってないか、じゃなきゃアンタが一人で思いついてココに来れるとは思えない……『遺書』についても詳しくなさそうだったし」


 そこまで言われて僕は漸く彼女が何を言いたいのかに思い至る。―と、同時に今まですっかり忘れていたことが脳裏に蘇り、慌てて懐を探った。手に触れた封筒の端を引っ掴み、勢いよく取り出した。


「やっぱりなあ。読んでいいか、それ」


「もちろんです。……ごめんなさい今の今まで完全に忘れてました」


 彼女は箱を置き、既に封を切ったその中身を取り出した。存外几帳面な字で書きこまれた便箋が数枚。


「こっちは本当の意味での遺書、か」


「そうです。火葬場から帰った後、机の上にそれが置いてあるの見つけて」


 彼女のことはそこに書かれていた。火葬後に現れた箱を持って、必ず彼女の元を訪ねるようにと。何故なら―、


「アタシに『遺書』を開けさせろって話だな」


 この箱の鍵を、彼女が持っているから。―とは言うものの、今となってはその話も真実かどうか怪しい。


「勿論、鍵なんか預かってないよ」


「ですよね。『遺書』の話を聞いたときから薄々そんな気がしてました」


 彼女の言う『遺書』ってヤツは、そう単純な代物ではない。幾ら無知でも、それくらいは想像がついた。


「―さて、」


 彼女は紅茶を一口飲んで、カップをソーサーへ静かに戻した。


「こっからが本題だ、ルリ」


「はい」


「確かにアタシは鍵のかかった『遺書』を開ける力を持ってる。が、ハッキリ言うと、この箱はアタシでは開けられない―そういう風に作られてる」


「へ!?」


 能天気にも彼女が開けるものだと高を括っていた僕は、間抜けに声を上げた。


「調べた限りだと、アンタがこの箱を開ける鍵ではあるみたいだが……自覚は?」


 もちろんない。勢いよく首を左右に振る。


「だよなあ。ジジイもそう書いてた」


「書い……?」


「こっちの―紙の遺書の方だ。暗号みたいなもんでな、ご丁寧にアタシ宛にも書かれてた」


 彼女が遺書の一枚を広げて見せる。確かにさっきまではなかったはずの、青白い文字が薄く紙面に浮かんでいた。


「律儀に金まで用意しやがって」


 彼女は改めて遺書を自分の方へ向け、忌々しげにそれを睨みつけた。それから、それを丁寧に畳んで封筒に仕舞うと、彼女はこちらへしっかりと向き直った。


「じゃあ、改めて―アタシは魔女カメリア。……今日からアンタを預かることになった」


「え」


「ジジイの遺言だ。この箱が開けられるようになるまでは、必ず、アンタを預かること―身寄りもないんだろ」


 ああ。と唇の端から声が零れる。じいちゃんがいなくなれば、確かに僕に行く宛などない。知り合いもいない、血縁も知らない。


 もしかしたら他にも意図はあるのかもしれない。僕が考えてることなんか、じいちゃんの思慮の何万分の一にも満たないかもしれない。それでも、僕はそう思った。


「じいちゃん、僕のために、これを?」


「それもあるかもな。心配だったんだろ」


 ―じいちゃんは、僕を一人にしないために『遺書』を残して、ここへ来るようにと導いた。


「……まあ、それなりにいい男だったよ、アイツは」


 彼女はまた紅茶を一口啜って、窓の外へと視線を逃した。それから、ぽつりとつぶやいた。


「そっかあ、死んだんだな、アイツ」


 こうして僕は、彼女と生活を共にすることとなった。

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