七帝柔道記Ⅱ 立てる我が部ぞ力あり

増田俊也/小説 野性時代

【単行本版試し読み】第1話(全7回)

私たちは一時間でも多く練習した方が、必ず相手を倒すことができるということを信じていた。(……)それが真実であろうとなかろうと、それを信じなければならなかったのである。

「青春を賭ける一つの情熱」井上靖



第1章 たった2人の抜き役


   1


「もっと自覚をもってそれぞれが練習すれば手応えは出てくるはずだと思う。だからみんなも今日はこの技を覚えようとか目的を持って日々の練習をこなしてほしい。そうすれば──」

 寒く静かな部室に、主将の後藤さんの細い声が響いていた。

 床に座ってうつむく部員たちは皆、柔道衣の胸をはだけ、解いた帯を首に掛け、荒い呼吸を繰り返している。髪や顎の先からぽたぽたと滴り落ちる汗は先ほどまで延々と繰り返された寝技乱取りの熱を含み、唇の上を通るとき塩の味がした。

 私の隣に座る一年目が汗まみれの体を寄せて囁いた。

「先輩、雪みたいですよ」

 城戸勉である。視線は窓のほうを向いている。見るとたしかに外の暗闇で粉雪がまばらに舞っていた。「今日は何日だ」と小声で問うと「十月二十一日です」と城戸が返した。私は小さく溜息をついた。札幌のあの長い冬がまたやってくるのだ。

 後藤主将の今日の練習総括はまだ続いている。

「練習試合はもちろんだけど、乱取りの一本一本で決して力を抜かないこと。意見ある者、言ってください」

 小さな声が、よけいに部員たちを侘しい気持ちにしていた。

 七月の七帝戦後に主将に就いた三年目の後藤さんの代は三人しかいない。ただでさえ部員が少なくて意気が上がらないのに、主将の後藤さんも副主将の斉藤テツさんも、私たち下級生に遠慮があるように見えた。

 後藤さんは細くて小柄なため道衣が体に合わずだぶついている。横に座る斉藤テツさんはさらに体が小さいので道衣を着ているというより道衣に着られているようだ。二人とも散髪に行く頻度が少ないため中途半端に伸びた毛髪があちこちに撥ね、余計にぐっしょりと濡れて見えた。しかも練習の多くの時間を相手の下になって攻撃され、抑え込まれているので、畳にこすれて道衣が真っ黒に汚れている。髪から滴り落ちる汗と雑巾のように濡れた汚い柔道衣、まるで土砂降りの雨の下でうずくまる濡れネズミのようだ。

「意見ある者、いませんか」

 後藤さんがもう一度言って斜め後ろを振り返った。そこには後藤さんたち三年目よりさらに汚い道衣を着た細い眼の男があぐらをかいている。留年して現役続行を宣言している四年目の内海さんである。その内海さんが髭面の顔を振った。後藤さんは困ったように再び私たちに向き直った。

「誰か、意見はありませんか」

 しかし、やはり誰も手を上げない。みな顔の汗を手のひらで拭いながら指に巻かれたテーピングテープを剝がしている。どの部員も指を二本三本と束にして分厚く巻いていた。指関節を傷めることが常態化し、テーピングしないと練習ができないのだ。とりわけカメをやる分け役の指は酷い。相手の膝で潰されて亜脱臼を繰り返し、常に腫れ、歪に曲がっていた。後藤さんの指などはとくにそうだ。

 他にも手首を傷めている者は手首に、肘を傷めている者は肘に、肩を傷めている者は肩にテーピングしている。毎日テーピングするため、その部分の皮膚が醜くただれて血が滲んでいた。耳を内出血で腫らした一年目のなかにはガーゼなどを折り重ねて耳に当て、その上から頭をぐるぐるとテーピングしている者も数人いる。

 私は左膝に自転車のチューブを二本巻き、さらに上から弾力包帯を巻いていた。こうすると乱取り中ほとんど左膝を曲げることができないので動きを制限されるが、他に乱取りを続ける方法がなかった。七月の七帝戦直前に膝の靱帯を切って入院した。九月に退院してリハビリを繰り返し、やっと練習に復帰したのに乱取り中にまた膝を捻ってしまった。柔道どころか歩くだけで強い痛みがある。しかし練習を見学するわけにはいかなかった。対東北大学定期戦、通称「東北戦」が近づいているからだ。

 伝統のこの定期戦は七帝戦本番と同じく十五人対十五人の抜き勝負、つまり戦前の高専柔道ルールを踏襲する七帝ルールで戦われる。出場資格は三年目以下だけで、来年の七帝戦を占う新人戦の位置づけだ。先般七月の七帝戦本番で京都大学と二年連続で優勝を分け合った東北大学は強力このうえないチームである。一方われわれ北海道大学は七帝戦四年連続最下位という泥沼に喘いでおり、どう足搔いても勝ち目はなかった。それでも部の方針は「勝利」であった。戦前の高専柔道も戦後の七帝柔道も、戦う前から試合を抛つことは絶対にできない。

 この七帝柔道は、北大のほか、東北大・東大・名大・京大・阪大・九大の旧帝国大学七校だけに戦前から受け継がれる特異な柔道で、寝技技術だけが発達し、試合が始まるや両者とも寝て延々と寝技を戦う。立技をかけずに自分からいきなり寝る「引き込み」が許されているからだ。また場外がなく勝負は一本勝ちのみ、寝技膠着の「待て」もないデスマッチルールである。

 ルールだけではなく精神性もまた突出して他と違う。選手は決して「参った」しないのだ。だから試合で絞技を仕掛けられればそれは失神すること──柔道では「落ちる」と言う──を意味し、関節技を仕掛けられればそれは骨折を意味した。なぜ「参った」しないのか。それはこの大会が世界に類のない大人数の団体戦──十五人の抜き勝負だからだ。抜き勝負とは勝った者が畳に残り、相手校の二人目と戦う試合形式である。それにも勝てば三人目と戦い、それにも勝てば四人目と戦う。理論上は一人目に出た者が十五人に勝てばチームは勝利する。しかし厳しい練習を積んできたチーム同士だ。そんなことは実際には起こらず試合は抜いたり抜かれたりのシーソーゲームとなり、最終的には二人差とか三人差で決着がつくことが多い。一人の負けがチームの勝敗を大きく左右するため各チームとも選手を〝抜き役〟と〝分け役〟とに分け、抜き役は絶対に相手を抜きにいき、逆に分け役はどんなに強い相手が出てきてもズボンにしがみついて、何がなんでも引き分けなければならない。

「意見ある者、誰かいないか」

 後藤さんがまた細い声をあげた。その横で斉藤テツさんはじっと下を見ている。ただひとりジャージ姿でいる杉田さんが銀縁眼鏡を押し上げて「本当に誰もなにもないのか」と後輩たちを見まわした。しかし誰も挙手しない。主将の後藤孝宏さん、副主将の斉藤哲雄さん、そしてこの杉田裕さんが三年目の全部員である。杉田さんは怪我で専業主務をやっているため、道衣を着て練習する実質的な部員は後藤さんと斉藤テツさんの二人だけである。この二人の三年目と私たち二年目六人、一年目十人、そして四年目の内海正巳さん、計十九名が少人数で苦しい練習をしていた。

「ミーティング終わり、解散」

 後藤さんの言葉で四時間半以上続いた今日の長い練習がようやく終わった。東北戦へ向けての延長練習は九月終わりから二週間続き、一週間の合宿をはさんでまた二週間続く。その間は岩井眞監督が毎日来て何度も繰り返し練習試合が組まれる。どんな相手と当たってもいいように、あらゆる組み合わせで何度も何度も繰り返し部員を戦わせる。それプラス普段の寝技乱取りなのでとにかく練習時間が長く、心身ともに消耗が激しい。

 部員たちは嘆息しながら立ち上がり、汗まみれの柔道衣を脱いで着替え始めた。シャワーを浴びるために部室を出ていく者もたくさんいる。みな一日一日を消化していくので精一杯だ。しかし練習後のこの一刻だけが一日のうちで僅かにプレッシャーから解放される平穏の時間だ。アパートに戻って布団をかぶると「明日もまた練習がある」という現実に暗い気分になってしまう。朝起きればなおさらだ。うんざりするようなこの苦しい生活は四年目の最後の七帝戦が終わる引退の日まで毎日続く。

 私が鉄製ロッカーの前で道衣を脱いでいると「胸は大丈夫か」と声をかけられた。杉田さんだった。

「ええ。なんとかやれてます。少しずつですが」

「無理するなよ。この東北戦で引退するわけじゃないんだから。来年の七帝戦もあるし、再来年の七帝戦もある」

「ありがとうございます。大丈夫です」

 私が頭を下げると杉田さんは笑いながら首を振った。

「おまえはいい加減だけど柔道だけは真面目だから心配なんだ。俺みたいになったらだめだぞ。しっかり治せよ」

 杉田さんは長いあいだ腰を傷めており手術をすすめられていた。しかし、地道な治療により良くなり始めた矢先、今度は網膜剝離をやってしまい、選手生活を引退して専業主務となっていた。

 私は今年八月の夏合宿のとき膝の怪我で入院中でギプスを巻かれていた。しかし病院に「父が危篤なので名古屋の実家に少し帰らせてください」と噓を言って一週間の外泊届を出し、合宿中ずっと道場脇でベンチプレスを続けていた。毎日百セット以上やっているうちに大胸筋にひどい肉離れを起こし、いまだに治っていない。一緒に練習を見学していた杉田さんはそれを知っていた。

 しばらく杉田さんと立ち話をしたあとロッカーを開けてバスタオルを肩に掛けた。そして固形石鹼の入ったプラスチックケースをつかんで部室を出た。

 柔道場には笑顔と嬌声が溢れていた。

 合気道部員たちだ。五十人から六十人くらいいそうだ。女子部員もかなり多い。週に三回、しかも短時間の練習で、柔道のようにフルパワーで試合形式の練習をする乱取りがないから退部者はほとんどいないのだ。先ほどまで柔道部員の苦行の場だった道場が別世界のように輝いて見えた。汗の蒸気で滝壺のように霞んでいた場所が、立つ者が替わるだけでこんなに鮮やかでカラフルになるのだ。

 うんざりそんなことを考え、私は道場の出口へ向かった。

「増田君──」

 後ろから声がかかった。

 振り向くと、竜澤が部室から出てくるところだった。上半身は裸だがすでにジーンズをはいており、手にはTシャツとトレーナーを握っている。

「〈みねちゃん〉行こうよ」

 言いながらTシャツとトレーナーをまとめて頭からかぶった。そして発達した上半身を窮屈そうに中へ潜り込ませていく。トレーナーの首から竜澤の顔が出てきた。他大学から様々な外国人俳優に喩えられるほど日本人離れした美丈夫である。しかし性格はわがままなことこのうえない。私たち同期は最初はそれを持て余したが、小学生がそのまま大学生になったような彼に抗いがたい魅力も見つけていた。

「今日は、〈とん子〉へ行くっていう約束だったよ」

 私がそう返したときには竜澤はすでに私を見ていなかった。打ち込みフォームチェック用の大鏡の前で肩をいからせたり腹を引っ込めたりして、かっこよく見える角度を研究している。それを一年目の何人かが遠目にしていた。

「みねちゃんなら生ビールがあるからさ」

 竜澤がジョッキを握る仕草をしながら言った。みねちゃんは北十八条駅近くの焼鳥屋で店主は元アマレス選手、北大柔道部は寝技強化のためこのみねちゃんにレスリングコーチをしてもらっている。とん子は武道館から歩いて五分ほどのところにある豚カツ屋だ。夫婦二人でやっており、大将も女将もいかにも豚カツ屋という顔をしている。

 竜澤は「今日はみねちゃんだよ、みねちゃん」と大鏡を見ながら言った。そして腰のベルトを弛めながら「豚カツ食うとよけいに喉が渇きそうだからさ。たまには生ビール飲みたい。みねちゃんだよ、絶対に」と腹のあたりを触り「最近、しけたもんしか食ってねえから、腹もぺしゃんこだ」と腹を細く引っ込めて鏡に映した。

「俺は金ないよ。仕送り前だから」

 私が言うと、竜澤はジーンズのポケットから二つ折り財布を出した。中を覗いて札を二枚引っ張りだし「俺も二千円しかない」と言った。そして小銭をジャラジャラと手のひらに受けてもう一方の手でつまんで数えていく。

「小銭は四百二十六円なり」

「俺は全部で千五百円くらいかな」

「しけてるな。合わせて四千円か」

 竜澤は財布をポケットに戻しながら合気道部の練習を見遣った。彼がお気に入りの農学部三年の女子が今日は来ていた。手刀を前に出して移動稽古をしながら、ちらちらとこちらに視線をくれている。頰が赤くなっていた。いつも竜澤が見ているのが気になるのだ。しかし竜澤は興味なさそうにまた財布を出し、中身を再び確認しはじめた。

 私はしばらく考え、言った。

「二人で四千円ということは、生ビールを二杯ずつ、ホッケ一枚、つくねを四人前くらいで終わりだ。よけいに腹が減った状態でみねちゃんを後にすることになる」

「ツケでいいじゃん」

「最近あちこちの店にツケが溜まってるからなあ」

 竜澤が表情を崩した。

「だったら牛革の財布がある」

「牛革?」

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