第2話
俺は蒸し暑い夜の街を逃げ回るようにして走っていた。外を出歩く人影もない。俺としては好都合だが、少し寂しさを感じてしまう。
時刻もよくわからないまま路地裏で休憩をはさんだ。3日前まで続いていた、平凡な日々を思い出しながら。
俺は普通のサラリーマンだった。電車を乗り継いで出勤し、会社の要求に応え続けた。俺には子供のころからの趣味があった。プラモデル作りだ。最近は眺めるだけになってしまったが、家には子供のころに作ったプラモデルだけの部屋がある。もうその部屋にも戻れないのかと思うと余計に悲しくなるのだが。
だいたい、夜に人目を避けて走るなんて羽目になったのは俺だけが悪いわけではないはずだ。幼馴染で、友人だった、吉村が家に来たのが悪いんだ。
3日前、俺は普通に家に帰った。その時、俺の服がしまってある部屋に明かりがついていることに気が付いた。そして少し開いたドアからのぞき込むと、そこに吉村がいた。その手には、就職祝いにと父が買ってくれた腕時計があった。
「お前、何してんだ? それは俺の腕時計だぞ?」
そう言って入ると、吉村は土下座をしてきた。腕時計を離さずに、だ。
「ごめん! 許してくれ! 金がないんだ! もう生きていけないんだよ!」
言葉が出なかった。こんなやつを友人だと思っていたとは。俺は携帯に手を伸ばした。すると、それを見た吉村がとびかかってきた。
「俺たち友達だろ? なあ、助けてくれよ!」
俺はそいつの腕を振りほどいたが、奴が懲りずにつかんでくるので取っ組み合いになった。そこからはあまり覚えていないが、気づいたときには吉村は頭から血を流して倒れていた。生きているような気配がなかった。やばいと思って、そのまま逃げだしてしまったのだ。
今思い返してみれば、救急と警察に電話をして、事情を説明するべきだった。逮捕されるのが怖くて逃げたわけだが、とても後悔している。今からでもかけられれば良かったが、もう携帯を握る気力も起こらなかった。家を出てすぐに充電が切れてしまったから、何の機能も持たなくなってしまった。
財布の中の所持金で飢えをしのぎ、橋の下に潜り込んで雨風をしのいだ。その間ずっと『自首しに行け』とか『死んでしまえ、この恥さらしが』とか色んな声が聞こえたがすべて無視した。聞いている余裕もなかった。この生活が早く終わってほしいと常に祈っていた。
1週間くらい経っただろうか、その頃に俺を呼ぶ声が聞こえた。
「こんなところにいたのね、だいちゃん」
そこにいたのは吉村の母だった。
「久しぶりねえ、そんなに疲れ切っちゃって大丈夫なのかい?」
俺が返事に困っていると、吉村の母は吉村が俺の部屋で死んでしまったこと、その時手に俺の腕時計を握っていたことを話した。
「それを見て、びっくりしちゃったのよね?」
謝りながら俺に確認を取る吉村の母。違う、俺はもうそんな善人じゃない。ただの人殺しだ。
「みんな心配してるから、早く戻っていらっしゃい。ね?」
こんな俺に心配される権利があるのだろうか。近くに山を見つけていた俺は、そこにこもるつもりでいた。
「……ごめんなさい」
それだけ言い残して、俺は山に向かって走り出した。吉村の母は、どこかに電話をかけながら追いかけてくる。俺は脇目も振らず、夜の森に向かって走った。
逃走 土本レイ @rei-109
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