統合失調症当事者スピーチ

久石あまね

スピーチ原稿①

 皆さんこんにちは。久石です。今日はよろしくお願いします。

 今日は僕の過去と統合失調症についてお話します。 

 僕が統合失調症と診断されたのは高校2年のときでした。当時、幻聴と被害妄想に悩まされていました。幻聴は「臭い」や「死ね」とか、僕を罵倒するような声が聴こえてきました。被害妄想は友達たちにストーカー行為をされているや、街を歩いていたら急に襲われるのではないか、といったような考えが頭を離れませんでした。間断なく緊張状態が続いて、極度の緊張状態が僕を襲いました。例えるなら、常に銃口を眉間に突きつけられているような怖さを通り越した極限状態に心が支配されていました。これらの症状は僕を地獄へつき落とすのに十分すぎるものでした。僕の精神は荒廃し、僕はいつの間にか廃人のようになってしまいました。精神科の主治医に薬を処方されました。はじめは薬を飲むと眠たくなって、自分のベッドまで行けず、近くにあるソファーで倒れるように眠ったりしてしまいした。幸い、処方された薬は、僕の身体にあっていたようで二ヶ月ほどで、24時間いつも聴こえていた幻聴や身体が震えるほど怖かった被害妄想はほぼなくなりました。結局高校は退学して、通信制の高校に通い始めました。通信制の高校では自分のペースで通学することができたので、のんびりと過ごせました。家でゲームをしたり、本を読んだりしていました。通信制の高校を卒業したあと、一年浪人して地元の小さな大学に通い始めした。しかしまた幻聴や被害妄想が現れました。そして大学を休学した後、退学しました。しかし大学では多くの友達や先生、スクールカウンセラーに恵まれ、大変楽しい学校生活をおくれました。恥ずかしい話ですが、恋愛のようなものもしました。高校生活は苦しかったですが、大学生活は楽しかったです。

 大学を辞めたあと何をしていたかというと、就労移行支援事業所に通ったりしていました。ビジネスマナーとかパソコンの基本操作を学ぶ職業訓練所のようなところです。ちょうどこのとき、精神障害者保健福祉手帳を申請し、受理しました。階級は二級でした。障害者手帳が自宅に届いたときは、涙しました。このとき、自分は障害者なのだと自覚しました。こういうことは、障害者のかたに失礼で言ってはいけないかもしれませんが、元々健康だった自分が障害者になってみると、なんともいえない複雑な気持ちになりました。就労移行支援事業所でも精神状態が優れなく、半年で退所しました。そのあと、デイケアや地域活動支援センターなどで3年ほど、他の利用者さんと話したりしながら過ごしたりしました。そして3年まえから、今の作業所で内職作業などをしながら過ごしています。今現在は幻聴や被害妄想はありません。統合失調症は寛解しています。でもひとりでニヤニヤしてしまったり、します。これは独笑どくしょうといって、統合失調症患者に多く現れる症状で、なぜか頭の中でいろいろな考えが浮かんできて、自分の意志に反して笑ってしまうのです。それが周りの人から変な人じゃないかと思われるのではないかと心配したりします。後は病気になってからコミュニケーションが苦手になりました。相手の考えを理解するのが、病気になる前と比べて苦手になりました。今はそれがつらいです。

 

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