『家族』になる

丸井まー

『家族』になる

 アリリオは目覚めると、寝転がっていた硬いソファーの上で大きく伸びをして、くわぁと大きな欠伸をした。職場のソファーは硬く、しかもそんなに大きくないので、足が完全にはみ出る。それでも寝れないことはないので、ここ一ヶ月程、毎日職場のソファーで寝ている。


 アリリオは警邏隊で働いている。今年でちょうど四十歳になる。今まで恋人ができたことは何度かあるが、仕事を優先していたら、歴代の彼女達はそんなアリリオに見切りをつけ、去っていった。故に、未だに独身である。


 アリリオが住んでいた集合住宅が、老朽化を理由に取り壊されることになり、忙しい仕事の合間をぬって新たな住処を探していたが、いい所が見つかる前に、取り壊しの日が来てしまった。アリリオは大きな鞄一つに少ない私物を詰め込んで、警邏隊の詰所で仮住まいを始めた。一応上司には許可を取ってある。


 アリリオは警邏隊の荒事が多い部署に所属しており、部長をやっている。現場に立つことが多く、割と危険を伴うことが多い上に、更に最近は少し疲れがとれにくくなってきている。それでも自分の仕事にやり甲斐や生き甲斐を感じているので、定年退職するまでは仕事を辞めるつもりはない。


 アリリオがソファーに腰掛け、バキバキと首を鳴らしていると、部下の一人であるイニゴが部屋に入っていた。

 無精髭が生えた顎をボリボリ掻いている肌着とパンツ姿のアリリオを見て、イニゴが呆れた顔をした。



「おはようございます。部長。服は着てくださいよ。此処、一応職場ですよ」


「今起きたんだよ」


「家は相変わらず見つからないんですか?」


「探しに行く暇がねぇ。イニゴ。今日は昨日の殺しの聞き取り調査に行くぞ」


「了解です。……あー。部長。よかったら、家が見つかるまで、俺の家に住みます?」


「あ?いいのか?」


「流石に一ヶ月も職場住まいは気の毒なんで。爺ちゃんと二人暮らしなんで、部屋に空きはありますよ」


「気持ちはありがてぇが、流石に迷惑だろう」


「職場でだらしない格好で寝られるよりマシです」


「どうせ男しかいねぇし、誰も気にせんだろ。今更」


「身体が資本の仕事なんですから、ちゃんと休んだ方がいいですよ。部長って確かチェスはできましたよね。たまに爺ちゃんの相手をしてくれたら助かります。俺はチェス苦手なんですよ。爺ちゃん、相手に飢えてるから、部長が余裕がある時にチェスの相手をしてくれたら助かるんですけど」


「んーー。そういうことなら、少しの間だけ世話になる。今回の事件が終わったら、本格的に家探しするしよ」


「はい。私物はその鞄だけですよね。今日から俺の家に住むということで」


「すまん。よろしく頼む」


「はい」



 アリリオはイニゴにぺこっと頭を下げた。

 イニゴは確か今年で三十六歳だったかと思う。バツイチで、娘が一人いる。月に一度の面会が楽しみだと以前話していた。離婚理由は、アリリオ同様仕事を優先し過ぎたかららしい。

 アリリオは洗濯済みの制服を着ると、トイレに行って顔を洗い、髭を剃った。


 まる一日、部下達と手分けをして殺人事件の聞き取り調査をすると、報告会をしてから、今日はひとまず解散となった。

 時間は既に深夜に近い。こんな時間にイニゴの祖父もいる家にお邪魔するのは少し気が引けるが、イニゴの厚意を無下にするのもなんなので、アリリオは大きな鞄を持って、イニゴと一緒に警邏隊の詰所を出た。


 イニゴの家は警邏隊の詰所から程近く、二階建てのそこそこ大きな家だった。イニゴの両親は近くの小さな町で暮らしているそうだ。イニゴの母方の実家になるそうで、祖母は数年前に他界したらしい。

 イニゴの家の中は、生活感があるが、とてもキレイだった。イニゴの祖父がキレイ好きらしい。掃除が好きで、毎日掃除をしてくれるのだとか。料理や洗濯は、イニゴができる時はイニゴがやっているそうだ。

 イニゴの祖父に挨拶をしたいが、流石にもう寝ている時間である。明日の朝、挨拶をすることにして、アリリオはイニゴの案内で空き部屋に入った。


 そこは元々は子ども部屋だったらしく、可愛らしい壁紙や小さめの勉強机があった。ベッドは少し小さめだが、アリリオは小柄な方なので、寝られないことはない。少なくとも、職場のソファーよりもずっとマシである。

 イニゴは体格がよく、イニゴと喋る時はイニゴを見上げなければならない。

 アリリオがイニゴを見上げると、イニゴが疲れが滲む顔でゆるく笑った。



「娘の部屋だったんで、使いにくいかもしれませんけど、此処でいいですか?」


「あぁ。寝られたらそれで十分だ。ありがとう」


「いえ。爺ちゃんは朝が早いから、もしかしたら少し煩いかもです」


「どうせ明日も早出だ。問題ない」


「それもそうですね。じゃあ、風呂に案内します。職場のシャワー生活はいい加減キツいでしょ」


「あー。風呂はマジでありがてぇな。すまんな」


「いえいえ。風呂の湯を溜めてきますんで、着替えを出しといてください」


「俺は寝る時はパン一だ」


「そろそろいい歳なんだからパジャマくらい着ましょう」


「問題ねぇ」


「お腹冷やしますよ。もうそろそろ秋ですし」


「俺は真冬でもパン一だ」


「うん。パジャマをお貸ししますね。部長が風邪でもひいたら、俺達が大変なんで」



 アリリオは露骨に顔を顰めながら、渋々頷いた。確かに若い頃のような無茶はできなくなってきている。寝ても疲れがとれにくいし、部長であるアリリオが急に休むと、部下達に迷惑をかけることになる。少しずつ本格的な秋が近づいており、朝晩が冷えるようになってきた。

 アリリオはイニゴが持ってきてくれたパジャマを借りて、イニゴの案内で風呂場に向かった。

 久々の熱めの風呂は本当に気持ちよくて、疲れが溜まっていた身体がかなり解れた。ほこほこに温まって、子供の頃以来にパジャマを着ると、一気に眠くなってくる。交代でイニゴが風呂に入りに行くのを見送ると、アリリオは子ども部屋に戻り、ベッドに上がって、布団に潜り込んだ。可愛らしい花柄の掛け布団は自分には似合わないが、布団は布団である。アリリオは久しぶりのまともな寝床で、朝までぐっすり眠った。


 朝日が昇る頃に起き出して、物音がする階下の台所を覗き込むと、老爺が包丁を使って野菜を切っていた。

 老爺がアリリオに気づいて、キョトンとした。



「おや。どちら様だい?」


「アリリオ・バルジャーノと申します。イニゴの上司です」


「おや。これこれはご丁寧に。ホセ・リディーゴです。孫がいつもお世話になってます」


「いえ。お世話になるのはこちらの方でして。その、イニゴの提案で、住む家が見つかるまで、お世話になることになりまして。俺が住んでいた集合住宅が、老朽化で取り壊しになったんです」


「おや。そうですか。じゃあ、朝ご飯は三人分かな」


「すいません。事前のご相談も無く」


「いいんですよ。家の中が賑やかになるのは大歓迎です。普段はイニゴと二人ですからな。苦手な食べ物はありますかな」


「特にないです。なんでも食います」


「それは素晴らしい。よいことですな」


「あー……その、手伝います。一応料理は人並みにできるので」


「おや。助かります。では、一緒に作りましょうね」



 ホセが皺くちゃの顔で穏やかに笑った。

 イニゴは多分ホセに似たのだろう。穏やかな顔つきや深い青色の瞳、笑った時の印象がそっくりだ。イニゴは淡い金髪に深い青色の瞳をした、優しそうな顔立ちの男前だ。アリリオは黒髪に茶褐色の瞳をしていて、三白眼なので目つきが悪い。


 アリリオがホセと自己紹介がてら世間話などもしていると、バタバタとイニゴが台所に駆け込んできた。



「ごめん!寝過ごした!」


「おはよう。イニゴ」


「おはようさん。もうすぐ朝飯できるぞ」


「うぉぉ!?すいません!部長!」


「イニゴ。アリリオさんはとても料理上手だよ」


「じ、爺ちゃん……その人、俺の上司なんだけど」


「うん。聞いてるよ。今朝の朝ご飯は豪華になったよ。二人とも早出だろう?早く食べようか」


「ホセさん。もう運んでいいですか」


「えぇ。じゃあ、運びましょうか。いつも居間のテーブルで食べてるんですよ」


「おっ、俺が運びます!部長はとりあえず座ってて下さい」


「気にするな。居候になるんだから、できることはやる」


「人手が増えて嬉しいねぇ」


「そういうつもりで申し出たんじゃないんですけど!?」


「はいはい。とりあえず朝ご飯ね」


「イニゴ。目脂ついてるぞ。顔洗ってこいよ」


「あ、はい」



 イニゴがバタバタと台所から出ていくと、アリリオはなんとなくホセと顔を見合わせて、小さく苦笑した。

 ホセと一緒に作った温かい料理を食べると、なんだかほっとした。ここ暫くは適当に店で買ったパンや詰所の食堂で済ませていたので、久しぶりの温かい手料理が素直に嬉しい。独り暮らしが長く、趣味らしい趣味もないので、料理は暇な時にいつもしていた。

 凝ったものは作れないが、ホセからは料理上手だと褒めてもらえた。アリリオが作った挽肉と野菜入りのオムレツを食べたいイニゴからも褒められた。社交辞令でも嬉しくて、胸の奥が少し擽ったくて、照れくさい。

 仕事中以外で、誰かと食事を共にするのは本当に久しぶりだ。なんだか気力が一気に回復した気がする。

 アリリオはイニゴと二人で朝食の後片付けをすると、洗濯をしてくれるというホセに頭を下げて、制服に着替え、やる気満々でイニゴと共に家を出た。





 ------

 イニゴの家に居候を始めて、あっという間にニヶ月が過ぎた。殺人事件が解決したかと思えば、違法薬物を扱うグループの摘発があったりと、なんだかんだでずっと忙しく、新しい住処を探しに行く余裕がない。

 今日は久しぶりのまる一日の休日である。アリリオは朝食を終えると、イニゴに後片付けを任せ、ホセと一緒にチェスをやり始めた。

 チェスは子供の頃に祖父から習った。チェスをするのは随分と久しぶりだが、ちゃんと覚えていた。

 時間に余裕がある時は、いつもホセとチェスをしている。ホセは中々に強く、負けてしまうことの方が多い。アリリオの負けず嫌いに火がついて、アリリオからホセをチェスに誘うことも多い。負けっぱなしは性に合わない。ホセも喜んでチェスの相手をしてくれるので、アリリオはイニゴの家での生活を結構楽しんでいる。

 イニゴとは、たまに少しだけ一緒に寝酒を飲む。イニゴは泣き上戸で、酒が入るといつも娘や別れた嫁に会いたいと泣き出す。別れたのは数年前になるが、まだ別れた嫁に未練があるらしい。

 アリリオはいつも適当に慰めてやりながら、眠くなるまで酒を飲んでいる。


 朝食後から始めたホセとのチェスが、決着がついた。またアリリオの負けである。ホセは本当に強い。



「あー。また負けた」


「ふふっ。ギリギリ勝てたよ。ちょっとヒヤヒヤしてた。もう一戦どうだい?」


「次は勝ちます」


「さて、どうだろうね」



 ホセがのほほんと笑った。アリリオも楽しくて、頬をゆるませた。

 ニ回戦目を始めようというタイミングで、庭に洗濯物を干していたイニゴが居間に入ってきた。



「部長。午後から買い物に行きましょう。パンツに穴が開きそうですよ」


「まだイケる」


「いやもう限界です。よれよれどころじゃないですよ。ついでに冬物のセーターも買いましょうよ。部長が持ってるの、毛玉だらけじゃないですか」


「まだ問題ない」


「はいはい。午後から服を買いに行きますよ。俺も冬用の肌着が欲しいんで。爺ちゃんは入り用のものはある?」


「そうだねぇ。腹巻きを新調したいかな。歳を取ると腰が冷えやすくてねぇ」


「温かそうなのを買ってくるよ」


「よろしくね。ついでに美味しい珈琲でも飲んでおいでよ。お土産はクッキーがいいな」


「うん。ということで、部長。昼飯食ったら俺とお出かけです」


「りょーかい。ホセさん。昼飯は何がいいですか?」


「そうだねぇ。あ、芋のサラダのサンドイッチが食べたいね。アリリオさんの芋のサラダが好きなんだよね」


「じゃあ、作りますわ」


「うん。楽しみにしてるよ」


「それじゃあ、昼飯の準備の前にもう一戦」


「よぉし。かかってらっしゃい」



 アリリオはホセと一緒に笑った。そんな二人を、イニゴが呆れたような、微笑ましいものでもみるような顔で眺めていた。


 ホセのリクエストの芋のサラダのサンドイッチや野菜スープで昼食を済ませると、アリリオはイニゴと一緒に家を出た。服屋を目指して、二人で並んで歩く。



「部長。折角ですし、靴も買いません?結構ボロボロですし」


「おー。ついでに買うか」


「服屋に行って、喫茶店で珈琲飲んで、爺ちゃんのお気に入りのお菓子屋に行って、晩飯の買い物をしてから帰りますか」


「んー。不動産屋にも寄りてぇが、少しバタバタになるな。次の休みにするか。次のまともな休みがいつかは分からんが」


「まぁ、慌てなくていいんじゃないですか?部長が住み始めてから、爺ちゃんが楽しそうですし。俺はどんだけ住んでもらってても構わないんで」


「わりぃな」


「いえいえ。家事の分担ができて、むしろ楽になってますから。逆にちょっと申し訳ないくらいですよ」


「居候なんだ。やれることはやるさ」


「あ、再来週、一日休みをもらいますね。娘との面会の日なんで」


「いいぞ。もういくつになる?」


「もう十二歳ですよ。いやー。早いもんですねー」


「子供かぁ。俺も結婚できていればなぁ。まぁ、自業自得で結婚できなかったんだが」


「ははっ。俺も自業自得で離婚ですよ」


「仕事が楽しいのが悪い」


「それです」



 アリリオはイニゴと喋りながら目的の服屋に入り、自分で選ぶのが面倒だったので、イニゴに服やパンツを選んでもらって、会計をした。


 増えた荷物を抱えて喫茶店に入ると、ふわっと珈琲と煙草のいい香りがした。アリリオは喫煙者である。家では、二人とも煙草を吸わないから、庭の隅っこで煙草を吸っている。

 珈琲を注文したイニゴが、アリリオに声をかけてきた。



「部長。煙草どうぞ」


「いいのか?」


「いいですよ。気にしませんし」


「じゃあ、遠慮なく」



 アリリオは上着のポケットに突っ込んでいた煙草の箱と着火具を取り出した。煙草の箱から煙草を一本取り出し、口に咥えて火をつける。深く煙を吸い込んで、イニゴに煙がかからないように、横を向いて細く長く煙を吐き出した。煙草特有の酩酊感と苦味が心地よい。

 煙草を吸うアリリオを眺めて、イニゴが口を開いた。



「部長って美味しそうに煙草吸いますよね。美味いんですか?」


「まぁな。俺は好きだが、好みが分かれる代物だ」


「まぁそうですね。一本試してみていいですか?」


「いいぞ。火をつける時に軽く吸えよ。じゃないと上手く火がつかない」


「了解です」



 アリリオはイニゴに煙草の箱と着火具を手渡した。イニゴが煙草を一本手に取り、口に咥えて、煙草に火をつけた。すぅーっと吸い込んだかと思えば、次の瞬間、げっほぉっと盛大に噎せた。イニゴのあまりの噎せように、アリリオは思わず吹き出して笑った。



「おい。大丈夫か?」


「げほっ、だ、大丈夫です。おぉう……なんか口の中が苦いです」


「煙草の味だ」


「……うん。俺は煙草はいいです」


「それ貸せ。残りは俺が吸う。一口だけで消すのは勿体ねぇ」


「俺が口つけちゃってますけど」


「別に気にせん」



 アリリオは殆ど吸い終わった煙草をテーブルに置いてあった灰皿に押しつけて火を消すと、イニゴが吸った煙草を受け取り、口に咥えて深く煙を吸い込んだ。ふぃーっと煙を吐き出しているアリリオを見て、イニゴがちょっと羨ましそうな顔をした。



「煙草が甘かったらいいのに」


「あ?なんでだよ。この味がいいんだぞ」


「いや、部長の煙草を吸う仕草って、なんか格好いいんですよ。羨ましいなぁと」


「あー。そういや、昔の彼女にも言われたことがあるな。『煙草を吸う仕草だけは格好いい』って。『だけは』って酷くねぇか。いやまぁ、俺はお前みたいに男前じゃねぇから、しょうがねぇけどよ」


「迫力がある顔立ちでいいじゃないですか。犯罪者を威圧するのには適してますよ」


「そいつはどうも。お。珈琲きた」


「ここの珈琲はオススメですよ。美味いです」


「そいつは素晴らしい」



 店員が運んできてくれた珈琲を一口飲めば、ふわっと香ばしい香りが鼻に抜け、程よい苦味が口の中に広がる。ちょうど飲みやすい濃さで素直に美味い。アリリオは、ほぅと満足気な息を吐いた。



「確かに美味いな。職場のうっすい珈琲より格段にいい」


「あれは珈琲風味のお湯じゃないですか。あー。なんか久しぶりにゆっくりしてる気がします」


「確かにな。うちの部署は暇なくらいがいいんだがなぁ」


「まぁ、デカい街ですからね。人の出入りも多いし」



 アリリオ達が暮らす街は、この近辺では一番大きな街だ。王都に続く大きな街道沿いにあり、物作りが盛んな街なので、商人を中心に、人の出入りが多い。故に、そこまで治安がいいとは言えない。アリリオ達が暇な時など殆ど無い。


 珈琲と煙草をまったり楽しむと、喫茶店を出て、残りの買い物をしてから家に帰った。ホセが洗濯物を取り込んでくれていたので、イニゴが夕食の支度をしている間に、ホセとお喋りしながら一緒に洗濯物を畳む。

 ホセが穏やかに笑って、口を開いた。



「アリリオさん。いっそ、うちでずっと暮らさないかい?イニゴはどうせ再婚なんてできないだろうし、僕は先が長くない。僕が死んだ後、イニゴがひとりぼっちになるのが、ずっと気掛かりでね。アリリオさんが側にいてくれると嬉しいのだけど」


「ホセさん。どこか悪いんですか?」


「まぁ、あちこちガタがきてるけど、まだ元気だよ。でも、僕ももう歳だからね。いつお迎えがきてもおかしくない」


「ホセさんには元気でいてもらわないと。チェス友達がいなくなっちまいますよ」


「ははっ。まぁ、百まで生きてやるさ。アリリオさんとチェスをするのは本当に楽しいからね」


「俺も楽しいですよ。仕事の事を忘れて何かを楽しむってのは、本当に久しぶりなんで」


「仕事が好きなのはいいけど、イニゴもアリリオさんも、もっと人生を楽しまなきゃねぇ。人生は一度きりなんだから。引退後の楽しみも考えて、今からやってみるのもありだよ」


「ははっ。チェスは楽しいんですけどね。引退後の事なんて考えたことねぇなぁ」


「あと十年もすれば引退だろう?あっという間だよ。十年なんて」


「それは確かに」


「イニゴと二人で楽しい事を見つけてごらんよ。一人よりも二人の方がきっと楽しいよ」


「……それもいいかもなぁ。どうせ結婚なんぞできねぇし」


「色恋なんか無くても、家族にはなれるんじゃないかな。きっと」


「家族」


「そう。家族。アリリオさんのご両親は亡くなってるんだろう?」


「はい」


「僕やイニゴと家族になったらいいよ。一人より二人、二人より三人の方が、ずっと楽しい。僕はアリリオさんが好きだからね。家族になってくれると嬉しいな」


「……ありがとうございます」



 アリリオはホセの真っ直ぐな言葉に、照れくさくなって、後頭部をガシガシ掻いた。

 洗濯物を畳み終えたタイミングで、イニゴが居間にやって来た。



「部長ー。洗濯物終わったんなら手伝ってください。部長の方が魚を煮るの上手いんで」


「おう。今行く」



 アリリオはイニゴと一緒に台所へ向かった。アリリオは魚の下処理をしながら、イニゴに話しかけた。



「ホセさんが、俺とも家族になりてぇって」


「いいんじゃないですか?お互い、もう結婚なんてできないでしょうし。一緒に暮らしてたら、そのうち家族になるでしょ」


「本当にいいのか?」


「俺は構いませんよ。一人は寂しいしゃないですか」


「……まぁな」


「部長さえよければ、俺達の家族になってくださいよ。男三人で楽しく暮らしましょ」


「ははっ!じゃあ、なるか。家族に」


「はい。今夜は酒を飲みます?家族記念日ということで。とっておきのワインを出しちゃいますよ」


「いいな。ワインならホセさんも飲むだろ」


「ですね。爺ちゃんはワインしか飲まないんで。晩飯の時に出しますか」


「おう」



 イニゴがのほほんと笑ったので、アリリオもつられて、ゆるく口角を上げた。

 アリリオの両親は、アリリオが二十代の頃に亡くなっている。兄弟はいない。従兄弟はいるが、疎遠である。時折、恋人はできていたが、アリリオはひとりぼっちの期間の方が多かった。

 イニゴ達と家族になるというのは、正直魅力的で、胸の奥がじんわりと温もる。

 アリリオは気合を入れて、イニゴと一緒に夕食を作ると、『家族記念日』と称して、上物のワインと共に、三人での夕食を楽しんだ。





 -----

 イニゴの家で暮らし始めて、二年が過ぎた。仕事は相変わらず忙しいが、まだまだ元気でいてくれるホセがなにかと世話してくれるお陰で、毎日頑張ることができている。

 時間に余裕があればホセとチェスをして、たまの休みの日には、イニゴと一緒に釣りをするようになった。イニゴと二人で新たな趣味を見つけようと、休みの度に色々試してみた結果、釣りが一番楽しかった。ホセが魚が好きなのもあって、休みの日には釣りを楽しんでいる。

 イニゴ達と家族になってから、なんだか毎日が色鮮やかになった気がする。なんでもない普通の日常が愛おしいと思うようになった。イニゴが側にいるのが当たり前になって、家に帰るとホセが出迎えてくれるのが普通になった。いつの間にか、アリリオにとって、二人のことが本当に大切な存在になっていた。


 休日の朝。

 アリリオはホセに見送られて、イニゴと一緒に釣りに出かけた。いつも釣りをしている川に到着すると、早速、釣り針に餌をつけ、釣りを始める。二人並んで座り、のんびり魚が食いつくのを待っていると、イニゴがのほほんと笑いながら、口を開いた。



「部長」


「んー?」


「俺、部長のこと好きかもです」


「奇遇だな。俺もだ」


「ははっ。もうとっくに家族になってるけど、この際ですから一緒の墓に入ります?」


「おう。先に逝くなよ。俺はもうひとりぼっちには戻れんからな」


「年齢的に先に行くのは部長でしょ。ちゃんと見送ってあげますよ」


「頼んだ」


「はい」


「ところで、そろそろ名前で呼んだらどうだ」


「あー。それもそうですね。アリリオさんって呼びます」


「アリーでもいいぞ。親は俺のことをそう呼んでいた」


「じゃあ、アリーさんで。アリーさん」


「ん?」


「末永くよろしくお願いします」


「こっちの方こそよろしくな」


「なんか照れますね」


「改めると、なんかな」


「アリーさん。耳真っ赤ですよ」


「お前は首まで赤いぞ」


「マジですか」


「マジ」


「……キスとかしちゃいます?」


「……お、おう」



 アリリオは釣り竿を片手に、ゴシゴシと熱くなった頬を擦ってから、すぐ隣のイニゴの方を向いた。イニゴの日焼けした顔も赤くなっている。

 イニゴと、まるで子供みたいな触れるだけの幼いキスをした。

 触れていた唇を離し、イニゴと顔を見合わせて、二人同時に吹き出した。



「ヤバいですね。なんかガキに戻った気分です」


「ははっ!確かに。なんつーか、なんだ。あれだ」


「なんです?」


「なんか照れ臭さが半端ねぇ」


「分かります」


「おっさん同士で何やってんだか」


「ははっ。まぁ、これはこれでよしということで」


「おう。おっ。引いた」


「あ、かかりました?」


「おー。ちょっ、すまん。手を貸してくれ。こいつはデカいぞ」


「マジですか」



 なんとも言えないタイミングで魚がかかり、アリリオはイニゴに手伝ってもらって、大きな魚を釣り上げた。

 ビチビチと跳ねる魚をデカいバケツに入れると、アリリオはなんとなくイニゴと顔を見合わせて、ゆるく笑った。


 昼前には家に帰り、その日の昼食は豪華なものになった。釣り上げたデカい魚は臭みが無くて素直に美味かった。ホセがとても喜んでくれたのが、なんとも嬉しかった。


 それから、アリリオはずっとイニゴと一緒に暮らした。ホセを見送る時は、二人で一緒に見送った。先にアリリオが仕事を引退すると、アリリオは専業主夫として、仕事に精を出すイニゴを支えるようになった。


 イニゴの休日の日。

 アリリオはイニゴと並んで釣りをしながら、くわぁっと大きな欠伸をした。つられてか、すぐ隣のイニゴも大きな欠伸をした。



「アリーさん。帰ったら昼寝しません?」


「おう。いいな」


「アリーさん」


「んー?」


「なんか幸せですね」


「そうだな」



 特別なことなんてない。でも、確かに幸せである。

 アリリオは釣り竿を持っていない手で、なんとなくイニゴの手を握り、穏やかな笑みを浮かべた。




(おしまい)


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