第3話
「塔子、
中庭の紫陽花を望むリビングダイニングは広い。8人掛けは出来そうな一枚板の立派なダイニングテーブルに、椅子は二つだけ。向かい合わせに吹雪と塔子は座っている。湯上がりのアイスクリームを塔子は楽しんでいた。
ここは2人の自宅である。祇園町から白川を辿ってぬけた岡崎の屋敷町にある数寄屋建築の古い日本家屋である。吹雪と塔子はここに2人で住みだしてから3年近くなる。外は古いお屋敷だが中はリノベーションされていてモダンだ。
話しかけてくる吹雪を無視しながら、塔子はネットの記事で暇を潰している。見ている記事は『恋の寿命は3年!?』という記事である。
(吹雪との付き合いも3年だなあ)
中学3年生の春に出会ってから、高校2年生になるまで一緒に暮らしてきた。自らの社を持とうとはしない九尾の狐に対して、店を開くように進言したのも塔子だった。
「塔子が死ぬ時に私も死にたい」という希死念慮の強い引き篭もりニートな九尾の狐の吹雪を、無理やり社会と関わらせるためである。塔子が寿命で死んでから、神様として永遠の時を過ごす覚悟を決めてもらう為にも、このお店を足掛かりにしてほしい。塔子にはそんな想いがあった。
吹雪は既に長い時を生きているが、八尾から九尾…つまり神格化するきっかけは塔子の命を救う為であったから、神様としてはまだ18年目の新米である。祀る社はまだない。
塔子は宗教法人の立ち上げ方法などを調べては、この新米神様を現代社会でどう布教させるか、今やクズヒモ男な吹雪に神様としての矜持を持たせるのか日々心砕いているのだ。
茶屋
「もう、吹雪は信仰がなくなったら消えちゃうんだよ」
「塔子だけでも充分だから消えない」
「私もいつか死んじゃうんだよ」
「九尾の狐は永遠を止めて死ぬ為に花嫁を娶る。塔子が死ぬ時に一緒に死ぬから問題ない」
話はいつも堂々巡りになり、最近は良く喧嘩をしている。
吹雪は飽きもせず、無視している塔子に絡んできていた。
「あー、もう。うるさいな。今ネットで読んだけど、付き合って3年たつと脳内ホルモンの分泌が減って、恋が冷めるんだって」
「私は塔子が受精卵だった頃に恋したから17年以上経つが、大丈夫だ。まだ飽きていないし、これからも飽きない」
話が通じない吹雪に塔子は溜め息をついた。
「吹雪も頑張ってくれなきゃ、私も冷めるよ!って話」
吹雪の金色の目がギラリと光る。
「ほう?それはどういう意味だ?冷めたら他の男にでも行くのか?お前が目線を送った男を片っ端から全員殺しても良いのだぞ」
「だから、せっかく神様なんだから、そんな下らない事に力を使わないでよー!」
「そんなことを言ったら人の願いなど全て下らない」
そう言って吹雪はうんざりした顔をした。
「お前の願う人助けも充分下らないからな。塔子の願いだから叶えるが…現場を見に行くか?割と近所だな」
「なんか進展があるの?今日の話」
「ああ、反吐が出そうだ」
既に夜の10時過ぎだったが、塔子はパーカーを羽織り、吹雪について玄関を出る。昼間はあんなに暑かったのが嘘みたいに、小雨が降り肌寒い。吹雪は片手で塔子を抱き上げ、軽く跳んだ。
一瞬で着いたのは24時間営業のドラッグストアだ。千弦が店の外に出てきたのが見える。フードで隠しているが、ふんわりとした長い髪はザンバラに切られていたし、明らかに口元に内出血が見えた。
声をかけるか迷った。
(私なら誰にも見られたくない姿だ)
助けを求められていないのに、自分勝手に助けに行くのは烏滸がましいと思った。店を開くときに、「店名は烏滸とでもつけておけ」と言った吹雪は案外間違っていないのかもしれない。
「苦手なら、塔子は来なくてもいいぞ」
「ううん、行く」
偶然を装って、吹雪は千弦の方へ歩いていく。
「あれ、どうしたんです?」
吹雪の演技白々しすぎて、塔子は鳥肌がたった。千弦の顔には困惑と恐怖すら浮かんでいる。
「あ、自分で髪を切ろうとしたら失敗しちゃって…」
何も聞いていないのに、千弦は言い訳を始めた。
「そうなん?千弦ちゃん、短い髪もよう似合ってて可愛いわ。ほんで、口元の怪我もまた転んだんやろ?」
千弦は愛想笑いを浮かべようとして、うまく笑えずに破顔した。
「早く帰らないと彼に心配されちゃうから、ごめんなさい。またお店いきます…」
「そんな私たちに誤魔化しても、自分が一番分かってるのに何の意味があるんですか?」
塔子は思わず声をあげる。
「今日は、私…私が悪くって、彼がGPS私につけてるの知らなくて、どこに行ったか正直に答えなかったから…心配かけてしまって…」
言いながら、嗚咽を堪えられず、千弦は過呼吸を起こす。吹雪と私は、千弦を抱えて賀茂川の河川敷のベンチまで運ぶ。
「ごめんなさい。心配をかけてしまって。もう大丈夫です」
落ち着いた千弦は、塔子たちに頭を下げる。
本人が助けを求めていない今、塔子に何が出来るのか正直なところ困っていた。
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