第9話 騎士道的恋愛

 私が連れてこられたのは、テンセイの私室だった。


「ソウビ殿、ひとまずはこちらへ」

 歩く力を無くした私を抱えるようにしてテンセイは椅子まで移動させる。そしてゆっくりと、私をそこへ座らせた。

「……」

 腰を下ろしたものの、縦の姿勢に保つのすら苦痛だ。体から芯が抜けてしまったようだった。

「今、お茶を淹れましょう。固い椅子で申し訳ございませんが、おかけになってお待ちください」

 テンセイがティーカップに茶葉を入れ湯を注ぐ。やがてふわりと、かぐわしい香りが漂って来た。

「どうぞ、ソウビ殿。温まりますよ」

「……」

 私を気遣う、テンセイの低い声、優しい眼差し。

 それらが私の中に染み入った瞬間、感情が堰を切ったようにほとばしり出た。

「うっ、うっ、うぅ~~っ」

「ソウビ殿……」

 とめどなくあふれる涙を、もはやぬぐう元気もない。

「なんでよ、テンセイと幸せになれると思ったのに。ヒナツに気に入られないように頑張ったのに。結局、悪夢じゃん……。また、傾国になって民衆に憎まれてテンセイに殺されエンドなんだ……」

「自分が、ソウビ殿を!? 何をおっしゃるのですか!」

「なるんだよ! 私、知ってるんだもん……」

 最推しが見ているにも拘らず、顔をきれいに保つことができない。私はしゃくりあげながら、ぐしゃぐしゃと泣き続ける。

「私はただ、テンセイと幸せになりたいだけなのに……。こんな酷い夢、早く覚めて……! うわぁあぁああぁん!」

「……」

 テンセイが、もう一つの椅子を私のすぐ側まで持ってくる。彼の清潔なハンカチが、私の顔に優しく触れた。

「ソウビ殿。お伺いしてよろしいでしょうか」

 せせらぎの音のように心を落ち着かせる、低く甘い声。

「ソウビ殿は自分のことを、いつからそんな風に思っておられたのですか?」

「……」

 私に向ける、金色の虹彩。慈愛に満ちたそれは、ハチミツのような優しい色合いだった。

「自分は長い間、ソウビ殿にとって形だけの婚約者とばかり思っておりました。ソウビ殿は自分といても、楽しそうには見えませんでしたので」

 テンセイは一度睫毛を伏せ、改めて私に向き直る。

「ソウビ殿、お聞かせ願えますでしょうか。ソウビ殿はいつから、自分のことを……」

 視界に入るだけで心臓が限界の動きをするほど、尊く愛しい最推しの姿。本当の気持ちを伝えるなんて畏れ多い。恥ずかしさよりも、うかつな言葉で汚してしまうのが怖い。

 けれど、もう彼とは一緒にいられなくなる。彼に、想いを伝えられるのはこれが最後なのだ。

 そう思うと、言葉は自然に心から溢れた。

「最初、からだよ」

「最初?」

「初めて見た時から!」

 乙女ゲーの情報サイトで発表された攻略キャラの集合絵。あの瞬間、目を奪われた。

「初めて動くテンセイを見た時から!」

 メーカーのSNS公式アカウントで公開されたプロモーションビデオ。表情とポーズが切り替わった瞬間、心臓が止まるかと思った。

「初めて声を聞いた時から!」

 公式サイトでキャラが公開された時、ドキドキしながらクリックした「Vioce」のボタン。耳にした瞬間、声を押さえるのが大変なほどときめいた。

 私は悲鳴に近い声で、これまでの全ての想いをぶつける。

「ずっとテンセイのこと大好きだったよ!!」

「!」

 乙女ゲー情報サイトでプロジェクト始動の報を見た時の衝撃から、ゲームの中での彼との甘いひととき。それらが走馬灯のように脳裏を駆け巡る。言葉を尽くしても尽くしても、私の彼への想いを伝えきれない。

「なにを見ても、思い出すのはテンセイのことだったよ。つらい時も、テンセイのことを思い浮かべるだけで耐えられたよ。私の心のほとんどが、テンセイへの気持ちでいっぱいなんだよ」


「ソウビ殿! す、少しお待ちを!」

 不意に、テンセイが私の言葉を遮った。

(え……)

 テンセイは口元を手で覆い、こちらから顔を逸らしている。心なしか、頬がうっすら朱に染まっているように見えた。

「も、申し訳ございません、ソウビ殿。これほど直球に応えていただけるとは思っておらず、その、動揺しております」

 それは初めて聞く声だった。

 僅かに掠れ、裏返り、いつもの落ち着いた声よりもいくらかトーンの高い。ゲームの中では一度も耳にしたことのないテンセイの声。

「ふー……」

 やがてテンセイは大きく息をつくと、再びこちらをまっすぐに見た。目が艶やかに潤み、頬に赤みがさしているように見えるのは、錯覚だろうか。

「ソウビ殿、罰当たりなことを申し上げます。自分は今、喜びを感じております」

「っ!」

 テンセイの言葉に、頭の奥がシンと冷える。

「……婚約を解消になったことが?」

 泣き声のような私の問いかけに、テンセイは静かに首を横に振った。

「違います。貴女のお心に初めて触れられたこと、それが嬉しくてたまらないのです」

 その口元に、穏やかな笑みが浮かぶ。

「おかしな話です。長く、婚約者と言う立場でいながら自分は貴女を知らなかった。いや、知ろうとしなかった」

 テンセイの大きな厚い手が、まるで宝物に触れるように、そっと私の手へ重なる。

「王女として生まれた貴女がただ畏れ多くて、あなたに踏み込むのもはばかられて。なのに貴女はそれほどまでに熱い想いを抱いていてくれたのですね。こんな、まるで面白みのない男に」

「テンセイ……」

 テンセイが椅子から下り、床に跪く。そして恭しく、私の手を両手で包み込んだ。

「先日、宴席にあなたを案内するため手を取った、その時感じたのです。自分は、この人の愛らしさになぜこれまで気付かなかったのか、と」

 その瞳に、愁いが滲んだ。

「……あの時にはすでに、ヒナツ王があなたを欲していることを知っておりました。ゆえに自分は、自らの中に微かにともった炎を見ぬ振りいたしました」

 テンセイはもう一度目を伏せ、そして顔を引き締めると真っすぐに私を見上げた。

「ソウビ殿、自分は、あなたを愛しく思っております」

「っ! テンセ……!」

 心臓が止まるかと思った。まるで炎に触れたかのように、彼に包まれた手を引きそうになる。けれどテンセイはそれを逃さず、そこへ口づけを落とす。

「うっ!?」

「ソウビ殿、私は騎士です。貴女に永久とこしえなる忠誠を誓いましょう。夫婦とは異なる形ですが、この身は生涯貴女だけのものです。この心も、この命も、全ては貴女と共にあります。それをお忘れなきよう」


「テンセイ……」

 私は今ここで死ぬのだろうか。ゲームの中の存在だった彼が、ただ、私だけに向けて愛を誓ってくれたのだ。そしてその愛は、なんて切なくきれいで哀しいのだろう。騎士道的恋愛プラトニック・ラブ、肉体的な欲求から離れ、精神だけで固く結ばれる愛……。

「テンセイ~っ!」

 私はテンセイの胸に飛び込み泣きじゃくる。私が落ち着くまで、彼はずっと私を抱きしめてくれていた。耳元で「愛しています」と繰り返し囁きながら。

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