雨と砂糖と君の声
ことぼし圭
第1話
中学校には慣れてきた。入学式のざわめきも自己紹介の緊張も通り過ぎて行って、夏が近づく。今はちょうど雨の時期。人間の住むレイニィコートには雨が降る。たまに見かける小さな妖精は雨が珍しいらしく、はしゃいでいたので放っておこうと心を鬼にした。
(かわいいけど、危ないしなあ)
種類のわからない妖精に話しかけるのは危険だ。自分の血の半分が妖精であっても、それは変わらない。倫理観も常識も共有できないのが本来の妖精の特徴だ。
一緒に弁当を食べる幼馴染の顔を眺めながら、灯理は箸を仕舞った。
「ごちそうさまでした」
「もうごちそうさまなの?」幼馴染の由比は心配そうだ。
「お腹いっぱいだから」
「灯理ちゃんいつもそれー」
「はいはい。残りは晩ごはんにたべるから」
灯理は小食だ。料理全般が趣味の兄がいるため、気合の入りすぎた弁当を持参している。キャラ弁ではないが、冷えてもおいしい手の込んだ料理たちだ。
食事を続ける由比を横目で見ながら、携帯端末に視線を落とす。ニュースや天気情報や新しい雑誌の話題が流れてきて、人間の世界にふれている気分になった。妖精を見かけたので感傷的な気分なのだ。
「東雲さん」
少年が近づいてくる。同い年にしては大人びた声だ。呼ばれているのが自分の名前なのが不思議なくらいだった。湿った地面を踏む足音も静かで、気配も落ち着いている。実は忍者だと言われたら信じるだろう。
「なに?」
「さっき妖精を見ていませんでしたか?」
「うん。雨が降ってるから嬉しそうだった。音積くんも見える人?」
「そうです」
「で、なんで妖精を手にしてるのかな?」灯理は勇気を出して言った。
今回の場合、見なかったことにするのは難しい。
「迷子だそうです。困りました」
(なぜ私に言う。困った。手伝えってことかな)
「わあ。大変だねえ」由比はまだ食事中だ。箸には次に食べるコロッケが挟まっている。
「大変ですよね」
「音積くんは外部組なのに見える人なの?」由比はコロッケをかじった。
「俺は準死神です」
さらりと言えることではない。灯理は咳き込んだ。
「ぼくはねえ、半妖精だよ。ご相伴妖精だからたくさんお腹が減るの」由比は気にするそぶりも見せずに言う。半分の血の申請書類すら渋る彼にしては珍しい。
「私は半妖精。靴職人のレプラホーンだよ。」
血液型よりも繊細な個人情報を三人が言い合ったところで、音積の手元にいる妖精は笑った。不吉な前兆ではなさそうだ。緑色のズボンに空色の上着、とんがり帽子には銀の鈴がついている。
「よくいる小人かしら。はぐれたの?」
妖精は言葉を使わずに困った顔をした。
「困ったねえ」由比は眉を寄せてうなる。「この後の授業は自習だから、とりあえず皆でさぼろうか」
「そうですね」音積は同意した。
「三人寄ればなんとやらだよねえ」口に食べ物を入れる合間に由比は言った。
「そうね」灯理は訂正するのも面倒で、由比の言葉に頷いた。
「ひとまず周辺を見てきましょう。まだ仲間がいるかもしれません」
弁当を食べ終えるまで由比は動かないだろう。
「傘はこれでいいですか?」
「ああうん、悪いね。ありがとう」
弁当を食べていた場所には屋根があったので傘は置いてきた。歩き回るとなると不便だ。音積の持ってきた傘に入って、二人並んで中庭を歩く。
噴水の横に同じ姿の妖精がいるのがすぐ見つかった。半妖精の気配に警戒を解いて出てきたのかもしれない。お揃いの鈴やレースが服についていて愛らしい。たくさんの小人が仲良く並んで噴水から離れていく。雨の降るレイニィコートから帰るのだろう。迷わずに道を歩けるよう願っておく。入り口は色々な場所にあるし、強固な門ばかりではない。きっと大丈夫だろう。
(それに、私よりも、よっぽど道を知ってる)
「良いな」
とても小さな声で言ったつもりだったが、音積には届いていたらしい。
「東雲さんは、妖精に憧れたりしますか」
「すごく」
「なれたらいいって思いますか?」
「まあね。いつかなれるかな、と考えたりするよ」
「俺は、人間に憧れています」
「音積くんは、人間じゃないの?」灯理は質問した。相手の考えはわからないが、聞いたほうが良いような気がした。
二人の距離は近い。見上げると音積の目に自分が映っていた。
選んだ場所で人間かどうかが決まることだってある。逆も同様だ。灯理は人間のいる世界を選んだから、妖精にはきっとなれない。
「人間になれたらいいな、って思ってます」
「あのね、それを言えるのが人間だよ」
「本当ですか?」音積は驚いている。落ち着いた声は柔らかい。
「ただ私がそう考えただけ。嘘をつくのは嫌いなの。思ってないことを言う時が一番しんどいからしない。音積が何を思うかは別だけど」
「東雲さんがそう思っているのが嬉しいです」音積は笑った。
(他に言うこともあったけど、音積が笑ってるからいいか)
教室に帰ると、由比の膨らんだ頬が見えた。
これは相合傘をよく知らない雨の日のこと。
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