第7話 レギュラリティ教団
シンたちがロバリーハートを出発してから二週間が過ぎた。
本来なら目的地であるパルブライト帝国までの道のりも半ばを過ぎている予定だったのだが、シンの気まぐれであちこちの村や町に寄りながら進んでいたため、その日は正規のルートを大きく外れた山の裾野付近で野宿をしていた。
「おはようございます」
木にもたれかかるような体勢で寝ていたシンに一人の老人が声をかけてきた。
シンが日本で見たことのある、お寺のお坊さんが着るような黄色い袈裟姿の老人。
垂れた瞼に隠れている目はどこを見ているのか分からない。
その背後には同じような恰好の男たちが十人ほど控えていた。
全員が髪を剃って、綺麗に丸められた頭をしている。
「あ、おはようございます」
寝起きでぼんやりした頭で挨拶を返す。
フェルトは近くに張ってあるテントの中でまだ寝ているようだ。
「失礼ですが、旅のお方ですかな?」
老人は柔和な笑みでシンに尋ねてくる。
しかし、その距離は少々話しかけるには遠い。
「はい、パルブライトへ行く途中で夜を迎えたので野宿してました」
シンはありのままの状況を答える。
「もしかして……ここって、誰かの所有地とかでしたか?」
無断で入り込んで勝手に野宿したことを咎められるのかとシンは思った。
「いえいえ、一応この山は私どもが管理してはおりますが、侵入を禁じているわけではございませんので」
「ああ、お寺の管轄でしたか?」
「おてらとは?」
当然この世界に仏教は無い。
「あ、いえ、宗教関係の施設のものかな?って意味です」
つい、老人たちの見た目に引っ張られてしまったシン。
「それでしたら――その通りかと。ここは『レギュラリティ教』が管理しておりますので」
「レギュラリティ教――」
それはこの世界で最も多くの信者をもつ宗教組織。
調和を司る神コルディアを主神として崇めており、大陸全土に独立した施設をもつ。
シンもその名前はノーラから聞いて知っていた。
「はい。この麓にその施設の一つがございまして、私どもはそこから来ました」
「アデスですか?」
「ご存じでしたか――」
老人の瞼が少し開き、初めてその瞳がシンの姿を映した様に見えた。
「ええ、昨日は宿に泊まるつもりでアデスを目指して山を越えてきたんですけど、ここまで来た時にフェルトに――あ、その中で寝てるツレですが、アデスは町じゃないですよって言われたんです。で、結局ここで野宿することになったんです。そういう大事なことは、もっと早く言ってくれても良いと思いません?」
本当はシンが山の中で珍しい木の実や植物を見かける度に一瞬で姿を消していた為、フェルトはどこを目指しているのか確認する余裕もなく、とにかくはぐれないように必死だった訳だが。
「そう――でしたか」
再び老人の瞼は閉じられたように見えた。
「あくまでも、旅の途中でたまたまここに立ち寄られた――と」
「はい。今日この後はパルブライト目指して出立するんですけど……」
「けど?」
「ここで朝食の準備とかってやって構わないですかね?あ、火とかちゃんと気を付けて使いますから。ゴミもちゃんと片づけますよ」
山は行った時より綺麗にして帰りましょう。
「ふ…ふぁ、ふぁ、ふぁ、ふぁ、ふぁ、ふぁ!!」
老人は愉快そうに笑いだす。
――おお!この雰囲気でふぉ、ふぉ、ふぉーじゃないんだ。
「ええ、ええ、構いませんとも。先ほども申し上げた通り、管理はしておりますが、私有地などではございませんから、ご自由になさってください」
「ありがとうございます」
「ああ――そうですな。よろしければ、今からアデスにお越しになられませんか?大したおもてなしは出来ませんが、一緒に朝食でも取りながら旅のお話でも聞かせていただけたらと思います」
老人の言葉に控えていた者たちに動揺が走る。
「総師範!!」
「落ち着きなさい」
太い眉の男が何か言おうとしたが、すぐに老人に制される。
「え?良いんですか?結構重要な施設で部外者立ち入り禁止だって聞いたんですけど……」
「この老いぼれ、それくらいの無理は利かせられる
「そうか、それだけ強ければ、そういうものなんでしょうね」
「納得いただけたようで」
二人のやり取りを緊張した面持ちで見守る面々。
「あ、ちょっとツレにも聞いてみますね」
ちょうどテントの中からもそもそとした動きでフェルトが這い出してきたのが見えた。
「フェルトー。この人たちに朝ごはん一緒にいかがですか?って言われたんだけど――どーするー?」
「ふぁい……この…人…たち……?」
フェルトはまだ開ききっていない目をこすりながら呼ばれた方を見る。
「……キナ――シンさん」
旅の道中ではそう呼ぶようにと頼み込んである。
「どーするー?」
「どーするー?じゃなくて……その方々は……」
「アデスの人だって」
「いや、それは見たら分かります。ええ、分かりますとも!!」
「???」
――情緒不安定かな?
「この大陸中探しても、レギュラリティ教のその黄色い法衣を着ている方々をご存じないのはシンさんだけですよ!」
「そんなに有名な人なの?」
当の老人は二人のやり取りをにこにこしながら聞いている。
「ええ!!有名も有名!!師範クラス以上でないとその法衣は着ることが許されてないんです!!そして、レギュラリティ教の師範ともなれば、どこに行っても国賓クラスの扱いとされている重要人物です!!」
「へえー」
「反応が薄い!!」
「だって、ダミスターさんとかに会った後だし、フェルトも普段は王様と普通に接しているでしょ?」
「陛下にだって全然普通に接してなんかないですよ!!内心はめっちゃ緊張しまくってます!!」
――そうだったのか。全然普通に接してるように見えてたから……フェルト凄いな。
「いやいや、私など、無駄に年を取っただけの爺ですよ」
「――だって?」
「そんなわけないでしょう!!」
「で、朝ごはんどうする?」
「そんな首脳会談みたいなところに呼ばれたら、緊張で食べ物が喉を通るわけないでしょう!!というか、心臓止まります!!」
「じゃあ、彼も大丈夫みたいなんでお邪魔します」
「話を聞けえぇぇーー!!」
「心臓止まっても、すぐなら蘇生出来るから安心して」
「止まる前に何とかしろー!!」
この二週間ですっかり打ち解けた二人だった。
「では、話がまとまったようですので――」
フェルトはまだ何やら喚いているが、シンにその口を押さえられてしまった為、何を言っているのかは分からない。抗議であることは確かだが……。
「まずは――貴方が放っている魔力を抑えていただけると助かるのですが」
「あ――」
老人の言葉にシンはハッとなる。
「そうか、それでここに……」
「ええ、そうでございますよ。皆が怯えておりましてな」
シンが後ろの人たちをよく見ると、しっかりと立ってはいるが――その目は僅かに怯えていた。
彼らにはシンの全身から放たれている膨大な魔力がはっきりと見えているのだ。
「――お騒がせしてすいませんでした。夜の間の魔物とか獣除けのつもりだったんですよ」
そう言うと、シンは自身の魔力を極限まで抑えた。
途端に老人たちを襲っていた圧のようなものが消える。
「ふぁ、ふぁ、ふぁ。それだけの魔力を感じたら、どんな魔物も近づこうなどとは思わないでしょうな」
「……やりすぎてました?」
シンはおずおずと老人に尋ねる。
「アデスからでもはっきりと強大な魔力の出現を感じられましたからなあ。向こうでは伝説の魔王が現れたんじゃないかって昨日の夜から大騒ぎで警戒していたのですが、どうにもそれが動く気配が無い。それで夜明けを待ってから私たちが偵察に来たということですな」
「そこまででしたか……」
シンはこれでも考えて抑えていたつもりだった。
ドラゴンくらいなら怯えて近づいてこないだろうと考えて――だったが。
「ではアデスへご案内いたします」
老人は最後まで笑みを浮かべたまま穏やかにシンへと話しかけた。
「あ、じゃあ、お言葉に甘えさせていただきます。フェルトも覚悟決めていくよ?」
「お連れ様がぐったりしているご様子ですが…大丈夫ですかな?」
シンに身体と口と鼻を押さえられたまま、その腕の中で力無くぐったりとしているフェルト。
「――すぐでしたら蘇生出来るんで大丈夫ですよ」
フェルトの心臓はちゃんと動いていた。
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