祇園あやかし茶屋〜九尾の狐が相談のります〜

菰野るり

絡みつく千の弦

第1話 

京都は祇園町南側。


土日ともなれば、花見小路を行き交う観光客はもはやディズニーランド並みの人口密度だ。花見小路を真っ直ぐに進み、左手に祇園甲部歌舞練場そして馬券売り場のWinsを横目に通り過ぎ、建仁寺に突き当たって曲がると左に小さな通りがある。


それは東山通りまで抜けられる小路であった。ひっそりと佇む通りの人通りは少ない。東山通りから通りに入ってくる人は、縁切りで有名な安井金比羅神社に向かい左折する。もしくは手前のラブホテルに向かうカップルもいる。


目的地を持っている人は通りかかることがない。祇園町南側のぽっかりと存在する空白の場所に茶屋〝烏滸おこ〟は店を構えていた。


祇園町で〝お茶屋さん〟というのは日本茶専門店のことではない。芸舞妓を呼び、仕出しのお料理を出してお座敷で宴会を開く大人の遊戯場が〝お茶屋さん〟である。


しかし、茶屋〝烏滸おこ〟は、この立地にしてお薄や玉露などの日本茶と甘い菓子を提供する健全な茶屋である。立地に条件、佇まいが災いして閑古鳥が鳴いているのが店の常態であった。


「うちの店って入りにくすぎる!」


塔子とうこは高校の制服姿のまま、15時半に客が1人もいない店に入ってくると不満そうに言った。店の座敷でのんびり自分の為にお薄を点てている吹雪ふぶきは素知らぬ顔だ。


「今日のお客さんは?」

「まだ、0だな」


悪びれもせず吹雪は御自服のお薄を楽しんでいる。


「うむ、やはり森半の竹歴乃昔ちくれきのむかしはうまい。我ながら上手く点てれた」


吹雪がズズズッと音を立てて飲み干す音を、塔子は奥の更衣室がわりの桟敷で聞いた。洗い場で手を洗いながら吹雪に愚痴をこぼす。


「吹雪が〝烏滸おこ〟なんて店名つけるからとかもあるよ。普通読めないし!」

烏滸おこがましいは良く人間が使う言葉だろう」

「やっぱり路面からもっと中が見えて、せめてアイス抹茶オレとか有ったら全然違うと思うんだけど」


塔子の言葉に吹雪は心底嫌そうな顔をする。


「そんな店にするなら私はやらん。そもそも全く困っていないのに、なんで人間のようにあくせく働かねばならんのだ」

「吹雪はもっと社会と関わった方がいいよ。社を建てなくても、願いを叶えてあげなくても。誰かと関わらないと吹雪の人生はつまらないから」

「私は塔子だけでいい」


ボソっと吹雪は呟くが、塔子は全く聞いていない。店の前の打ち水をしている。


(人間なら人生だけど、九尾の狐だと狐生なのかな…いや、やっぱり人生でいいや)


閑古鳥が鳴いたままでゴールデンウィークが過ぎ、もうすぐ梅雨入りするだろう5月の終わり。異常な暑さが続いていた。


(祇園祭までにはテコ入れして、お客さんが来るようになるといいなあ。カキ氷とかソフトクリーム導入したら全然違うのに)


塔子は吹雪が絶対了承しないだろうなあと思って、溜め息をついた時だった。


バシャンッ‼︎


水の入ったバケツがひっくり返る音がした。


「ご、ごめんなさいっ」


スーツを着た若い女性がバケツに躓いてしまったようだった。


「私がボーっと歩いていたから…ごめんなさい」

「いや、私が歩道にバケツ置きっぱなしだったのが悪いんです!申し訳ありません」


スカートも濡れストッキングも破れて、膝も擦りむいてしまっている。


「あの、良かったらお詫びに何でも飲んでってください!傷口消毒しますし…!」

「新手の当たり屋みたいな手口やなあ」


吹雪の呟きは無視して、塔子は女性を店の中へと案内した。


「オーナーもああ言うてるし、好きなもん選んでね」


吹雪は営業スマイルと、営業用の京言葉に切り替える。普段の慇懃無礼な態度を塔子にダメ出しされ、来客時は愛想を良くを徹底している様は意外に真面目であった。


「いえ、ボーッと歩いていた私が悪いんです。あ、自分で払いますので。と…え…?ううん?」


女性が特別に優柔不断なわけではない。日本茶の種類が多過ぎるのだ。


「好みを教えてくれたら、色々出すし、そっから選んでもらってもええですよ?あ、僕は吹雪です。お客さんのお名前は?」


急に名前を聞かれた女性客は戸惑いながらも、答える。


千弦ちづる…あ!数字の千に、弦楽器の弦で千弦です…」

「そうなんや、バイオリンかヴィオラかな。演奏してるんやね。親御さんの代から楽器やってはるんかな」

「え…なんで…?」


千弦は困惑している様子だ。


(やめて!やめて!やめて!気持ち悪いだけだから…!)


塔子は救急箱を持っていきながら、心の中で叫ぶ。吹雪は胡散臭い微笑みを浮かべ、言葉を続ける。


「いや、見た目で分かっただけですよ。ここのね」

吹雪は自分の首をトントンと示した。

「ああ、勲章ですね!私はヴィオラですけど…」


千弦は左の顎下にできる痣のことを〝ヴァイオリン弾きの勲章〟と呼び、同志にはすぐ分かるのだと塔子に説明してくれる。


「吹雪さんも何かやってらっしゃるんですか」

「いや観る専門ですね、そこの塔子ちゃんは置屋生まれやし三味線弾きますよ」


いきなり話を振られ、塔子はギョッとする。吹雪は塔子の三味線がどれほど下手かを分かっているのだがらタチが悪い。


塔子が千弦の傷口を消毒する間に、吹雪から氷出しの玉露が出される。事前に長時間かけて抽出している玉露は、すぐ出てくる品だ。


「わあ、甘い」


千弦から溢れる感嘆に、塔子も嬉しくなる。


「これは宇治田原の流芳園さんの〝秘園の露〟やね。手摘みの玉露でエグミがないし、甘いけどしつこくないから暑い日にはスッと入っておすすめなんです」


冷茶で一息ついた千弦は、ゆっくりと吹雪とお茶を選び出した。


(うちのお店もっと人気出てもいいと思うんだけどなあ)


楽しそうに様々なお茶の説明を聞く千弦を見ながら塔子はそう思った。結局、千弦はお茶とお菓子おまかせの3種類飲み比べを選んだ。

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