18月の軌跡

PROJECT:DATE 公式

小さな始まり

肩を縮めながら、恐る恐る左右を確認する。

…よし。

知っている人はいない。

鞄の肩紐を握り、背を丸めながら

隠れるようにして歩く。

別に悪いことは…

…ぱっと見はしていないのだけれど、

罪悪感からだろう、

その恐怖感が姿勢に出ていた。


陽奈「……。」


もう1度左右を確認してから改札を通る。

ここを出てしまったらもう

学校に戻る時間はなくなる。

今すぐ戻れば…。

…。


ぶんぶんと顔を振る。

私は…私は、変わるんだ。

変えたくて、どうしても変えたくて。


陽奈「…っ。」


改札に定期圏外のカードを

当てようとして、

そっと手を引っ込める。

…。

あともう少しで、外に出れるというのに

ここまできて怖気付いてしまった。

改札を出て少しした先に

公衆電話が見える。

海風に当たっているからか

色は褪せて寂れているように見える。


人は幸いにもほぼ改札を

通り過ぎた後のようで

邪魔にはなっていない。

ちら、と横目に周囲を確認すると

改札近くにいる駅員さんと目があった。


陽奈「ひゃっ…!」


ぎょっとして、さらにちらちらと

周りを見ながら飛び上がる。

マスクも眼鏡もしているせいで

目の前が真っ白になってしまった。


陽奈「…!」


駅員さんに見られたに違いない。

恥ずかしい。

意気込んでここまできたのに

結局折り返すなんて。


定期券を両手で握ったまま

改札から遠ざかり、

そそくさとお手洗いへと向かう。


本来、お金を払わずに駅を往復した場合でも

料金は払わなければならない。

例えば通学や通勤時、

最寄駅からだと急行が

止まらないからと言って

改札を出入りせず一駅前に

戻ってから電車に乗ることとか。

…もっと具体的に言うと、

大和駅から改札から出ないまま

横浜で友達と待ち合わせて、

そこから二俣川駅に降りる…みたいな。

本当なら大和駅から横浜駅まで、

そして横浜駅から二俣川駅間の

料金を払わなければならない。

…実際知らずにやっている人は

多いのだろうと思う。

けれど、私は知っていながら

それを行おうとしている。

確か乗り過ごし…眠っていたなら

よかったんだっけ。


陽奈「…だからと言って…今からじゃ遅いけど…。」


お手洗いの洗面台の前に立って

背の小さい自分と対峙する。

刹那、奇怪な音楽が流れ出し、

もうすぐで電車が到着するという

アナウンスが流れ出した。


慌てて反対側のホームへ向かう。

先ほど目があった駅員は

まだ改札近くにいるようだった。

胸が張り裂けそうなほど

どくどくと鳴り響いている。

もしかしたら他の人に

聞かれているかもしれない。

聞こえているかもしれない。

恐れながら電車に乗り、

すみっこの席に座っては

背を丸めながらスマホを取り出す。


陽奈「…。」


目的地だった海がどんどんと離れていく。

逃げてきたはずの学校が

どんどんと近くなってゆく。


今日私は初めて無断で部活を休み

海へと逃避行しようとしていた。

1週間以上前から計画立てていたのに

今日になって怖気付いた。

怖くなってしまった。

自分の評価に繋がるというのに、

嫌になったからと言って

逃げ出してきてしまった。


陽奈「………。」


私は、意気地なし。


分かってる。

私がヒーローやヒロインになるような

物語なんて存在しない。

もしあるとすれば、

それは陰鬱で救いのない物語。

この16年を思い返してわかる。

私は変われないのだから。






***





陽奈「…。」


重たい足取りで部活へ向かう。

けれど、どうしても教室に

入る気になれなくなって、

ぶらぶらと学校内を歩いていた。


窓の外は鬱陶しくなるほど

晴れ渡っており、

徐々に歩くスピードは落ちて

ぼんやりと空を眺めた。

廊下だというのに

徐にスマホを取り出して空にかざす。


かしゃり、と大きな音が鳴った途端、

世界の時間は止まったように思えた。

画面を確認することなく、

スマホを両手に持ったまま

また足を動かす。


前を見ずに歩いていたら

突如肩に衝撃が走った。


陽奈「…あ……ご、ごめんなさい…!」


相手の顔をろくに見ずに

頭を深く下げた。

すぐに逃げてしまおうと思った時

ふと腕を掴まれるのが見えた。

はっとして顔を上げると、

そこには見覚えのある顔があった。


陽奈「…あ、古夏ちゃん…!」


古夏「…。」


古夏ちゃんはにこりと微笑んで、

顔の前でこちらに手のひらを向けて重ね、

ワイパーのように開いてから

両手の人差し指を立てる。

そしてお辞儀するように両方曲げた。

「こんにちは」の合図だ。


私も同じように手話をすると

古夏ちゃんは可愛らしい笑みを向けてくれた。

それだけで、なんだか

ほっとしている私がいる。


私と同じくらいの身長の古夏ちゃんとは

かれこれ2年くらいの付き合い。

同じリボンのカラーが目に入る。

クラスが違うもので最近は特に

話せていなかった。

言葉は理解できるが話せないらしい

古夏ちゃんとは、

確かボランティア先で出会ったはず。

それ以来、筆談や手話で話すようになった。

…とはいえ、私は手話は

簡単なものしかできないし、

主には筆談だった。


彼女はノートを取り出し、

どこから取り出したのか

ペンを手に何か書き出した。

見守っていると、

『今から帰るの?』と

書かれた紙を見せてくれた。


陽奈「…ううん、今から部活に行くの。」


思えば古夏ちゃんとは

あまり気張らずに話せている気がする。

これから部活が嫌で嫌で仕方がなくって

逃避していたことすら忘れそう。

すると、『頑張ってね』と

可愛らしい文字が返ってくる。


陽奈「……ありがとう。」


ぎこちないだろうけど笑ってそういうと、

彼女はにこりと太陽のように微笑んだ。

ノートとペンをしまうと、

小さく手を振ってくれた。

私も手を振ると、また笑っては背を向けた。

古夏ちゃんは小さな天使のようで

見ているだけで癒されるとは

このことなのだろう。


陽奈「………はぁ。」


しかし、癒されるのも束の間。

この後部活に行かなければならないと思えば

気が重くなる一方だった。

行かないのも、遅れていくのも気が引ける。

まるでどうしてこの部活に入ったのか

忘れ去ってしまったよう。

また重たくなった足を

なんとか部室へと向かわせるのだった。


陽奈「…。」


どんな反応をされるかなんて分かっている。

どうして今来たの。

なんで来たの。

下手なのに。

足手纏いなのに。

邪魔だから帰って欲しい。

今日は来ないと思ったのに。

いらない。

いらない。


いらない。


陽奈「………でも…。」


行かなきゃな。

こんな時、雨鯨のメンバーに

相談することも多かったな。

もちろんいろはや秋ちゃんにも

何度も話したけれど…。

それこそ…。


陽奈「……茉莉ちゃん…。」


茉莉ちゃんに話すことが

なんだかんだで多かった気がする。

秋ちゃんみたいにアドバイスをするわけでも

いろはみたいに無理に励ますでもなく、

「へー」「ふぅん」「そっか」と

相槌をくれるだけなのが

心地よかったのかもしれない。

けれど、それももうない。


茉莉ちゃんが記憶を失ってから

もう2度とそんなことは

起こらないのだろうと思っている。

夢から覚める時間が来たのだと思う。


陽奈「…。」


このままうずくまって

誰かが助けてくれるのを

待っていたいくらいだった。

けれど、そうしたって皆は

アピールだとか、注目を浴びたいだけだと

一蹴するのだろう。

実際、そのような節はあるのかもしれない。

けれど、認めたくないのだと思う。


陽奈「……。」


もう、本当にそろそろ行かなきゃ。

ゆっくり、ゆっくりと

足を動かしたのだった。

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