5月病の変わり者

紅野素良

今日から僕は

(ここはどこだ。)


目の前には見慣れない白い天井。少し鼻にくるアルコール消毒の匂い。耳元で喚いている機械。遅れてわかる、ここが病院だと。それだけはわかった。


扉が開く音がした。

「………!せ、先生!!例の男の子の意識が戻りました!」

看護師らしき人達の忙しない音が聞こえる。

程なくして40から50代程の医者であろう数人が部屋に駆けつけた。


「こんにちは、ここがどこだか分かりますか」

「───病院……」

「そうです、ではご自身の名前は言えますか」


名前……。………………………思い出せない。


「………………。」

「で、ではここに来る前に何をしてたかは覚えていますか」

「………覚えていません」

ざわ...ざわ...

「……そうですか、今は安静にしているに他ありません。私たちは仕事に戻りますので何かご用がありましたらそこのナースコールを押して呼んでください」

そう言い手元にナースコールを渡し、そさくさと出ていってしまった。


後からわかったことだが、僕の名前は

田部井 真人たべい まさと』と言うらしい。なんでも運ばれたときに持っていたカバンの中に生徒手帳が入っていたらしい。このことから東周高校に通う2年生であることも同時にわかった。



その後、数日掛けて様々な検査を受けた。

「──検査の結果、1種の記憶喪失だということが分かりました、しかし、脳に異常は見られないので一時的なものだと思われます」

(まあ、そうだろうな)

自分に関しての情報が何も思い出せない時点で、薄々勘づいていたことだ。

「当面の間は部屋から出ずにトイレなどに移動する場合は外に人を待機させておきますので、1人で行動することのないようにお願いします」

「わかりました、では失礼します」



部屋から出れない生活は苦痛でしか無かった

唯一の娯楽は設置されているテレビだけだった。

「続いてのニュースです。4日前の児童暴行殺傷事件の容疑者の意識が回復したことが明らかになりました。容疑者は5月3日の朝、登校中だった児童をいきなり殴りつけ、殴る蹴るの暴行を加えたのち、止めに入った一般男性を手に持っていたナイフで殺傷、その他数人を切りつけながら逃走、その最中にトラックに引かれ、意識不明となっていました。警察は現在事件について調査中との事です。………続いてのニュースです。大雨災害に見舞われた地域の視察に訪れていた大臣の田部

ピッっ。


その唯一の娯楽のテレビでさえ、どれも同じような内容で面白くない。


しかし、こう部屋を見渡すとかなり広い部屋なのがわかる。大きい部屋に僕1人の貸切、外の眺めもよく、たぶんテレビも他の部屋よりデカいだろう。

(たぶんお金持ちの子どもなんだろうな。)

自分のことながら他人事のように考える。

(しかし、子どもが病院にいるってのに見舞いに来ない親ってのもいるんだな。まあ、こんだけ金持ちならきっと仕事が忙しいんだろう。)



ある日、コンコン。とドアが叩かれた。

「…どうぞ」

入院以来初めての来訪者に少し胸を踊らせる。

「失礼」

そう言うとスーツ姿の男が2人入ってき、僕の横にある椅子に腰かけた。

「いきなりの訪問で申し訳こざいません、私たちはこういうものです。」

そう言うと、2人とも胸ポケットから何やら取りだした。それは、記憶喪失の僕でもわかる。

警察手帳だ。

「───警察。……警察の人が俺に何か用ですか」

「実は、あなたの記憶について聞きたいことがあり伺いに参りました。あなたは自分がなぜ入院しているのか分かりますか?」

「…いえ、僕自身は何も覚えていないので」

「それは本当に、ですか」

「本当にです、嘘はついていません。……もしかして俺が何かの事件に巻き込まられていて、俺が犯人として疑われているとかですか?」

「私たちの口からは守秘義務がありますので、その質問にはお答え出来ません」

「そうですか、でも本当に僕は何も覚えていません。信じてください」

警察の2人は何やらコソコソと耳打ちをして話し合っている。

「分かりました、またなにか思い出したようでしたら、ここにいつでも電話してください」

そう言って名刺を渡してきた。

「わかりました」

渡すや否やおもむろに立ち上がり、

「では私たちはやることがあるので、失礼します」

そう言い残し去っていった。














────少し焦った。─────


ボロは出なかっただろうか。

警察の反応を見た感じ大丈夫だろう。

俺が記憶喪失では無いことに気づく素振りはない。

一応俺も嘘はついていない

何も覚えていないのだから。


俺はもう俺ではない。俺は僕に生まれ変わったのだ。いや生まれ変わるとはまた違うか。

元々、俺は僕なのだから。



この事件もいずれ闇に紛れるだろう。

親父も息子の俺がこんな事件を起こしたなんて世間に知れ渡れば今の地位も全て水の泡だ。

(いくら積めば誤魔化せるんだろうな)

まあそんなこと僕には何も関係の無い話だ。



俺はもう田部井 真人じゃない。

今日からは僕が 田部井 真人だ。









数日後、テレビで例のニュースが取り上げられることはなく、病室の彼は、今でも普通の生活を送っている。




もしかしたら、君たちの近くに現れるかも……





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5月病の変わり者 紅野素良 @ALsky

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